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1999/05/08 読売新聞朝刊
[論考99]“憲法迷信”けじめの時 論説副委員長・朝倉敏夫
 
 戦後の日本では、長らく、「憲法」という言葉に、いくつもの“迷信”がつきまとってきた。しかし、現行憲法の施行後、半世紀以上を過ぎて、どうやら、国民の多くは、そうした迷信から覚めてきたようだ。
 そんな変化を端的に示しているのが、憲法に関する世論調査の数字だ。たとえば、一九八六年の読売新聞調査では、憲法改正反対が57%にのぼり、賛成は23%にすぎなかった。
 社会的雰囲気としては、読売新聞が九四年十一月に憲法改正試案を発表した当時でも、まだ、改正試案の作成自体が「憲法教典」に対する“不信心”であり、“犯罪”であるかのような非難・攻撃が多かった。
 それが今では、世論調査で、憲法改正に賛成する人が過半数を占めるようになった。
 国会でも、かつては閣僚が憲法改正を口にするだけで首が飛んだ。だが現在、国会では、憲法問題を専門に議論するための憲法調査会の設置が協議されている。国会に憲法問題を考える専門機関を設けるべきだということも、かねてから読売新聞が提言してきたところである。
 憲法を考える上では、様々な論点がある。基本的人権には、人格権やプライバシー権、環境権など新しい内容を加えるべきではないのか。国会、内閣についての条章は今のままでいいのか。司法制度の枠組み、条文はどうか。地方自治については――等々、読売新聞は、様々な角度から問題提起をしてきた。
 国会には、早急に憲法調査会をスタートさせ、そうした論点の一つひとつについて、密度の高い議論をしてもらいたい。
 だが、その際、まず取り組むべきは、現行憲法制定過程の再検証だろう。“憲法迷信”が続いたのは、現行憲法をだれが作ったかということを、できるだけ曖昧(あいまい)にしようという力学が働いた時代の惰性によるものだったからだ。
 現行憲法の原案が連合国軍総司令部(GHQ)により英文で作成され、強権的に押しつけられたものであることには、疑いの余地がない。憲法前文からして、米国の著名な政治的諸文書の切り張り、寄せ集めである。
 併せて、占領期の日本はGHQによる大がかりな検閲・言論統制の下に置かれていたという歴史の実相も、国会として検証しておく必要があろう。国会の憲法審議でさえ、GHQの厳しい統制下に置かれていた。その意味では、国会は初めて、真の「国民主権」下で憲法論議をすることになる。
 また、国会は、憲法九条に関する論議を、政治的に摩擦の大きい問題だからといって、いたずらに先送りしてはなるまい。
 憲法九条第一項の、侵略戦争の否認を堅持すべきことについては、国民のだれにも異存はないだろう。
 しかし、九条第二項の、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という規定が、とっくに現実とかけ離れたものになっていることも、実は国民のだれもが知っているはずだ。
 世界有数の装備を誇る精強な自衛隊を「軍隊ではない」としているのは、諸外国から見れば、日本政府・国民ぐるみの“自己欺瞞(ぎまん)”でしかないだろう。
 こんな虚構の言葉いじりは、もうやめるべきだ。
 読売憲法改正試案では、九条第一項は残したまま、第二項で自衛力の保持を明確にした。
 現在の日本には、現行憲法の、議会制民主主義、基本的人権の尊重、平和主義など、人類普遍の原理が十分に定着している。また、国の存立の基盤を平和な国際通商環境に依存している国家体質からいっても、軍国主義の復活などはあり得ない。
 幸い、読売憲法改正試案の発表以来、様々な憲法論議が交わされる中で、情緒的な“憲法迷信”は、かなり薄れてきた。
 世紀の変わり目を控えて、冷静にして、かつ活発な、憲法総点検論議が展開されることを期待したい。


 
 
 
 
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