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1999/07/30 読売新聞朝刊
[社説]憲法調査会は「国家」を議論せよ
 
 これは、日本が「戦後」を超えて二十一世紀を迎えるに際しての、大きな節目といえるだろう。
 衆参両院に憲法調査会を設置するための改正国会法が二十九日、成立した。
 かつて閣僚が憲法改正を口にするだけで首が飛んだ時期があったことを考えると、隔世の感がある。これで長らく続いた“憲法タブー”は、完全に払拭(ふっしょく)されることになっていくだろう。
 国政の場に憲法を論じる常設機関ができるのは、一九五七年の政府憲法調査会の設置〜六四年の報告書提出以来のことだ。
 現行憲法九六条には、憲法改正は国会が発議すると規定されている。憲法が国会にそうした責務をゆだねているのだから、憲法問題を総合的に議論する場は、内閣よりも国会に置かれるのが自然だ。
 その意味では、本来なら、超党派の「憲法調査委員会設置推進議連」が当初めざしていたような、議案提出権のある常任委員会であるべきだった。
 だが、別の観点からは、議案提出権のない調査会になったことが、かえってよかったといえるような側面もある。「調査会」の方が、改憲か護憲かといった緊迫感からひとまず解放された、自由闊達(かったつ)な憲法論議がやりやすくなるはずだ。
 憲法調査会がやるべき自由闊達な憲法論議とはなにか。なによりもまず、「国家」を真正面から議論することだろう。憲法論議とは、国の将来像の基本的枠組みはどうあるべきかについて議論することにほかならない。
 二十一世紀の「国家」像を論じるためには、当然、日本の歴史、文化、伝統を総括する必要がある。そうした総括の上に立って、世界の中の日本としてどのような憲法的仕組みが望ましいのかを、じっくりと議論してもらいたい。
 いうまでもなく、「国家」論議は「国家主義」とは次元が異なる。その二つを意図的に混同するような“戦後民主主義者”流の議論に惑わされてはなるまい。
 政府憲法調査会が六四年に提出した報告書は、現行憲法制定過程の検証も含む広範な論点を整理した内容になってはいるが、今日からみれば議論が不十分だったり、あるいは欠落している部分も少なくない。
 たとえば、読売新聞は九四年に発表した憲法改正試案で、新たな基本的人権として人格権・プライバシーの権利、環境権などを憲法に盛り込むよう提言している。が、政府調査会が、こうした人権を憲法的課題として意識しなかったのも、当時の時代状況としては、なんの不思議もない。
 憲法九条問題にしても、議論の前提となる世界構造が当時とは一変してしまっている。日本の経済大国化に伴い国際社会から求められる責務の内容も変わってきた。
 両院憲法調査会の議論は、そうした時代的変化を踏まえたものであるべきだ。
 それとともに大切なことは、議論の内容を国民的な憲法論議の盛り上げに結び付ける工夫を、絶えず凝らすことだ。
 密度の高い議論、運営を期待したい。


 
 
 
 
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