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1996/04/02 読売新聞朝刊
[明日への条件―日本総点検]第2部憲法再考(11)国際化の中で(連載)
 
◆追い付かぬ「法の保護」
 シドニー郊外の閑静な住宅街。「海外有権者ネットワーク・オーストラリア」代表、Hさん(62)の家では時折、近くに住む日本人の仲間が集まって、パソコン画面をのぞきながら議論をかわす。「在外邦人に国政選挙権がないのは違憲だ」「現行の憲法は、海外に住む日本人を想定して作られていない」
 日本で経営していた会社をたたみ、現地に定住してガス会社に勤めるようになったHさんらが、在外投票の権利を求める草の根運動を始めたのは九三年十月。自民党単独政権が崩壊し、日本の政治が激動し始めた時期である。
 パソコン通信などを通して他の国の日本人にも呼びかけ、アジア、南北米、欧州、豪州の八都市に拠点が出来た。昨年五月には、二十六か国の計一万七千人の署名が集まり、国会に請願を出した。現在、外国に住む日本人は約六十九万人。企業の海外移転の急増などで、八二年の四十六万人に比べ五割も増えている。
 憲法一五条は、公務員の選定、罷免を「国民の権利」と定めているが、これら海外定住の国民に選挙権はない。同ネットワークは現状を「違憲状態で差別的」だとし、憲法二二条で保障された居住、移転の自由が侵害されていると主張する。
 先進七か国で、国政選挙について在外投票制度がないのは日本とイタリアだけ。米コロンビア大学のマイケル・ヤング教授は「在外投票権は本国に対する忠誠心をつなぎ止める大きな効果がある」と語る。
 「忘れられた有権者」は、在外邦人だけではない。日本に住む外国人の問題もある。「内なる国際化の課題として、在日外国人への参政権付与は避けて通れない」と、在日外国人の参政権運動を続けている関西大学講師、李英和(リ・ヨンファ)さんは訴える。
 最高裁は昨年二月、「定住外国人への地方選挙権付与は合憲」との判断を示した。該当者は在日韓国・朝鮮人ら約九十八万人。だが実現するには公選法と地方自治法の改正が必要だ。
 公務員採用をめぐる問題もある。高知県は、地方公務員法に国籍条項はないとして、在日外国人採用の方針を打ち出した。しかし自治省は「公務員には日本国籍が必要」という内閣法制局見解を根拠に難色を示し、論争が続いている。
 国際化の進展は、「国民」の権利とは何かという、最も基本的で、しかも憲法制定当時には想定されていなかったようなさまざまな難問を突き付けている。
 安全の問題もその一つだ。「在外邦人の生命、身体、財産の保護」は外務省の職務だと同省設置法にある。だが実際には「通り魔的犯罪にあっても現地の法律に従わざるを得ない」(同省邦人保護課)という。
 先月十九日、米ニューヨーク州連邦地裁の陪審は、ニューヨーク市で九四年に砂田敬さん(当時二十二歳)を射殺した米国人被告に、有罪評決を下した。父親の向壱さんは「裁判としては決着がついたが、在外邦人保護に日本政府がどう対応すべきかは今後、真剣に議論すべき問題だ」と語る。事件発生直後、現地の総領事館が日本の家族へかけた第一報の電話は、コレクトコール(料金着信者払い)だったという。
 外国での有事の際、米国なら軍用機や民間機を思い切って投入し、自国民の救出にあてている。だが日本では「紛争に巻き込まれる」などの反対論が根強く、ようやく自衛隊法改正で自衛隊機を邦人救出に派遣できるようになったのは二年前だ。それまで湾岸危機ではイラク航空機を、またザイール暴動ではスイス航空機をチャーターするしかなかった。
 日本の海外旅行者は年間千三百万人を超えた。いつ自分が「海外の出来事」の当事者になるかわからない時代。「憲法と国民」の関係を新しい視点から洗い直す時ではないか。(ニューヨーク・水島敏夫、シドニー・坂田誠一郎)
 
〈地方の住民の選挙権〉
 憲法九三条 地方公共団体の長、その議会の議員及び・・・その他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
 地方自治法一一条 日本国民たる普通地方公共団体の住民は、・・・、その属する普通地方公共団体の選挙に参与する権利を有する。


 
 
 
 
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