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中国における貧困対策と都市化
 
●国立社会保障・人口問題研究所人口動向研究部
厚生労働技官
佐々井 司
ビルが林立する上海
 
 中国では国民全体の所得水準が急速に向上する一方で、職業間、地域間の経済格差が拡がる傾向がみられる。なかでも、成長から取り残された貧困問題は、社会の安定と持続可能な成長を維持するためにも早急に解決が求められる政治的課題となっている。
 一九七〇年代後半から始まった改革開放政策は、試行錯誤の中で確実に中国の経済成長を促し、過去十年間平均で一〇%、二〇〇一年は七・三%と急速な成長を続けている。GDP一・一五兆ドル(=日本の約五分の一、二〇〇一年)はフランスに次いで世界第六位、一人あたりのGDPを八五五ドルにまで押し上げた。?小平の唱えた「先富論」が象徴するように、豊かになれる条件を備えた人や地域から豊かになろうというスローガンの下で、沿海地域、特に上海、北京、広州等の大都市とその周辺地域はその有利な条件を生かし劇的な発展を遂げている。しかし、その一方で生活水準や社会開発にみられる格差は、都市と農村間、沿海地域と内陸地域で拡大しつつある。沿海地域に属する上海の一人当りのGDPは三、二八四ドルとブラジルに匹敵する水準だが、内陸地域の貴州省では同三四〇ドルとケニア、タンザニアと同水準である。また経済成長率も一般に沿海地域のほうが高く、格差は年々拡がる傾向にある。なかでも全体の成長から大きく遅れをとり基本的な生活が困難とされる“貧困”階層(注)に属する人口は農村と都市を合わせると約五八○○万人(二〇〇〇年)存在するとされる。
 所得格差と貧困は、中国のみならず世界各国において共通の問題である、しかし、中国の場合、その格差が中国国家成立直後から採られてきた諸制度に起因しており、他の国々の状況と比べて貧富の格差に大きな開きがあることが問題である。
 本稿では、中国における所得格差および貧困形成の経緯と現状を整理し、貧困対策における都市化との関連について概観する。
 
所得格差の要因
 都市と農村間、工業と農業間および沿海部と内陸部の対立が生み出す格差を是正するために実施されてきた諸施策、諸制度が長期的な経済効率の低迷を招き、結果的に所得格差を固定化してきた。
 
佐々井司(ささいつかさ)
1966年大阪府生まれ
〈現職〉国立社会保障・人口問題研究所人口動向研究部厚生労働技官。
〈学歴〉神戸大学大学院工学研究科修了。
〈中国に関する主な著書〉
「中国における高齢者福祉と居住問題」『海外社会保障情報』No.116、1996年
「中国における人口流動と社会変動」『人口と開発』No.59、1997年
「新たな都市建設に挑む上海―マイナス成長下の人口政策」『人口と開発』No.72、2000年他。
 
工業と農業、都市と農村
 社会主義計画経済下の中国では、都市と農村の経済システムは政策によりほぼ完全にコントロールされていた。若干の工業やサービス業を除けば、農村では大半が農業を営み、都市では国営企業を中心とした第二次産業、特に国営工業が過度に集中する構造となっている。政府は工業発展、特に重工業建設を重視し、農業の余剰資金は農村への再投資と農民所得の向上のためにではなく、工業資本の蓄積と都市建設に回すと同時に、農業生産物の買い上げ価格と農民の所得を人為的に低く抑え、工業生産物の価格と工業部門の労働者の賃金を実際の労働生産性よりも高く維持してきた。この政策的措置により、工業と農業あるいは都市と農村間の所得格差は、実質労働生産性の違いから生じる本来の格差よりも大きく保たれてきた。
 文化大革命が終わり、経済体制改革が始動する一九七〇年代後半以降、所得格差の動向に大きな変化が生じた。市場経済への移行期にあたる一九七八〜九〇年の時期に、まず農村における改革が都市に先行して行われた。政府は、農作物の政府買い付け価格を大幅に引き上げると同時に、人民公社を解体し、自己裁量を発揮できるようになった農民に対して市場での農作物販売枠を徐々に拡大すると同時に、農業収入の上昇を図った。この政策により、農民のインセンティブを高め、農業の生産性を高めることに成功した。また、農村内で工業(郷鎮企業)を興すことを奨励する政策をとることで、これまで潜在化していた農村の余剰労働力を農村にいながら工業部門へと移転することにより、農業自体の労働生産性を高めるとともに、農業よりも生産効率の高い工業部門のシェアを農村内部で高めることにより、農村全体の所得向上につながった。これら一連の農村改革によって一九八○年代半ばごろまで農民一人あたりの所得は上昇し、都市部との格差は縮まった。
 しかし、一九八四年に都市での改革が本格化すると、格差は再び拡がり始める。企業自主権の拡大、国営企業改革に伴う非国有部門の勃興、工業生産性の向上により、工業収入割合の高い都市部が農村部との差を拡げていった。その後、天安門事件での混乱をきっかけとして国際的孤立、マクロ経済の不安定化、改革開放路線の後退が生じ、一九八九〜九一年にはその影響を最も強く受けた沿海都市およびその近郊で成長が低迷し、都市・農村格差は一時縮小しものの、一九九二年の?小平による南方視察、続く中国共産党第十四回党大会における「社会主義市場経済体制の確立」の提起を基に、再び都市部の経済活動は活況を呈する。近年、工業、農業の労働生産性はともに上昇しているものの、工業の成長率は農業のそれをはるかに上回っており、所得格差も拡がる傾向にある。(図1)
 
図1 都市と農村における一人あたり収入の推移
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〈中国統計年鑑2001年版より作成〉
 
沿海地域と内陸地域
 地理的な側面に注目すると、自然条件の違いに加えて歴史的政策的に形成された構造的な要因から、沿海地域と中部・西部地域間の地域経済格差が生じている。中華人民共和国成立以前の工業の地域分布は著しく不均衡であり、一九四九年時点では、全国の鉱工業生産額の七七%が国土面積の一二%未満の東部沿海地域に集中していた。第一次五ヵ年計画(一九五三〜五七年)開始にあたって、政府は地域開発の目的を、(1)工業生産力の全国各地への適切な配置、(2)工業立地における原材料・エネルギー生産地と製品消費地の接近、(3)国防面の考慮などの原則をもとに、従来の不均衡な産業配置を徐々に改め、同時に遅れている内陸地域の経済・生活レベルを向上させると規定している。この政策方針に従い、中部・西部地域への重点的な国家投資の配分と工業建設が始まり、旧ソ連の援助による重点プロジェクトと大型投資プロジェクトを中心に、工業建設の中心は冶金、電力、石炭、石油、非鉄金属、機械など重化学工業に置かれた。一九六六年からの文化大革命期には、アメリカ合衆国との対立に加えて、中ソ論争の後険悪となったソ連との軍事対決の可能性を考慮した国防上の観点から、沿海地域の「一線」や平野部の「二線」に対比させ、「三線」と呼ばれた西南・西北の内陸地域の軍需工業体系を整備して「戦略的大後方」を確立する「三線建設」が経済政策の最重点課題となった。三線建設によって、西部を中心とする内陸地域に多くの工業設備や新規の工業基地が建設され、重工業を主軸とする産業構造が形成された。しかし、国防目的を第一義的に掲げた開発という性格から、経済的合理性に対する配慮がほとんど払われなかった。
 一九七八年の改革・開放政策以降、国際環境の改善を背景に、対外開放に有利で投資効率の高い沿海地域に開発政策の重点が置かれた。沿海地域の農村では成長する都市部市場を後背地として郷鎮企業や私営企業等の非国有企業が増大した。また農業分野にも波及効果は及び、その生産規模、生産効率ともに伸び、沿海地域の農村所得は大幅に改善した。一方、沿海地域における発展の波及効果は期待通りに内陸地域には及ばなかった。農村企業の成長は沿海地域と内陸地域の双方において進んだが、規模や効率面で沿海地域の優位が明らかとなった。沿海地域の発展による内陸地域への波及効果は期待通りに起こらず、格差拡大の傾向は一層強まった。(図2)
 
図2 国民総生産
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〈中国統計年鑑2001年版より作成〉
 
人口移動と戸籍制度
 都市と農村、沿海と内陸間の格差を固定してきた原因の一つが戸籍制度である。中国では農民の都市への移動が一九五〇年代に制定された諸制度によって厳格にコントロールされている。政府は、都市運営上のコストを抑制するために都市戸籍保有者のみが食・職・住などの多方面にわたる保障を受けることを許されるシステムを構築した。生産性の低い農業部門ではすべての農民を吸収できず、大量の余剰労働力を生み出し、さらに労働生産性を下げるという悪循環であった。農村の都市化が戸籍上で容認される契機となったのは、農村改革が本格化し郷鎮企業が増加を始める一九八四年に発令された「関与農民到集鎮落戸的通知(集鎮(町)への農民の戸籍移転に関する通知)」で、これにより農民は食糧の自弁を条件に集鎮戸籍という非農村戸籍を得ることが可能となった。自由市場の活発化により形骸化していた食糧配給制も一九九二年から九三年にかけて全国の都市で廃止された。一方、沿海部大中都市では、厳しい管理制度にもかかわらず経済成長にともなって農村からの出稼ぎ者の流入が相次ぎ、一九八五年三ヶ月以上住む農村労働者に「暫住戸籍」を交付するなどして、その管理を試みた。農村からの大中都市への出稼ぎ者は、概して農村内での所得や教育水準の高い若者であり、流出地域は政府の強いサポートのある四川省を除くと、その多くが沿海地域近縁の省に分布している。内陸地域からの沿海都市部への流入は極めて限られている。近年の農村から都市への人口移動は政策的に阻止しきれない規模に膨らむと同時に、その性格も多様化してきていることから、都市の保護を目的とした戸籍制度と都市化抑制は大きな転換期を迎えている。
 
図3 都市人口割合
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図4 都市における可処分所得
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図5 農村における一人あたりの純収入
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〈中国統計年鑑2001年版より作成〉







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