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1996/04/05 読売新聞朝刊
[社説]「政治」の先を行く国民の憲法観
 
 五十年前の制度や法律が今でも完全無欠のままであるわけがないということは、ごく普通の常識でわかる話だろう。一九四六年十一月三日に公布されてから今年で五十年になる現行憲法についても、国民の多数は、ごく常識的な判断をしている。
 読売新聞社が実施した憲法に関する世論調査によると、憲法に国としての「自衛権」を明記した方がよいとする人が七〇%を超えている。
 国際的平和活動への自衛隊の協力や、人格権、プライバシー権、環境権など新たな権利を憲法に明記する必要についても、七〇%前後が「その通り」としている。
 いずれも、現行憲法を制定した当時の日本では、考えないですんだ問題だ。しかし、その後の五十年間に、世界も日本もすっかり変わった。時代の変化に沿って、憲法も見直していく必要があるということは、いわば、世界的な常識だ。
 読売新聞社が、九四年十一月に発表した憲法改正試案の中でこれらの問題を盛り込むことを提案したのも、そうした常識的判断に基づいたものだ。
 ところが、こうした個別の問題について意見を聞く前に、一般論の形で「憲法を改正すべきかどうか」と聞くと、明確な改正派はこれほど高い数字にはならない。憲法改正問題がタブー視されてきた戦後日本のムードが、感覚的なレベルでは、まだ惰性として残っているということだろう。
 ただし、それでも改正派は、四年連続して、反対派を上回っている。十年前の八六年調査では改正派はわずか二三%、反対派が五七%と過半数を大きく超えていたのに比べると、憲法をめぐる国民世論の構造は、すっかり様変わりした。
 「護憲」イコール「自衛隊違憲論」という立場から憲法改正に反対してきた社民党(旧社会党)も、二年前から「自衛隊合憲論」に転じた。今回の調査では、その社民党の支持者でさえ、五一%が憲法改正を支持するという現象になって表れている。
 しかも、憲法改正に賛成か反対かを超えて、国民全体の七〇%以上が、憲法論議が活発に行われることを望んでいる。
 それなのに、国政の舞台では、依然として、憲法改正問題は、ハレものに触るようにして扱われている。
 与野党とも、それぞれの党内に改正派と改正反対派が混在し、正面から論議の場に乗せると、党内が混乱しかねないという共通の事情を抱えているからだ。
 結果として、国民多数がとっくに憲法改正論議をタブー視する意識から脱しているのに、政治だけが憲法改正問題という課題が存在しないようなフリをして、論議を敬遠しているのが実態だ。
 これでは話が逆ではないか。本来、先見性をもって政治課題を設定し、その実現に向けて国民世論を導くのが政治の責任であり、役割のはずだ。現実には、国民世論の憲法観の方が政治の先を行っている。
 政治は、憲法問題をめぐるこうした現実を深刻に反省し、政治本来の責任と役割を取り戻してもらいたい。


 
 
 
 
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