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1997/05/03 産経新聞朝刊
憲法施行50年 見直し機運高めた政治・社会状況
 
 「不磨の大典」という言葉は、ほぼ死語化した。施行五十年の節目を迎えて、憲法をめぐる政治・社会状況は大きく転換しつつある。
 各種の世論調査で改憲容認派が護憲派を上回るという事実が、この変化を如実に物語っている。半世紀もの間、憲法にまったく手がつけられなかった事態は世界の趨勢(すうせい)からしても異常なのだということが、ようやく一般にも浸透してきたということだろう。ちなみに、主要先進国の戦後の憲法改正状況をみると、米国七回、フランス十一回、ドイツ四十三回にのぼり、一回も改正していないのは日本だけである。
 ここへきて改正機運が一気に高まった背景には、さまざまな要因が指摘できよう。
 なんといっても、護憲派のリーダー役を標榜(ひょうぼう)してきた社会党(現社民党)の衰退が大きい。「平和憲法が日本を戦争の脅威から守ってきた」という観念的平和論は、村山政権発足後、日米安保条約や自衛隊の容認に転換したことで、社会党みずからがその破たんを認める結果となった。護憲派に内在している「情緒論のいかがわしさ」に、国民の多くが疑いの目をもち始めたということだろう。
 憲法見直しが不可能と思われてきたのは、衆参両院の三分の二、国民投票で過半数の賛成が必要という改正条項の厳しさにあった。ところが、沖縄の米軍基地使用をめぐる特別措置法改正案が両院で八−九割の賛成を得て成立した。安全保障という国家の基幹政策でこれだけの多数が一致したのである。「何でも反対」の社会党が一方の極に位置していた五五年体制下では、想像もつかない結果であった。
 「この調子だと、一致できる点にしぼれば憲法改正も夢ではない」と改憲派が勢いづいたのも不思議ではない。自民、新進、民主各党などの議員によって、国会に憲法制度調査委員会の設置を求める超党派の議員連盟が近く発足するという。政局がらみで受け取る向きもあるが、国会が憲法と真っ向から向き合い、論議する場を設けようという趣旨は歓迎すべきだろう。
 憲法改正論はとかく「九条論議」に収れんしがちだ。今秋にまとまる「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)では、たしかに集団的自衛権など憲法解釈とぶつかる内容をはらんでいる。橋本龍太郎首相は「憲法の枠内で行う」と言明しているが、グレーゾーンの部分をどう乗り越えるかが焦点だ。
 だが、こうした課題以外にも、憲法をいや応なく意識せざるを得ない状況が多々生じている。
 ペルーの日本大使公邸占拠事件はペルー当局の武力突入で決着した。日本に事前通告はなかったのだが、もし突入寸前に諾否を求められ、橋本首相がただちに「イエス」と答えた場合、これは超法規措置となる。憲法では首相の職務を「行政各部の指揮監督」などに限定しており、非常事態時の大権は与えられていないからだ。
 橋本政権が最大の政治課題として進めている一連の「改革」でも、地方分権、省庁再編など徹底しようとすれば憲法との齟齬(そご)が出てこよう。公費不正支出などで官庁のあり方が問われているとき、情報公開、説明責任(アカウンタビリティー)、あるいは国民の知る権利といったテーマも、憲法見直しの対象として位置付けることが可能だ。
 自主憲法期成議員同盟・自主憲法制定国民会議(会長・木村睦男元参院議長)は憲法記念日の三日、都内で「新しい時代にふさわしい憲法をつくる国民大会」を開催する。「自主憲法」という表現は、昭和三十年の保守合同での自民党結党の理念として用いられたものだが、大会の名称を「新しい時代にふさわしい憲法・・・」としたあたりにも、時代の変化を読み取ることができる。「マッカーサー憲法」「おしつけ憲法」といった言い方も、このごろはあまり聞かれなくなった。
 木村氏は昨年、自ら筆をとって改正草案を作成(「平成の逐条新憲法論」善本社刊)、改憲運動を支えてきた竹花光範・駒沢大教授もこのほど改正案をまとめ、「憲法改正論への招待」(成文堂刊)を上梓(じょうし)した。竹花氏は「あらゆるシステムが行き詰まっており、このままでは日本は沈没する。二十一世紀に日本が生まれ変わるためには、憲法改正を起爆剤とすべきだ」と主張する。
 政治改革の旗振り役である政治改革推進協議会(民間政治臨調)の亀井正夫会長も、「政治改革が行き着くところに憲法改正を位置付けたい」というのが持論だ。


 
 
 
 
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