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船の科学館 資料ガイド3 南極観測船 宗谷

 事業名 海事科学知識の普及啓蒙活動
 団体名 日本海事科学振興財団 注目度注目度5


南極観測船への道のり
 少し時計の針を戻しましょう。昭和30年(1955)2月のことです。朝日新聞社は、「北極と南極」という連載記事を本紙で開始したことから、国際的な地球観測の動向と、各国が競って南極観測の計画を進めていることを知ります。
 これは、地球上で起きるさまざまな現象を検証するため、世界の国々が協力して同時期に地球を調べようという試みで、「国際地球観測年」(IGY)と呼ばれ、過去2回開催、第3回目が昭和32〜33年(1957〜58)に開催されることとなって、各国はこれを目指していたのです。
 6月には、「国際地球観測年(IGY)特別委員会」が設けられ、各国の南極計画はこの委員会の「南極会議」で検討されることとなり、第1回目の会議が7月にパリで開催されることになりました。
 わが国はこの第1回「南極会議」に文書で南極観測参加の意志を伝えるとともに、次回9月にブリュッセルで開催される第2回「南極会議で決定される南極観測計画に、具体的なプランを提示して是非ともわが国も南極観測計画に加わろうという気運が高まってきました。しかし、南極観測に正式に参加するには、政府の決定、巨額の国家予算の捻出(ねんしゅつ)、南極観測に用いる砕氷船の調達などさまざまな難問が山積みです。
 この計画を聞いていち早く賛同したのが、日本学術会議の茅誠司(かやせいじ)会長でした。7月中旬茅会長は直ちに運輸省(現:国土交通省)の海上保安庁を訪れ、島居辰次郎(しますえたつじろう)長官に直接会って、「9月に開催予定の国際会議でわが国も南極観測に参加することとしたいが協力をお願いしたい」と要請します。
 島居長官はことの重大さに驚きましたが、非常に困難でしかも危険が伴うこととはいえ海上保安庁全職員も賛同してくれることを確信して、茅会長の要請を受けることとします。
 このころ、南極観測に使用する船は外国の砕氷船でも用船すればいいといった考えもありましたが、よく調査すると用船できる適当な船はなく、また新造するには建造費及び建造期間の点から不可能、結局国内にあって改造可能な船を検討する中で、耐氷構造の“宗谷”が候補に浮上してきました。
 茅会長と島居長官が基本方針を確認した後、大蔵省が南極観測の輸送業務について説明を求めてきます。海上保安庁は、南極観測のための船を新造することは費用も高額になり期間的にも間に合わないこと、改造可能な船の候補として“宗谷”があるが南極観測船への転用については大改造を要することなどを回答しました。なお、他に砕氷能力がある鉄道連絡船“宗谷丸”(3,593総トン)も候補にあげられましたが、観測船には適さないとの結論に達しました。
 一方、茅会長は引き続き、文部省(現:文部科学省)の松村謙三(まつむらけんぞう)大臣を訪ねます。松村大臣は「戦争に敗れ、意気消沈(いきしょうちん)している時、こうしたことをやらなければだめだ!」と賛意を示し協力を約束します。
 こうした素早い対応によって南極観測計画の骨子は固まり、第2回「南極会議」に参加する日本代表も、東京大学永田武(ながたたけし)教授らと決まりました。
 
談笑する、“宗谷”松本船長(左)と永田観測隊長(右)
 
わが国初の南極探検を成功させた白瀬隊長
 
 9月8日、いよいよブリュッセルで第2回「南極会議」が始まりました。会議初日永田教授は、わが国の白瀬(しらせ)南極探検隊など過去の実績を語り日本が南極観測に参加する意思があることを表明しました。しかし、会場に集まった各国の反応は冷淡なものでした。太平洋戦争における遺恨(いこん)をもつ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリスなどの代表が次々と反対意見を述べ、「日本には、まだ国際社会に復帰する資格などない!」との手厳しい発言すら出たのです。
 永田教授は、会場を見渡しました。そこに集まった100人ほどの出席者は総て白人であり、それも第二次世界大戦の戦勝国ばかりだったのです。永田教授は、グッと唇をかみしめました。
 会議最終日、日本の南極観測参加について再討議され、再び強い反対意見が一部から出されたものの、アメリカとソ連の賛同を得てかろうじて賛成多数となり、わが国の参加が承認されることとなりました。また、この時各国の観測基地の具体的な割り当ても行われましたが、日本が提案し承認されたプリンス・ハラルド海岸は人跡未踏(じんせきみとう)の地で、接岸不能とまでいわれた南極の空白地帯だったのです。
 本当に大変なのはこれからでした。
 そして11月4日には、南極観測に参加することが正式に閣議(かくぎ)決定、文部省内には「南極地域観測統合推進本部」が設置されて、一般国民の南極観測への関心はにわかに高まってきたのでした。
 かねてより今回の南極観測事業を推進してきた朝日新聞社も、社告をもつて南極観測事業に1億円を提供することを公表するとともに、広く一般国民に募金を呼びかけます。これには、小中学生を含む多くの人々が応え、企業献金なども含めて“宗谷”が出港するまでに集まった寄付金総額は1億4,500万円にも達しました。
 
募金活動には小中学生をはじめ多くの人々が応えた 
写真提供:朝日新聞社
 
 一方、“宗谷”の南極観測船への改造は、海上保安庁船舶技術部の水品政雄(みずしなまさお)部長を中心に基本計画の立案作業が行われました。計画の要点は“宗谷”を砕氷能力1メートルの砕氷船に改造して南極往復を可能とすることで、以下の6点の方針を決めました。
(1) 両舷(りょうげん)にバルジを設け、船体を二重外板にするとともに復原力を増す。
(2) 船首部は板厚25ミリの鋼板製で喫水線に対し傾斜角27度の新船首とし、他の主要外板も旧外板との合計板厚が25ミリとなるよう二重張りとする。
(3) 主機械は、2,400馬力ディーゼル・エンジン2機とし、2軸推進とする。
(4) 航続距離10,000海里、連続行動60日分の燃料と清水を搭載する。
(5) 乗組員、観測隊員130名が乗船し、観測資材400トンを搭載する。
(6) 小型ヘリコプター2機の格納庫及びヘリ甲板とセスナ機の架台を設ける。
 “宗谷”は、11月24日より三菱重工業横浜造船所のドックに入り、線図などの基本図面制作や金属材料の分析など各種の調査工事を開始しました。
 続いて、海上保安庁内に改造工事計画のより具体的な内容を審議する「宗谷設計審議会」が設けられました。この、運輸大臣も参加して開催された第1回審議会の冒頭において、水品部長は、「観測船として“宗谷”で良いのか疑念がある。“宗谷”の出し得る砕氷能力は1メートルが限界で、この砕氷能力で十分であるとの確たる根拠はない。しかし、これはわが国の国力の限界として決定されたのであり、我々はこの能力で最善を尽くそうと思っている」と語ったのです。南極への道のりはまたまだ遠く、そして険しい(けわしい)ものでした。
 船長や観測隊長の人選については、第2回南極地域観測統合推進本部総会において“宗谷”船長に松本満次(まつもとみつじ)二等海上保安監、観測隊長にブリュッセルの国際会議にも出席した永田教授が決定しました。また、観測隊副隊長には冬山登山のベテランで京都大学の西堀栄三郎(にしぼりえいざぶろう)教授が指名され、以降設営関係の準備を進めることとなりました。西堀教授は生涯にたった一つ、あの“雪よ、岩よ、われらがやどり〜”に始まる「雪山讃歌(ゆさやまさんか)」を作詞した人でもありました。
 最後の重要な問題は、“宗谷”の改造工事をはたしてどの造船所が引き受けてくれるのか・・・、という点でした。当時、造船ブームから新造船の建造に忙しい大手造船会社は、前例のない中古船の砕氷船への改造工事を、しかも少ない予算で急いで(いそいで)行わなければならないと知って敬遠していました。
 昭和31年(1956)2月14日に行われた“宗谷”改造工事の入札で、最低価格を提示したのは修理工事を専門に行う日本鋼管浅野船渠(あさのドック)という会社でした。それでも、提示価格は予算を大きく上回り交渉は難航したのですが、なんとか予算内で契約することができました。
 こうして、3月12日浅野船渠で着工式が行われ、“宗谷”の改造工事が始まりました。事務所には監督官室が設けられ、海上保安庁の監督官はここに常駐し、10月の引渡しの日まで工事と平行して出図される図面どおりに作業が行われているか、工程に遅れはないかと、忙しい日々を送ることになったのです。
 ところで“宗谷”の改造を行う設計図面は、当初船舶技術部で作成された基本図を基に、浅野船渠が詳細図面を製作して行う予定でした。しかし、これだけ大掛かりな改造工事の詳細図面はとても修理専門の工場ではできないということになって、船舶設計協会(せんぱくせっけいきょうかい)が作図を引き受けてくれることとなりました。この協会は、艦艇などの特殊な船舶の設計業務を請け負う元海軍技術者の集まりで、極めて短時間に膨大(ぼうだい)な工事用図面を設計・製作し、“宗谷”の困難でしかも短期間に行わなければならない改造工事を成功に導いたのです。
 主要な工事の工程は、3月末第1回入渠(にゅうきょ)(ドックに入ること)主要材料の発注、4〜5月古い蒸気エンジンやボイラーの撤去、5月末〜7月第2回入渠船体水線下主要部分の現場取り付け、7月上旬砕氷型船首への改造、8月上旬第3回入渠バルジ取り付け、8月下旬第4回入渠外板二重張りおよび軸系、9月第5回最終入渠、10月上旬公試・確認運転、10月10日引渡しの目標で、以降7ヶ月間昼夜兼行で工事が行われたのです。
 
艤装員(乗組員)が整列して浅野船渠で行われた着工式
 
工事を見守る船舶技術部の徳永監督官(右端)
 
改造工事に着手直後の“宗谷”。まだ、灯台補給船の面影が強く残っている
 
船首は、アンカーレセス部分を切り取って前方に移動し砕氷型へと大改造した
 
撤去される古い蒸気エンジン
 
船体側面に接合中のバルジ。リベット接合の旧船体に苦労して溶接にて取り付けた







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