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2003/03/30 毎日新聞朝刊
[社説]日本の対応 薄ささらけだした安保論議
<イラク戦争と世界>
 米国などによるイラク攻撃に対する日本政府の支持表明は、外交努力にもかかわらず期待が裏切られ続けた結果だった。
 昨年9月、小泉純一郎首相はブッシュ米大統領に「耐えがたきを耐えることも大事」と自制を求めた。大義のない武力攻撃は国民の理解を得られない。武力行使をするにしても国連の決議は必要だというのが基本的考え方だった。
 11月、日本の働きかけもあって、イラク査察についての安保理決議1441が採択されて「国際社会対イラク」の構図ができた。当時武力行使回避の楽観論が政府内には支配的だったが、年を越えて武力行使論が強まった。容認決議を期待したが実現せず、日本にとって最悪のシナリオとなった。
 反戦・平和の国内・国際世論は強い。その上、国際法上強い疑義が持たれた先制攻撃であった。支持の根拠を1441などの決議に求めるのが精いっぱいだった。
 期待のたびに首相には楽観的な見通しが届き、それが次々と裏目に出た。「国際政治は複雑怪奇」「判断はその時の雰囲気次第」という首相発言がそれを物語る。
 武力行使回避から国連決議へ、そして最後は日米同盟重視へと逃げ込んだ半年だった。
 日本政府の選択肢は、日米同盟重視しか残されていなかった。日本の安全保障の生命線がくっきりと浮かんだ瞬間だった。
 だが、米国の同盟国でも支持しなかったカナダなどの国々の対応をみるに、日本外交に多面的、多角的な厚みが欠けていた結果ではなかったか、日本の安全保障の論議を、冷戦後もなおあいまいに終わらせていたツケではないかという印象はどうしても残る。
 平和・国連中心主義を目指す努力が結果的に日米同盟を強くするという視点である。
 日本の安保政策の基本は、憲法と日米同盟の二本立てだ。国連加盟直後から掲げ続けた「国連中心主義」は憲法の平和・国際協調主義に合致していた。
 国連が機能停止状態の冷戦時代は、米国に日本の安全を依存しながら、理想主義的な国連中心主義を主張してもそごはなかった。
 冷戦終結後、国連中心の国際協調によって紛争解決や秩序を図る機能が期待された。湾岸戦争の多国籍軍編成や日本の国連平和維持活動協力法などがそれだ。だが、この国連中心主義は日米同盟堅持の枠内が実態だった。ここから来る限界が今回表れたといえる。
 日本にとってイラク問題は、北朝鮮の核開発問題と重なって日本の安全保障のあり方を考え直す契機となった。
 日本は80年代初め、国連非常任理事国として、イスラエル非難決議に賛成するなど、米国とはひと味違った独自の中東政策を持つ。武器禁輸三原則は日本の国是だ。対人地雷廃棄では主導的な役割を果たしている。重傷を負った国連の機能回復や平和・国際協調の方策を再検討しなければならない。
 
 
 
 
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