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1996/09/22 読売新聞朝刊
[社説]憲法公布50年 司法改革に果断に取り組め
 
◆国民のための裁判所とは
 「国民のためのよき裁判所を作りたい」 戦後間もない一九四七年、憲法とともに施行された裁判所法で初代最高裁判所長官となった三淵忠彦氏の第一声である。
 戦前、きわめて狭い権限しか持たなかった司法が、〈憲法の番人〉としての地位を得て、国民の人権を守り、法令などの違憲審査によって立法、行政をチェックする三権分立体制の新たなスタートだった。
 それから約五十年、三淵長官の志とは違って司法は国民の遠い存在となり、様々な面で改革の必要性が指摘されている。
 日本弁護士連合会の調査によると、よほどのことがない限り、裁判はしたくないという人が九〇%近くに上っている。
 だが、国民の権利意識が急速に高まった現代社会で、人々の意識や行動、個人と社会や国との利害・権利関係、企業間の契約などもますます複雑、多様化している。身近に争いごとがないはずはない。
 事実、法務省などの調査では、この十年ほどの間に法律問題で困ったり、不満を持った人が二七%に上っている。
 しかし、その人たちが紛争解決のために裁判手続きを利用したのは一二%弱にすぎない。経験者の四分の三は友人、上司、地区の有力者など、司法以外の手段で解決を図っていた。暴力団の介入や、泣き寝入りのケースも多かったに違いない。
 法の支配によって、公正な社会秩序と正義の実現を目指す民主社会にとって、放置できない深刻な事態と言える。
 なぜこんなことになったのか。司法が基本的な改革を怠り、社会の急速な変化に対応できなくなったことに原因がある。
 一つは、国民の多種多様な要望を受け止める司法の「受け皿」の小ささだ。
 この二十年間、裁判官の定員は百六十八人しか増えておらず、検察官は今年三十五人を増やすまで据え置かれていた。勢い両者の負担も増え、それが裁判の形骸(けいがい)化と長期化、分かりにくい裁判につながって、国民の司法離れを招いている。
 司法制度の頂点にある最高裁でも、一人の裁判官が刑事、民事あわせて常に三百件近い訴訟事件の処理に追われている。
 上告審の最近の審理期間は、民事が平均九・三か月、刑事は七・一か月だ。それも双方の主張を聞く口頭弁論も開かずに棄却となる民事事件は、全体の九〇%を超えている。元最高裁判事自身が「三行判決」と呼ぶ素っ気ない判決も多い。
 下級審でも、口頭弁論が書面の交換だけで終わったり、逆に争点の定まらない弁論が繰り返され、形骸化と長期化はさらに深刻だ。手続きが分かりにくく、裁判官に言い分を十分聞いてもらえないのでは、司法への信頼が薄れるのも当然だろう。
 民事訴訟で、最高裁への上告率が四〇%近くに上っている。本来なら上告理由に当たらない下級審の事実認定への不満が、圧倒的に多い。最高裁はその処理に追われ、重要な使命の違憲審査などに、十分な時間を割けない悪循環に陥っている。
 この実態に、メスを入れようとしたことが一度だけあった。五七年、法制審議会を経て国会に提出された改革案だ。
 最高裁を二つに分け、長官以下九人の判事で構成する大法廷は、専ら憲法判断や判例変更、重要な法律解釈を担当する。判事各五人の六つの小法廷が、それ以外の上告審を受け持つ画期的な内容だ。判事の数も今の十五人の二倍以上だ。
 読売憲法改正試案の憲法裁判所と、ほぼ同じ内容と考え方だった。だが、継続審議を重ねた末に廃案となる。以来四十年近く根本的な制度改革がないまま、小手先の改善が繰り返されて今に至っている。
 国民に関係の深い憲法、刑法、民法、刑事・民事訴訟法、商法など基本法の改正についても同様の経過をたどった。
 
◆時代の要請に沿った司法を
 その原因について元最高検検事は、わが国の立法過程の特殊性を指摘する。ある法律を改正するには、省庁内部と関係省庁間の調整、与野党の政策審議会と各部会、議運族、国対族への根回しが不可欠だ。それも関係機関の全員一致が建前だ。
 社会のルールを決める基本法だけに、それぞれ価値観が違い、コンセンサスを得るのは不可能に近い。勢い、対決法案は先送りされてしまうと言うのだ。
 結局、六法のうち四つは基本的に明治時代のままで、カタカナ文語文だ。昨年、口語化を図った刑法は、内容の実質的な変更を行わないとの条件がついた。
 民訴法は今年、七十年ぶりに改正が実現した。訴訟手続きの充実・迅速化、最高裁への上告制限、三十万円以下の少額訴訟制度の創設など重要な内容だが、先行する時代の流れを追ったにすぎない。
 他にも改正を待つ法律、制度は多い。戦後の改正で積み残した民法の婚姻・離婚制度は、夫婦別姓や非嫡出子への財産分与のあり方で意見が割れている。
 少年の健全育成を基本理念とする少年法は、事実認定をめぐる誤審問題を機に、適正な手続きのあり方が問われている。
 裁判を受ける権利を支える資金面の救助制度も不十分だ。改正民訴法で救助範囲はやや広がったが、訴訟費用の軽減、法律扶助、容疑者の国選弁護、外国人に裁判を保障する諸制度の整備も欠かせない。
 二十一世紀に向けて活力を維持した成熟社会を目指すには、大胆な行財政改革、規制緩和、自己責任の確立が不可欠だ。だがそれは、強い者が得をし弱い者が泣き寝入りをする社会であってはならない。
 そこに司法改革、司法機能の強化が求められている。社会、経済活動などすべての分野で基本ルールを明確化し、違法行為には厳正に対処できる、公正なシステムが必要だ。今の司法の現状は、とてもその要請にこたえられるものではない。


 
 
 
 
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