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2 財政危機下における地方自治体の政策過程
(1)はじめに
 市町村合併の必要性が主張されるとき、財政の困窮という現実的な課題とともに、地方自治体の対応能力の拡大という将来へ向けた課題がうたわれる。しかしながら、市町村合併によって新たに形成されるより規模の大きな自治体組織が、地方自治体の直面する諸課題に対して、どのような対応力をつけることができるのかについて、実証的な命題が蓄積されているというわけではない。市町村合併の必要性に対する懐疑が提示され続けていることは、地方自治体が現在の地方財政制度の維持可能性に対して楽観的であり、危機認識を欠くという点に加えて、合併後にどのような組織能力が獲得されるのかについて共通の了解が成立していないという点にも起因すると考えられよう。
 市町村が処理しなければならない事務は、質的にもまた量的にも、戦後、拡大の一途をたどった。戦後直後の新制中学校の設立は、市町村の財政危機を生じさせ、昭和の大合併を引き起こした。その後も、国民健康保険制度、介護保険、住民基本台帳ネットワークの管理といった事務が、新しい政策の成立とともに、付加されてきた。このようにして、市町村能力の格差が俎上にのることのないまま、市町村がフル・セットで行なわなければならない事務は、拡大してきた。組織規模のもたらす効果は、戦後の制度的な枠組みの拡大に際しては、等閑視されてきたのである。
 本稿は、事務の画一化と自治体の組織規模による事実上の多様性という、規範の要請と実態の相反が、どのような関係を各組織内部において構築しているのかを分析しようとする。組織規模の拡大は、自治体の対応能力に関してどのような影響を与えているのか、さらに、組織内部の政策過程をどのように変容させてゆくのか。この2つの問いに対して、自治体に対するアンケート調査をもとに実証的に答えようとする。
 
(2)分析の枠組み
 以下の分析においては、地方自治体の複数の政策領域における政策過程と、これを産出している構造との2つのリンクを扱う。
 この政策過程と政策構造との関係は、双方的なものである。
 まず、地方自治体における政策構造とは、個々の政策過程の束として現れるという側面がある。他方で、この個々の政策過程は、組織内部にビルトインされた構造から生み出されてゆくという側面がある。
 このような地方自治体における政策をめぐる構造と過程とをアンケート調査を下にして分析を行う。調査の概要及び回収の状況は、以下の図表2-2-7及び図表2-2-8にまとめてある。
 
図表2−2−7 調査概要
  調査概要
(1)調査名 地方公共団体における環境変化と組織対応に関する調査
(2)調査主体 東京大学大学院法学政治学研究科 森田朗研究室
(3)調査協力機関 財団法人地方自治研究機構 調査研究部
(4)調査方法 郵送による配布・回収方式による悉皆調査
(5)調査対象 全地方自治体(3,299団体)の企画担当課
(6)実施時期 2000年2月25日頃発送、同3月15日返送締め切り
 
図表2−2−8 回収の状況
団体区分 対象団体数 回収団体数 回収率
都道府県 47 37 78.72%
政令指定都市 12 3 25.00%
中核市 27 26 96.30%
その他の市 632 405 64.08%
特別区 23 18 78.26%
町村 2,558 1,407 55.00%
総計 3,299 1,896 57.47%
 
以下では、分析の大きなフレームとして、個々の地方自治体の置かれた環境、地方自治体の組織構造、さらに、個別の政策の過程の3つのブロックを想定している。これらの環境、構造、過程の3つの相互関係を明らかにすることが、分析の主要な目的である。
 第一の環境としては、大きく4つの変数群から構成されるものとして考えている。
 第一は、地方自治体の政治的な環境に関わる変数群である。
具体的には、首長の任期、議会と首長との関係、首長の政治的イデオロギー等を取り上げている。
 第二は、地方自治体の置かれた社会的・経済的な変数群である。社会経済のニーズによって個々の自治体が影響を受けるという点は、1960年代の政策アウトプット分析によって広く支持されてきた命題である。以下の分析では、自治体の人口増加率、労働年齢人口の比率といった変数を分析に加えている。
 第三は、自治体の組織資源に関わる変数群である。これらは、短期的には所与として扱うことができる。自治体組織の職員数、さらには、財政力指数で計ることのできる組織スラックスなどを分析に加えた。
 第四は、個々の自治体の団体特性に関する変数である。都道府県、及び、政令指定市、市町村、特別区等、その団体の特性に応じて、権限が異なっている。この違いをコントロールするために、団体特性に関わる変数をダミー変数として分析に加えている。
 第二の変数ブロックとしては、組織のインフォーマルな構造を取り上げている。地方自治体の環境特性が、組織のインフォーマルな構造をどのように規定しているのかを明らかにすることが、ここでの目的となっている。
 第一の変数群としては、政策サイクルの中で、どのフェイズを得意としているのかに関するものである。政策的な課題の設定、政策の立案、執行、さらにその評価という一連の政策サイクルにおける過程の中で、どのフェイズがうまくいっているのか、また逆にどのフェイズが不十分と感じているのかを問うている。
 第二の変数群は、自治体組織内部における影響力構造に関する変数である。政策策定に関与するアクターごとに、どのような影響力があると認識されているのか、さらに、全体の影響力分布がどのようになっているのかを問うている。
 第三の変数群は、政策過程に関与するアクターの能力に関する認識である。特定のアクターにこれが集中しているのか、また、政策形成などに関するアクターの能力が広く分有されているのか否かを問うている。
 特に、地方自治体における政策の革新に関する近年の議論は、首長という組織の長であると同時に政治的主体でもあるアクターの指導力が、決定的な影響力を持っているのではないかというかたちで展開されている。
他方で、1960年代の新人間関係学派の基本的な仮説は、これとは逆に、組織内部における影響力が広く分散するとともに、個々のアクターが積極的に関与するという構造において、組織のパーフォーマンスが高まるというものであった。
この対立する2つの考えのどちらが、日本の地方自治体という組織において妥当するのかを検証することが、ここでの一つの作業となる。
 分析における第三のブロックは、個々の政策過程に関する変数から構成されている。
 まず、各地方自治体においてどのような政策課題を重要なものと認識しているのか、その組織の課題設定におけるフィルターを分析の対象としている。
 次に、重要と認識された政策課題ごとに、その組織内部における展開がどのような過程を辿るのかを分析する。
具体的には、この課題は、誰がどのような情報源に基づいて重要であると認識したのか、また、その課題に対応するための組織の調整コストはどのようなものであったのか、さらに、この課題の解決のためにどのような政策手段を採用したのか、最後に、その対応の結果をどのように評価しているのか、という項目に関して回答を求めている。
 以上述べてきた分析の方向性については、以下の図表2−2−9に集約される。
 
図表2−2−9 分析の枠組み
 
 これらの政策課題ごとの過程に関する分析は、この課題を重要と答えた組織について行っている。そのため、ここで扱われる一連の変数は、センサリング・データとなっている。このセンサリング・データの処理を以下の分析では適切に扱う必要がある。







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