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2002/04/08 毎日新聞朝刊
[社説]考えよう憲法/35 集団的自衛権 政府解釈に絶えぬ矛盾
 
◇理想と現実の悩ましい溝
 憲法解釈の「ニアミス」が日米両国を激しく揺さぶったことがある。1955年8月、米国で開かれた日米外相会談だ。
 ダレス米国務長官:「米国が攻撃されて、日本が海外派兵できるか疑わしい。グアムが攻められたら日本は防衛にきてくれるのか?」
 重光葵外相:「できる。現状でも自衛戦力を組織できる」
 ダレス:「これは日本の防衛ではない。米国の防衛だ。外相の憲法解釈はよくわからない」
 重光:「日本の解釈は、自衛のための軍事力行使と海外派兵の是非の協議を含んでいる。日本は対等な条約を望んでいる」
 ダレス:「日本がそう考えていたとは知らなかった・・・」(国務省会談記録から)――
 会談後、共同声明は「日本が西太平洋の平和と安全の維持に寄与できる条件」を確立する努力をうたったが、米紙は「日本が海外派兵を約束した」と報じ、日本でも大騒ぎになった。政府は「海外派兵など約束していない」と国会で弁明し、参院が前年6月の自衛隊海外出動禁止決議を再確認してやっと決着した。
 「日本が直接攻撃されていなくとも、日本と密接な関係にある国が攻撃された場合に実力で阻止する権利」――集団的自衛権について、日本政府はこう説明する。
 国連憲章(51条)は、個別的自衛権と共に「各国の固有の権利」と明示している。だが、日本国憲法は自衛権に関して何も触れていない。そのことが日本の防衛・安全保障にとって数多くの論議や難解な解釈を生んできた。
 
◇「ニアミス」招いた解釈
 日本政府は60年代以降、ほぼ一貫して「国際法上、集団的自衛権を保有していることは主権国家として当然だが、憲法9条で許容される自衛権の範囲を超えるため、憲法上は行使を許されない」との解釈を貫いてきた。第二次大戦の深い反省に立って、必要最小限度の「専守防衛」に徹し、自国の防衛以外に実力を行使しないとの原則に根ざしている。
 ところが現実には、日本はサンフランシスコ講和条約、新・旧の日米安全保障条約で「個別的・集団的自衛権の保有」を掲げ、その「権利行使」として在日米軍基地の利用も認めてきた。
 「国際法上は保有するが、憲法上は行使できない」とする政府解釈の「行使不可論」は、「憲法上保有するのか、しないのか」との疑問に明確に答えていない点で、護憲派からも改憲派からも批判を浴びてきた。一方では「自国の防衛は米国の支援に依存しながら米国の防衛に関知せず、では不公平でないのか」「それで同盟と言えるか」との不満が米国にある。
 中でも海外派兵や海外での武力行使は、集団的自衛権の中核にあたる象徴的なものだ。47年前の重光・ダレス問答は、日本政府高官が「将来課題」としてその行使に最も接近したケースといえるが、結果はニアミスに終わった。
 自国の防衛に徹するという理想と、現実政治の深い溝をはらむ政府解釈のジレンマは、冷戦後も縮小するどころか逆に拡大した。
 91年湾岸戦争を契機とした国際平和維持活動への参加問題や昨年秋の米同時多発テロは、日米同盟の枠を超えた国際的、公共的な活動に日本がどこまで協力できるかを問いかけた。テロ対策支援法には、戦時の自衛隊艦隊のインド洋派遣を通じて内容的にも、地域範囲の面でも「政府解釈が限界に達した」との指摘もある。
 集団的自衛権の問題は日米同盟と切っても切れない関係にあり、裏返せば日米安保体制が憲法9条の理想を守ってきたとも言える。だが、そうした同盟関係も冷戦終結を境に変容を強いられている。
 96年の日米安保再定義、99年の日米防衛指針(ガイドライン)整備を経て、日本は従来の「極東」の範囲を超えたアジア太平洋の平和と安全の秩序形成に貢献していく方向を打ち出した。さらに、ブッシュ政権は「集団的自衛権行使を日本が禁じていることは、同盟の協力を束縛している」(アーミテージ報告)と、率直な期待を表明し始めている。
 日米が共同技術研究を進める戦域ミサイル防衛(TMD)、同盟の情報協力緊密化構想なども、集団的自衛権に触れることなしには進められない段階がやってくる。北大西洋条約機構(NATO)型のアジア集団安全保障構想の可否を検討する上でも、政府解釈が大きな足かせとなるだろう。
 
◇どう見直すのか
 昨年の日米同盟50年をきっかけに、宮沢喜一元首相が「(個別的)自衛権の論理的延長として集団的自衛権を位置づけよう」と提案するなど、政界や識者の間でも解釈変更、国会決議、安全保障基本法制定、改憲などを通じた「行使容認」論がさかんだ。
 国際社会では、旧ソ連の東欧・アフガニスタン介入、米国のベトナム戦争など、集団的自衛権が過去に「悪用」された例もある。国際的に定着した権利とはいえ、恣意(しい)的な発動は世界の安全を脅かす危険をはらむ。このことは、日本がかりに「行使可能」と判断する場合でも、実際の行使には厳しい自制と慎重な政治的英知が必要であることを示している。
 毎日新聞世論調査(昨年10月)では、「行使不可のままでよい」(56%)が「行使を認める」(35%)を大きく上回る。深刻なジレンマをはらみながらも、現行の政府解釈が半世紀近く続いてきた現実は重い。それを唐突に変更すれば、9条を含む憲法そのものに対する懐疑心を深める恐れもあることに留意する必要がある。


 
 
 
 
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