日本財団 図書館


1996/11/03 読売新聞朝刊
[社説]憲法公布50年 国民投票法を制定しよう
 
◆“無視”されてきた憲法の規定
 「竹の子生活」と聞いてすぐ意味のわかる人は、もう、そう多くはないだろう。五十年前、敗戦翌年の流行語だ。着ている衣服を一枚ずつ売り食いする、という意味である。当時、大多数の国民の関心は「闇(やみ)市」で食べ物を手に入れることにあった。
 日本国憲法が公布されたのは、その一九四六年の十一月三日だった。
 そうした荒廃と混乱のただ中にあった国民が、どの程度、この憲法に関心があったのか、記録の上からは検証の難しいところがある。当時の日本は、連合国軍総司令部(GHQ)の厳しい事前検閲・言論統制の下に置かれ、憲法宣伝・啓蒙(けいもう)活動自体が、GHQの肝いりだったからだ。
 確かなのは、この憲法の原案がGHQによって起草され、国会審議もGHQの監視のもとで、いちいち“許可”を取り付けながら進められた経緯を、国民はまったく知らなかった、ということだ。
 もう一つ確かなのは、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とうたいながら、主権者であるはずの国民の投票にはかけずに公布・施行された、ということである。しかし、現実の主権者はGHQだったから、日本側には選択の余地のない成り行きだった。
 以来五十年、この憲法は、全体的にも、部分的にも、一度も国民投票にかけられていない。それどころか、国民投票にかけるための法律さえ制定されることなく、今日に至っている。
 憲法九六条には、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」とある。
 国民投票の詳細については、当然、特別の立法を必要とする。最高裁判所裁判官の国民審査については、憲法が施行された四七年のうちに、そのための法律が制定されている。ところが憲法改正手続きに関しては、“憲法無視”状態が続いてきた。
 実は、五二年四月のサンフランシスコ講和条約発効により独立国としての主権を回復した直後には、国民投票法制定の動きがあった。
 同年十二月には選挙制度調査会が内閣に答申を出し、翌五三年一月、当時の自治庁が一部を未定として空白にした「日本国憲法改正国民投票法案」を内閣に提出している。だが、この法案は未完成のまま、国会に提出されることもなくお蔵入りした。
 その後、政治の舞台で憲法改正国民投票法が具体的に論議の対象になったことは、まったくない。
 憲法を制定する権力を主権とするなら、憲法改正も、国民の最も基本的な主権行使の形態である。そのための法整備を怠るというのは、いわば政府、国会の“不作為”による憲法順守義務違反ではないか。国民投票法の制定は、主権者である国民に対する政治の義務である。
 ただし、憲法改正にかかわる国民投票と、いわゆる政策国民投票とは、区別されなくてはならない。
 日本国憲法は、前文が「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し……」と始まっているように、代議制民主主義を基本原理としている。それが国会を「唯一の立法機関」とする第四一条の規定にもなっている。
 個別の政策について国民投票にかける直接民主主義が国民主権の本来の姿であるかのような主張は、憲法の原理に反する。それだけではなく、大衆迎合の衆愚政治、さらには、逆に独裁政治を招き寄せかねない議論だ。
 
◆事前の問題点整理が必要だ
 国民投票法の制定は憲法改正が具体的な政治スケジュールに乗ってからでも遅くはない、という見方もあるだろう。
 だが、憲法改正には、全文改正の場合も部分改正の場合もある。部分改正には、新しい条項を挿入するだけ、という形もあり得るだろう。どのような形にしても、複数の改正点を一括して投票の対象にするのか、一条ごとに分けて可否を問うのか、という問題が生じる。
 その投票形式次第で、投票結果にも影響することが考えられるから、それだけでも、政治的に大きな論点になるだろう。
 ほかにも問題点はいくつもある。そうした問題は、改正の内容そのものと切り離して論じられるうちにこそ、冷静な議論を尽くしておくべきである。
 複数の条項を一括して問うか、一条ごとに分けるか、ということについては、できるだけ焦点を絞った論議ができるよう、個別的に国民の判断を求める方式の方がいいとする憲法学者が多い。
 読売新聞社は、二年前の九四年十一月三日に憲法改正試案を発表したが、この中で提言した人格権・プライバシーの権利や環境権の創設、自衛権の明記などについては、その後の世論調査だと国民の七〇%近くが賛成している。
 しかし、たとえばこの三つの問題だけに限っても、一括して問うのは問題の性質が違いすぎて、国民の議論が交錯・拡散する可能性もあるだろう。
 場合によっては、まず国民のコンセンサスを得やすい条項から一つずつ、時間差を置いて国民投票にかけていくというやり方もあるかもしれない。
 二十一世紀の日本再生に向けた姿を考えるとき、さまざまな改革課題が結局は憲法改正の必要にまで行き着く。
 そのための国民的な憲法論議を深めるためにも、五十年間放置されてきた憲法改正国民投票法の制定問題に、正面から向かい合うときではないか。


 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。

「読売新聞社の著作物について」








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION