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基調講演
地球学の視点からみた−人口問題−
松井 孝典
東京大学教授・地球物理学
 
プロフィール
松井 孝典<まつい・たかふみ>
1946年 静岡県生まれ
理学博士
<現職> 東京大学大学院新領域創成科学研究科・教授
<学歴> 東京大学大学院理学系研究科地球物理学専攻博士課程修了
<職歴> NASAの月惑星科学研究所招聘研究員、東京大学理学部助手、米国マサチューセッツ工科大学招聘科学者、東京大学大学院理学系研究科助教授
<主な著書> 「地球・宇宙そして人間」1987年徳間書店、「地球・誕生と進化の謎」1990年講談社、「宇宙誌」1993年徳間書店、「地球倫理へ」1995年岩波書店、「惑星科学入門」1996年講談社、「巨大隕石の衝突」1997年PHP出版、「地球の哲学」(共著)1998年PHP出版、「地球文明の寿命」(共著)2001年PHP出版 ほか多数
 
 ただ今、ご紹介にあずかりました東京大学の松井です。私はたまたま先々週1週間ほどヒューストンで開かれておりました、「月惑星科学会議」に出席しておりました。この会議はアポロ計画による月探査のときに始まった会議であり、今年で33回目です。太陽系という、私達の地球が属する宇宙の構造がどのようにして生まれて、どのように進化しているのかに関するさまざまな問題を議論するための学会です。ヒューストンでこの会議に出席し、その後、メキシコのモンテレーの会議に参加いたしました。その会議は国連が主催する開発途上国の支援会議に関連して、地元の10近くの大学が共催した、“発展のための教育”をテーマとした会議です。その会議に招かれて、人類がそして途上国がこれから発展していく上で、教育とか研究がどういう意味を持つのかについての議論に参加しておりました。
 
 そして今週は、こういう人口問題のフォーラムで基調講演を行っております。私は、今お話ししたことからもわかるように、別に人口問題の専門家ではありません。宇宙において、地球のように生命を育む星が、どのようにして生まれ、どのように進化しているのか、ということを研究しています。いわゆる自然科学分野の研究をしている自然科学者です。特に、ここ5年ほどは、アストロバイオロジーという、全く新しい21世紀の科学・学問分野を立ち上げようと、努力しているところです。
 このアストロバイオロジーという学問は、実は今日のテーマに非常に深く関わっています。アストロバイオロジーでは、我々のような知的生命体とそしてこの地球上にいる生命が、どこから来て、どこへ行くのか、が学問の目標の1つとして掲げられています。ですから、今日のテーマである、「人類生存の条件と人類社会の未来」が、研究目標の大きなテーマになっているのです。この新しい自然科学を立ち上げようと努力しているところです。
 
 アストロバイオロジーとは3年ほど前に、アメリカのNASAが命名して始まった全く新しい、21世紀の研究分野です。その目的は今述べましたように、我々はどこから来て、どこに行くのか。また、我々は宇宙で普遍的な存在か、地球だけに我々がいるのか、それとも、この宇宙に知的生命体は、あまねく存在するのかと、そういうことが研究テーマです。
 
 従来の、いわゆる20世紀までの自然科学は、基本的には、2つの考え方から成り立っています。1つは二元論と申しますが、人間と自然を分けて考える考え方です。この考え方は人間と自然は完全に切り離されているという考え方を前提にして、自然の中のいろいろな問題を考えます。人間は自然という客体を認識する主体であるというのが、この二元論という立場です。
 
 それからもう1つは、自然と人間とを切り離した上で、考える対象をより細かな枠組みをとって考えていこうとする考え方です。考えるべき対象の枠をより細かくとっていくことで、問題の性質が非常にはっきりしてくるわけです。細かい枠の中で問題をはっきりさせて、その問題を解いていこうというのが、20世紀までの自然科学の基本的な考え方です。このような考え方のもとに近代科学が発展してきました。
 
 私自身も、先程述べたようなテーマについて、基本的にはこのような考え方に基づいて従来から研究を続けてきました。ところが、こういう考え方が、もはや成立しない分野が出てきました。例えば、この公開フォーラムで取り上げられているような人口問題や、人類社会の未来みたいな問題を考えるときに、我々はこの地球の上にいるわけですが、その地球の上で我々の存在が、自然から全く切り離されているかというと、そんなことはないわけです。それがまさに地球環境問題であり、資源エネルギー問題であり、食料問題であり、人口問題です。
 
 したがってこれまでの二元論的な認識が考え方の基本として成り立つのかということに関して、非常に巨視的(マクロ)なレベルでも、ミクロな世界と同様に非常に大きな疑問が生じてきています。ミクロな世界では20世紀初めに、既にこういった疑問が認識されています。量子力学という非常にミクロな世界を対象とする研究分野では、我々の観測という行為が観測される自然という対象の状態に影響を及ぼしてしまう。いわゆる「観測者問題」が知られていたわけですが、そういう問題を通して、この二元論がもはや成立しないということが明らかになっていました。
 加えて、20世紀の後半になって、要素還元主義的に、全体の中で、要素を細かくとっていくことによって、物事を明確にしていくという考え方では、全体そのものの理解が十分にできるのだろうかという、疑問が生じてきたわけです。例えば、カオスであるとか、あるいは、複雑系と呼ばれるような分野が、新しい科学として登場してきました。これまでのように対象を要素にどんどん細かく分けていって、その要素の性質を明らかにしても、要素の組み合わせである全体は、その要素を単に足し合わせるだけでは、表現できないということがわかってきました。いろいろな意味で、20世紀的な物の考え方だけでは自然を理解するのに不十分で、もはや限界に達しているということが、明らかになってきています。
 
 その中で、「我々とは何か」とか、「我々はどこから来てどこに行くのか」、あるいはこの地球の上で、「人類社会の未来」とか「人口問題」とか、いろいろな問題を総合的に考えなければいけなくなってきました。こういう問題をどう考えたらよいのかについて、それを考える新しい方法論まで含めて、いろいろ試行錯誤していこうというのが、このアストロバイオロジーという学問分野です。
 私が今日、お話ししようと思っておりますのは、そういう立場から見たときに、このフォーラムのテーマをどのように考えたらいいのかということです。アストロバイオロジーという、NASAが命名した名称を用いたのですが、私自身は、既に10年ぐらい前から、同じような発想に基づく総合的な学問分野を地球学と呼んできました。自然科学者の立場から、人類とか文明とかに関わる問題を、どのように考えたらいいのかということで、地球学と呼ばれる新しい学問分野、あるいは知の体系を構築すべきだと思って、そのような試みを続けてきました。
 
 地球学という名称を、たまたま、地球という、我々と自然を含めた対象としての地球と、もう1つは、知を求めるという知求とをかけて、「地球(知求)学」と称してきたわけです。英語としては、ジオコスモロジーと表現してきました。その主旨は、全体を、その全体の中に含まれている我々も含めてですが、その全体の中での我々の存在をどういうふうに考えていったらよいのかということを、考えていきたいということです。
 
 その考え方としては、まだそのような考え方が提案されているわけではないのですが、私がとりあえず採用しているのは、システムというものの見方と、もう1つは歴史という視点です。システムは、全体をとらえる見方の1つですし、歴史はもともとこれを要素に分けても意味がない。いずれも全体が意味を持っているという点から、とりあえずシステムと歴史という点から問題を考えていこうということです。
 
 そういう視点から、まず、現状認識として、現在の我々は、この地球の上でどういう存在なのかを述べておきたいと思います。現在の我々の存在に関して一番大きな特徴は、宇宙から見て、「見える存在」になっているということだと思っています。例えば、宇宙から夜の地球を見ると、そこに皓々と光輝く、光の海みたいなものが見えます。つまり現在、我々は、字宙から見て見える存在になっているのであり、こういう存在をどのように考えたらいいのかという問題です。
 従来からの人間論は2つあったと思います。1つは、今日の後半のほうでも数多く関連する話が出てくるかと思いますが、生物学的な意味での人間、生物の種の1つであるという意味での人間論があり得るわけです。それから、もう1つは、“我思うゆえに我あり”ということで、従来から言われている哲学的な人間論、認識主体としての我々が、どういう存在であるのかという、この立場からの人間についての議論があったと思います。
 
 ところが、今言ったように、宇宙から見て見える存在である我々を、生物学的な人間論、あるいは哲学的な人間論で議論できるかというと、なかなか難しいのではないかと思います。そこには全く新しい議論の立て方が必要なのではないかと考えているのです。
 
 人間が宇宙から見て見える存在であるということは、これは単に光という可視光で見て、見える存在であるということだけではありません。これ以外に、近くの銀河系の中にある星から太陽系の方に電波を向けていれば、実は、光ではなく、いわゆる電磁波でも、我々の存在は認識できます。ですから、それらの星からも、知的生命体が地球にいるということが認識できるわけです。こういったことも含めて、宇宙から見て見える存在である我々をどのように考えるかということを、まず考えてみたいと思います。宇宙から見ると地球という星は1つのシステムであると考えることができます。システムとは、いろいろな構成要素からなり、その構成要素の集合体として、全体というシステムが定義できるということです。人間が宇宙から見て見える存在であるということは、実は地球というシステムの構成要素になっている、ということがわかることです。
 
 地球というシステムを構成する要素は何か? 地球をつくるさまざまな物質圏があります。大気であるとか、海であるとか、大陸地殻であるとか、マントルであるとか、コアであるとか、こういうものを構成要素と考えることができます。それから生物が地球の表面付近で、生物圏という1つの物質圏をつくっています。例えば、土壌は複雑な有機物を含み有機物という物質圏を構成しています。この土壌や森林、草原などの有機物からなる物質圏を1つにまとめて例えば生物圏という構成要素が定義できます。私達人類も現在は、大気や海や地殻や生物圏と同じように1つの物質圏、すなわち構成要素をつくって生きているといえます。その結果、宇宙から見ると見えます。こういう我々の存在のことを生物圏とか、大気圏とか、そういうものにならって、人間圏と名づけています。これは造語で、英語がないのですが、私自身はホモ・スフィアーとか、ヒュマン・スフィアーと呼んでいます。
 
 実は、1万年前以降の我々人類は、それまでの人類と大きく異なり、地球の上で「人間圏をつくって生きる存在である」ということです。ですから、人類社会の未来とは、私の言葉で言えば、人間圏の未来という言い方になります。
 
 “人類社会”とか、従来の皆さんが普通に使っている“世界”という用語と人間圏とでは何が違うのか、疑問を持たれると思うのですが、実は、これは非常に単純なことです。皆さんは、地球の上にいて、その人間圏の内部から人間圏を見て、「人類社会」であるとか、「世界」であるとか表現しているのです。私は宇宙からそれを見て、外部から見て、その皆さんの住んでいる世界のことを人間圏と呼んでいると思えばよいのです。
 
 この立場の違いは、人間をとらえる視点としてどういうところにその違いが現れてくるか?人間圏というとらえ方をすることで必然的に、私達人類が地球という星の構成要素の1つであるという認識が生まれてきます。この認識を持てば、人間圏も他の構成要素と同じく地球システムの中にそれが成立する境界条件があって、存在するということがわかるわけです。つまりこの境界条件の中で、我々が存在しているという認識になります。これを皆さんは「世界」と呼び、「人類社会」と呼び、その中に国があり、いろいろな地域があると考えているのです。これらは私の視点から言いますと、人間圏の中の内部構造であるということになります。その人間圏の内部構造をつくるユニットが、例えば、国家です。人間圏は、そういうユニットからなる、1つのシステムであるということになります。
 
 これは単に言葉を言い換えているだけである、と思われるかもしれませんが、視点の違いは、全く違った認識をもたらします。例えば、歴史的に言いますと、人類は500万年ぐらい前からこの地球の上に存在しています。これは、化石で確かめられていることです。この500万年ぐらい前から存在している人類と今の我々とは生物学的な意味では関連しているのですが、その存在の意味はだいぶ違っています。
 
 このような比較の問題を考えるときに、この視点の違いが非常に大きく影響してきます。私の視点で言いますと、500万年前から1万年ぐらい前まで人類が狩猟採集という生き方をしている間は、実は人間圏というような構成要素は存在しなかったといえます。我々は生物圏の中の種の1つとして存在したという認識になるわけです。生物圏の中の種の1つとして存在するということは、地球というスケールからみれば、他の動物とその存在の意味は全く変わらないわけです。







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