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資料と統計から見るアイコウボウ・USA
現地新聞で紹介されたアイコウボウ・USA
 一九八八年の設立時に現地の朝日新聞オレゴン版・ロサンゼルス版に紹介記事が掲載されて以来、アイコウボウ・USAは現地のテレビや新聞紙上にて何度か紹介される機会を得ている。ここではそのいくつかを見ていきたい。
 
「資料1」「資料2」は、それぞれ一九九八年三月二十日、一九九九年三月二十四日付けの「北米報知」に掲載された記事である。「北米報知」はアメリカに住む日本人や日系人を対象とした新聞で、アメリカのニュース、日本のニュース、地域の情報などが掲載されている。「北米報知」には、アイコウボウがバンクーバーにあった頃からお世話になっており、イベントなど大きな話題があるたびに何度も記事を載せていただいている。
「資料1」の記事は、「北米報知」のまやさんの担当する「行ってみました!」というコーナーで、一九九八年二月に行なわれた移動教室の際に取材を受けたものである。ここではアイコウボウ・USAの活動の紹介と、四月より日本財団から資金援助が始まる旨が伝えられている。
「資料2」の記事では、アイコウボウがテレビのニュースで紹介されたこと、観光でフォート・バンクーバーを訪れたこと、料理教室の様子、お正月に初釜(茶道)を着物を着て楽しんだことが紹介されている。
 この記事もあるとおり、アイコウボウは地元チャンネルのテレビのニュースでも紹介されたことがある。九九年二月に放送されたこのニュースは、「数百年の歴史を誇る日本の伝統工芸が、バトルグラウンドの森の中でひっそりと守られています」というナレーションで始まり、藍染め、刺し子、組紐など、アイコウボウでの作業の様子が紹介された。
 
「資料3」は「ソイ・ソース」一九九九年一月号に掲載された記事である。
「ソイ・ソース」はシアトルを中心に発行されている情報紙で、シアトルやポートランドの生活情報を伝える新聞である。ここでは、藍工房(東京)の設立からアメリカヘの進出、そして現在までの活動の様子が詳しく紹介されている。
 この記事を書かれたゆかりさんと、当時同紙記者であったあゆみさんには、以後イベントなどを通して大変お世話になっている。
 
 こうしてテレビで紹介されたり、紹介記事が新聞に掲載されたりすると、アイコウボウの活動や藍染めに興味を持ったという人たちから多くの問い合わせがある。それがきっかけで現地での人の輪が広がったり、各地でのイベントに招かれたりもしている。また、第三章「藍染め教室」で述べたように、こうした記事が藍染め教室に発展するということもある。
 ちなみに、藍染め教室の講師、新井陽子さんがアイコウボウに来るきっかけとなったのは、「資料3」の「ソイ・ソース」の記事ある。
 
アイコウボウ・USA利用者数の推移
 アイコウボウ・USAの活動の中心は藍工房(東京)からの移動教室である。移動教室の参加者は主に藍工房のメンバーとスタッフ、それに、外部から参加するボランティアの人たちである。ここではこの十三年間の移動教室の回数や参加人数の推移について見ていきたい。
 
 これまで移動教室は参加希望者がある程度集まるのを待ち、その都度ツアー計画を組んで実施されてきた。したがって、その年によって移動教室の時期や回数にはばらつきがあり、参加人数もその時々によって異なっている。
「グラフ1」は、アイコウボウが設立された八八年度から二〇〇〇年度までの移動教室の回数の推移を示したものである。これを見ると八八年度から九七年度までの十年間に、だいたい平均して毎年三回の移動教室が行なわれていたことが分かる。それに対し、九八年度以降飛躍的に回数が伸びているのは、この年から日本財団の資金援助が始まり、アイコウボウ・USAの専任スタッフが確保出来るようになったことが大きな要因となっている。
 次に「グラフ2」は、移動教室に参加した人たちの人数をメンバー、ボランティア、留学生、スタッフに色分けして示したものである。移動教室のたびごとに参加人数がまちまちであるため、「グラフ1」とは若干様子が異なったものになっている。特に、九五年度の移動教室は「グラフ1」で見る回数(四回)に比べ、「グラフ2」の参加人数(四十八人)が突出して多かったことが見て取れる。
 九五年といえばアイコウボウがバトルグラウンドに引越した年。家が大きくなってベッド数が増えたこと、場所と環境が変わったことによる目新しさがその理由と考えられる。その後九六年度、九七年度と参加人数が減少するのは、第二章「アイコウボウ経営難」で触れた通りである。九八年度から日本財団の援助が始まり、それ以降持ち直したことによって、全体として何とか右肩上がりが保たれている。
 このように色分けして見ると、改めてアイコウボウがこれまでいかに多くのボランティアによって支えられてきたかがよく分かる。また、九八年度からはスタッフの参加人数も増え、安定した運営がなされていることも見て取れる。
 尚、九六年度以降留学生の利用がないのは、バトルグラウンドの立地、つまり交通の便の悪さが災いしていると思われる。
 
 九八年度以降、日本財団からの支援によってスタッフの常駐が可能となり、アイコウボウは安定した運営を続けてこられた。日本財団からの支援が終了した今、この状態をいかに維持していくか、いかにスタッフを確保していくかがアイコウボウに課せられた今後の課題である。
 
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資料1
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資料2
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資料3
 
グラフ1. 移動教室の回数
 
グラフ2. 利用者数







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