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1993/01/19 産経新聞朝刊
【主張1】宮沢首相の憲法感覚を問う
 
 宮沢首相が東南アジア諸国連合(ASEAN)四カ国歴訪中の同行記者団との懇談で、憲法改正論議の高まりに強い疑念を示した。
 首相は「憲法論議をタブーにする必要はない」としながらも、「考えれば考えるほどやさしい問題ではないことが分かる」と冷ややかな見方を示し、政界再編の動きと改憲論議の絡み合いについて「憲法にとって大変不幸なことだ」「これを政治の旗にするのはよくない」などと述べたという。
 首相が自民党内で護憲派と目されてきたことは知られているが、改めてその憲法感覚を問い直さないわけにはいかない。
 現在、改憲論議がかつてないほどの高まりを見せているのは、いうまでもなく日本の国際貢献姿勢との関係からだ。国連平和維持活動(PKO)協力法によって、カンボジアへの自衛隊派遣は実現したが、ソマリア多国籍軍には参加できず、さらにガリ国連事務総長が提案する平和実施部隊にも対応することはできない。安保理常任理事国入りを目指す日本だが、いったい、その資格は備わっているのだろうか。
 こうした日本の実態は、「集団的自衛権は認められていない」という政府の九条解釈からすべて発している。今後、国際社会における役割と責任を果たしていくために、現憲法のままで十分対応できるのかどうか。改憲論議はそこからスタートしたはずであった。
 首相のいかにも冷淡な反応は、国際貢献の拡充を考えていくうえで、これ以上の人的派遣体制を整備する必要はないと言っているのとほとんど同義語であるとも受け取れる。
 自民党の平成五年運動方針案では、「国民の間に改憲論議をタブー視しない風潮も根付いてきた」として、「新しい国民意識をよりどころに自主憲法制定を目指す」とはっきり打ち出しているのだ。それを、党総裁である首相が憲法見直し論に冷や水を浴びせるというのは、いったいどういうことか。
 「軽武装・経済重視」をその政治理念の軸とする首相は、「あえて国論を二分するような問題提起は害あって益なし」といった、きわめて合理主義的な考え方の持ち主でもある。憲法についても「解釈で運用できるのだからそれでいいではないか」というのが本音のようだ。
 日本は国際社会でどういう国になろうとすべきなのか、さまざまな模索がはじまっている時期に、首相のこうした腰の引けた態度はきわめて遺憾であるといわなくてはならない。


 
 
 
 
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