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1996/04/03 読売新聞朝刊
[明日への条件―日本総点検]第2部憲法再考(12)内閣法制局(連載)
 
◆解釈変転、苦難の“後見”
 首相就任後初の施政方針演説を前に、橋本首相は内閣法制局の大森政輔長官を首相官邸に呼んだ。憲法二〇条(信教の自由)について、宗教団体の政治的活動を容認した政府解釈の見直しを演説で言及できるかどうか確かめるためだ。
 首相「(解釈変更の)可能性があるんですか」
 大森氏「全くありません」
 首相「じゃあ、(施政方針演説に)入れられないな」
 内閣法制局は、条約や各省庁の法案、政令が憲法をはじめとする法体系に反しないかチェックする内閣の一機関だ。どんな法案も政策も法制局の了解なしには閣議に持ち出せない。
 定員は現在七十六人。半数以上が他省庁からの出向者で占められる。多くが課長以上を経験した上級職試験合格のキャリアだ。現在の大森長官は裁判官出身で法務省を経て法制局入りした。大蔵省主計局出身の津野修次長は「この仕事に誇りを持っている。予算は単年度限りだが、法律はずっとだから」と言う。
 しかし、政治とは戦後一貫して微妙な緊張関係にある。とくに、憲法九条問題がそうだ。最高裁が違憲、合憲の憲法判断を回避しているため、内閣法制局の見解が「権威ある憲法解釈」となっている。
 警察予備隊、保安隊、自衛隊と、自衛力の増強に伴って、法制局の九条解釈は変遷してきた。「戦力は持てない」が「持てない戦力は近代戦争遂行能力を持つもの」となり、自衛隊創設で「必要最小限度の実力組織の保持は禁止されていない」に変わった。以後、この解釈が確定している。
 当時、法制次長として解釈変更に携わった高辻正己元内閣法制局長官は語る。
 「警察予備隊の時は、『ありゃ警察だ』って言ってればよかったが、自衛隊ができちゃった以上、解釈が元のままでは通らない」
 鳩山一郎内閣の発足から十日後の一九五四年(昭和二十九)十二月二十日、政府与党の会議が開かれた。半年前に自衛隊が創設され、吉田茂前内閣時代の九条解釈をどうするか議論するためだ。
 高辻氏は今もこの会議の場面が忘れられない。「僕の真っ正面に重光葵さん(外相)がいて、いきなり、『自衛のためならいくら(戦力を)持ってもいいじゃないか』と言う。僕と林修三さん(法制局長官)は、『いくらでもとなると九条二項はないのと同じだ』と必要最小限度論で応じた。最後は、根本竜太郎官房長官が『聞いてみればそうだな』とこっちに賛成してくれた」と振り返る。
 当時、高辻氏ら法制局側は、社会党(現社民党)などから「三百代言」と激しい批判を浴びた。その法制局が、今は「護憲の砦(とりで)」のような存在になっている。
 九〇年の湾岸危機に端を発した国際貢献問題では、「武力行使を伴う自衛隊の海外派遣はできない」とする内閣法制局は、与党の自民党や外務省、防衛庁から激しい批判にさらされた。
 長官を交えた協議が連日のように行われ、OBや学者の意見を聞くこともあった。結局、「武力行使が目的ではない」という論理で国連平和維持活動(PKO)への自衛隊参加を認めたが、部隊としての武器使用はできないとの見解は変えていない。
 自衛隊と米軍が燃料などを相互に融通し合うための物品役務融通協定(ACSA)と集団的自衛権の関係では、法制局と外務省・防衛庁の論争が一年以上も続いている。
 ある法制局幹部は、「我々は憲法の範囲内で許されるかどうか判断するだけ。政策的にこうしたいと思った時に、憲法が邪魔になるならどうするか・・・」と言いかけて言葉をのみ込んだ。「憲法改正しかない」と言いたかったのだろう。
 目指すべき政策を明示し、必要なら憲法の改正も含めて実現に取り組むのが政治の役割だ。その責任を果たさず、「法制局見解」に期待や不満をぶつけているだけでは、混乱はいつまでも解決しない。(政治部 前木理一郎)
 
〈憲法解釈の権限〉
 内閣法制局設置法三条
 内閣法制局は、左に掲げる事務をつかさどる。
 ・・・法律案、政令案及び条約案を審査し、・・・内閣に上申すること。・・・法律問題に関し内閣・・・に対し意見を述べること。
 憲法八一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する・・・終審裁判所である。


 
 
 
 
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