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私はこう考える【憲法改正について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1996/08/15 読売新聞朝刊
[社説]憲法公布50年 国民主権下で論じ直そう
 
◆“押しつけ”経過を直視せよ
 五十年前の一九四六年八月十五日、衆議院では帝国憲法改正案小委員会(通称・芦田小委員会)の審議が、大詰めにさしかかっていた。
 この日は、小委員会の皇室財産条項に関する審議を受けて、内閣法制局の佐藤達夫第一部長らが、連合国軍総司令部(GHQ)のチャールズ・ケーディス陸軍大佐と、最後の折衝を行っている。
 結局は、この問題についても、日本側の主張は容(い)れられず、GHQの要求に屈伏することになった。
 これは、一例にすぎない。昨年秋に公開された芦田小委の秘密議事録、今春公開の貴族院審議録は、いちいちGHQの了解を取り付けながら進める審議の気苦労と屈辱感に満ちている。
 要するに、現行憲法は、全体として“押しつけ”なのである。そうした制定経過と時代状況を直視しない限り、「戦後」を最終的には総括はできないし、二十一世紀の日本へ向けた実り豊かな議論を進めることも難しいのではないか。
 よく、「憲法前文の精神」などと言われる。だが実は、この前文の存在自体が、その内容と矛盾しているところがある。
 前文は、アルフレッド・ハッシー海軍中佐が執筆した。GHQの憲法草案に沿って日本側が翻案した政府原案では当初、この前文を無視したが、GHQは前文の復活を要求し、しかも、前文は一字一句も変えてはならないと枠をはめた。
 前文には、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とある。しかし、当時の主権は、GHQにあった。この「国民主権の宣言」は、まことに空々しいものだったことになる。
 まして、この憲法をめぐる国民的議論などはなかった。当時の日本は、GHQによる大がかりで厳重な検閲・言論統制の下に置かれていたからだ。
 憲法第二十一条では、「集会、結社、及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲はこれをしてはならない。通信の秘密はこれを侵してはならない」となっている。これも空虚なウソ、というのが歴史的実態だった。
 占領軍の進駐直後から、出版、放送は事前検閲された。憲法草案がGHQによって作成された事実に言及することは厳禁だったし、占領軍兵卒の犯罪報道の禁止に至るまで、占領政策批判につながりかねない言論は、すべて圧殺された。郵便は開封され、電話も盗聴された。
 検閲・言論統制は、形態を変えながらも、五二年四月のサンフランシスコ講和条約発効による主権回復まで続いた。
 現行憲法を“聖典”視するいわゆる「戦後民主主義者」も、そうしたGHQの言論統制の下で“培養”された。
 その憲法が公布されてから、この十一月三日で五十年になる。現在の日本が、主権と言論の自由を有していることに疑いはない。この節目を機に、真の「国民主権」のもとで、改めて国民全体で憲法を論じ直してもいいのではないか。
 主権の定義のひとつに、「主権とは憲法制定権力である」とする言い方がある。憲法とは、本質的に、国民が国民自身のために創(つく)り、国民が運用していくものだ。
 しかし、だからといって、“押しつけ”という理由だけで現行憲法のすべてを否定すべきだというのではない。
 現行憲法に盛られた議会制民主主義、基本的人権の尊重、平和主義などの基本原理はその後の日本に定着し、発展の基盤ともなってきた。そうした人類普遍の原理は今後とも維持されなくてはならない。
 だが、この半世紀の間に、世界も日本もすっかり変わった。加えて、現在の世界は経済・社会構造の変動期ともいうべき時代を迎え、日本も二十一世紀を展望した的確な対応を迫られている。
 
◆日本の将来像を考えるために
 時代状況を踏まえて憲法を基本から見直すことは、そのまま二十一世紀の日本を考えることにつながる。逆にいえば、未来の日本像を考える時に、憲法を固定的な枠組みにしてしまう思考様式で、大胆な発想、自由な議論を妨げるようなことがあってはならないということでもある。
 憲法論議と一体の形で考えなくてはならない課題は多い。
 日本の安全と繁栄をどのようにして保っていくか、国際社会の中でどのような役割と責任を果たしていくべきか、という課題が、憲法の在り方と深くかかわってくることは、いうまでもない。
 五十年前の憲法審議では問題にもならなかった環境権やプライバシーの権利、情報公開請求権など新しい人権の確立を目指す上で、憲法改正の必要はないのか。憲法改正論議をタブー視した時代の後遺症が、人権運動の論議内容や進め方に“限界”を設けることになってはいないか。
 内閣や国会、司法のありかたも現在のままでいいのか。現行憲法を超える視点で改革を議論する必要はないのか。
 地域生活と密接に関連する地方自治、地方分権の問題についても、憲法の枠を取り払って議論してみるくらいのことがあってもいいのではないか。
 ひところまでは、憲法改正を論じること自体がタブーであるかのような社会的雰囲気があった。だが、近年の世論調査をみると、憲法改正賛成派が、改正反対派を常に上回るようになっている。自由な論議の国民的土台が整ってきたといえるだろう。
 もちろん、どのような憲法が望ましいかについては、国民が最終的に決めることだ。大事なことは、タブーを設けず、冷静で自由な論議を尽くすことである。
 国民による国民のための憲法を論じることを通じて、二十一世紀の日本のあるべき姿を国民的規模で議論し合いたい。


 
 
 
 
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