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1997/02/04 産経新聞朝刊
【教科書が教えない歴史】(218)日本国憲法(2)
 
 現行の日本国憲法が公布される以前の一九四六年(昭和二十一年)一月一日、新しい日本の根本的なあり方を指し示す重大な詔書が昭和天皇によって発表されたことを知っていますか。「新日本建設に関する詔書」と呼ばれるものですが、意外に知らない人が多いようです。
 それはこの詔書が、天皇と国民との間の紐帯(ちゅうたい)が、天皇を「現御神」とするような架空の観念に基づくものではない−とするなど、天皇の神格否定のように見られることから、マスコミあげて「天皇の人間宣言」と名付けられてしまい、いつの間にか実体から程遠い虚像がつくられてきたからです。一度この詔書の全文を読んでみれば単なる「人間宣言」ではないことがわかるはずです。
 では、この詔書の一番大切な点は何だったのでしょうか。それは詔書の冒頭に「五箇条の御誓文(ごせいもん)」が掲げられたところにあるのです。一八六八年(明治元年)に、祖父明治天皇が近代日本の国づくりの根本方針として定められた御誓文を、これからの新日本建設のための拠り所として示すことによって国民の士気を鼓舞(こぶ)しようとするものだったのです。そのことは、この詔書が成立するいきさつを知れば納得することでしょう。
 昭和二十年十二月初旬、連合国軍総司令部(GHQ)に所属する民間情報教育局(CIE)が、「軍国主義」などの考え方を一掃するという名目で、天皇みずからその神格性を否定する詔(みことのり)を天下に発布できないものかと思いついたのが発端でした。
 さっそく、CIE側で原案を作成、ひそかに日本側に届けました。ところが、昭和天皇は原案をそのまま了承せず、言下に「五箇条の御誓文」を冒頭に加えるよう強く指示されたのです。これを受けて、日本側ではCIEの原案になかった部分も付加して新たに原案を作り直し、さらに幣原(しではら)喜重郎首相みずから英文に訳してGHQの承認をえることになりました。
 詔書の冒頭には「五箇条の御誓文」に続いて「叡旨(えいし)(天子=ここでは明治天皇=のお考え)公明正大、又何をか加へん。朕(ちん)(私)は茲(ここ)に誓を新にして国運を開かんと欲す」という決意が述べられていますが、御誓文の精神に立ち戻って国の再建に臨もうとした天皇のご心情がはっきりうかがわれます。
 実は以上のいきさつに関しては、昭和五十二年八月二十三日の記者会見の席上で昭和天皇ご自身が明らかにされています。
 「それ(御誓文を入れること)が実はあの時の詔勅の一番の目的なんです。神格とかそういうことは二の問題であった。・・・民主主義を採用したのは、明治天皇の思し召しである。しかも神に誓われた。そうして『五箇条の御誓文』を発して、それがもととなって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあった」
 このご発言からも明らかなように、この詔書は「天皇の人間宣言」というよりも、むしろ「五箇条の御誓文」を拠り所とした「天皇の戦後復興宣言」とでも呼ばれるべきものです。
 しかも、日本の「民主化」をめざす当のマッカーサー自身が「五箇条の御誓文」に関して「こんな結構なものがあるならと賛成した」(木下道雄『側近日誌』)というのですから、国際的にも通用する国づくりの原理にほかならないことを連合国軍最高司令官みずから裏付けたも同然のことでした。
 そして、何よりこの詔書が日本国憲法公布の十カ月も前に出されたことを考えれば、新憲法制定以前にすでに新日本の礎(いしずえ)は定められていたと見ることができるのです。(福岡県立筑紫高校教諭 占部賢志=自由主義史観研究会会員)


 
 
 
 
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