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2003/03/05 読売新聞朝刊
イラク危機・3つの震源 軍事、民族、原油=特集
 
 米国はイラク攻撃に向けて秒読みの態勢に入っている。武力行使を容認する新しい国連安保理決議案が採択されなくても、同盟国有志を率いて、フセイン政権打倒に突き進む構えだ。開戦となれば米国の対イラク戦争は二回目。同盟国との摩擦を生みながらも、ブッシュ政権の威信をかけて対決する背景には、イラクの大量破壊兵器疑惑だけでなく、世界のエネルギーを供給する中東においてイラクという国が持つ戦略的重要性がある。
【軍事】
 ◆中東脅かす潜在力
 湾岸戦争後、経済制裁下にあるイラクの現有戦力は、中東地域最大の脅威とは言い難い。総兵力は約四十二万四千人とイラン・イラク戦争(一九八〇年―八八年)当時に比べて激減。空軍も作戦機三百十六機を持つが、新鋭機のミグ29はわずか十機で、大半はミグ21やミグ23といった旧型機だ。経済制裁のため新たな兵器や補充部品の購入も出来ない。
 だが、米戦略国際問題研究所が「イラクはいまだに、湾岸諸国の中では最も能力の高い軍事力を維持している」と指摘するように、クウェートなど湾岸の小国にとっては、依然として脅威であることは間違いない。さらに、いったん経済制裁が解除されれば、豊富な石油収入や人口規模から、湾岸戦争前のような強大な軍事国家に変身し得る潜在力を持つ。湾岸戦争前の一九八五年時点で比較すると、兵力では中東で最大、軍事支出でも中東屈指の大国だった。
 それに加えて、核・化学・生物兵器といった大量破壊兵器開発のノウハウを持ち、化学兵器は実戦で使用してきた。国際社会と周辺諸国の感じる脅威は、こうしたイラクの潜在力にある。
【民族】
 ◆周辺国の波乱要因に
 イラクの民族・宗教構成は地域ごとに異なる。おおまかには、北部に、国を持たない民族であるクルド人が自治区を形成し、南東部ではイスラム教シーア派アラブ人が、中西部ではイスラム教スンニ派アラブ人が多数を占める。複雑に入り組んだ構成は、イラク攻撃が実行された場合、同じ民族問題などを抱える周辺国家に対して、大きな波乱要因を生み出す可能性をはらんでいる。
 トルコはクルド人の動向を警戒する。トルコ南東部には約千二百万人のクルド人が居住し、一九九九年まで独立闘争を展開した。トルコは、フセイン政権崩壊によってイラクのクルド人に独立機運が高まり、自国のクルド人に波及することを恐れる。また米国などは、シーア派国家・イランが、イラク国内のシーア派への支援を通じ、影響力拡大に乗り出すことを懸念する。
 フセイン政権は、全人口の約30%に過ぎないスンニ派が中枢に位置し、クルド人とシーア派を権力から排除して独裁体制をしいた。米国はイラク攻撃でフセイン政権打倒を狙うが、こうした波乱を警戒して、イラク国家分裂に結び付く動きは極力排除する方針と見られる。
【原油】
 ◆大国の権益が交錯
 イラク危機に世界が注目するのは、イラクのクウェート侵略(一九九〇年)によって、フセイン大統領が中東での勢力拡大を狙っているとの強い疑念が生まれたためだ。世界の原油確認埋蔵量の約65%を占める中東だけに、地域の勢力図を変える動きは国際社会にとって計り知れない戦略的重要性を持つ。
 だが同時に、イラクそのものが、世界第二位の埋蔵量を持つ「石油大国」であることも、イラク問題の重要性を高めている。
 ロシアは九七年、最大手ルクオイルが西クルナ油田(埋蔵量約百五十億バレル)開発契約に調印するなど、権益確保に先行。中国石油天然ガス集団公司(CNPC)はアダブ油田の開発協力で合意、フランスのトタールフィナエルフもマジュヌーン油田の開発権獲得に向け交渉中だ。フセイン政権は、石油利権をエサにこれらの国からイラク支援を得ようとした、との見方もある。
 一時、ロシアが対イラク攻撃を容認する代わりに、米国がロシアの石油権益を保証する米露密約説も飛び交った。だが、フセイン政権は昨年十二月、ロシアとの西クルナ油田開発契約の破棄を表明。石油を軸にした外交は複雑な様相を示している。
◆大量破壊兵器、廃棄の確証なし
 ◇核兵器
 イラクは湾岸戦争前に秘密の核兵器開発を進め、ウラン濃縮施設や研究施設を建設した。国際原子力機関(IAEA)は湾岸戦争後の査察後、一九九八年にすべての核兵器関連設備を破壊したと結論づけた。しかし、昨年からの査察再開で、科学者の自宅から濃縮ウラン関連文書が発見されるなど、技術文書隠匿の疑惑もある。米国の見方では、イラクは今、独自に核爆弾を生産するには数年かかるものの、兵器級核物質を他国から手に入れれば一年以内に開発できるという。
 ◇化学兵器
 イラクの化学兵器は湾岸戦争後の査察で、弾薬四万個、化学剤六百九十トン以上などが廃棄された。しかし、極めて毒性の強い神経ガスVXについて、イラクは試作しただけで九一年夏にすべて廃棄したとしているが、査察の結果、すでに兵器化された形跡もあり、廃棄を裏付ける証拠もない。
 ◇生物兵器
 イラクは湾岸戦争後も生物兵器開発を否定していたが、九五年にフセイン大統領の娘婿フセイン・カメル元工業鉱物資源相が亡命して、その存在を暴露した後に認めた。炭疽(たんそ)菌についてイラクは、八千五百リットル生産し、九一年夏にすべて廃棄したとしているが、説得力のある証拠はなく、申告量以上を生産し、まだ残っていることを示す有力な情報もある。その他ボツリヌス毒素やアフラトキシンなどの疑惑も残る。
 
 ◇イラクが化学兵器を実戦で使用した例=表略
 
 構成写真・図=主な大量破壊兵器関連施設と各国の石油権益
 写真=生物・化学兵器爆弾
 写真=生物兵器工場
 写真=米国が提示した「証拠」〜タジの弾薬庫除去作業
 
 構成写真=フセイン政権の権力構造
 図=イラン・イラク戦争時は軍事大国
 図=中東の“モザイク国家”
 図=原油確認埋蔵量は世界2位
 
 
 
 
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