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 工事の最終段階になって、こんなエピソードがありました。船は建造にあたって乗組員予定者が艤装員(ぎそういん)として乗り込みます。艤装員は自分が乗船することを想定して不具合個所を取りまとめ修正を求めてきますが、“宗谷”の修正個所は新規要望も含めて最終的に実に133件にもなってしまいました。それでなくても無理に無理を重ねて改造工事を行っているのです。とても工場側は受けきれないと思われましたが、それから一週間・・・、完成引渡しを終えて東京に回航された“宗谷”に毎日横浜の工場から作業員と資材を積んだ台船(だいせん)を通わせて、すべての要望個所の工事を完了させたのでした。これは、工場のあらゆる立場の人々が、“宗谷”の大切な使命を理解して、これに少しでも役に立とうという積極的な気持ちで工事にあたってくれたからでした。こうして、10月17日竹芝桟橋に停泊中の満船飾(まんせんしょく)の“宗谷”船上で竣工式が関係者多数を集めて盛大に行うことができました。
 
昭和31年8月、浅野船渠で第3回目の入渠を行い改造工事が最終段階となった“宗谷”
 
南極観測船としての改造工事が終わり、公試運転中の“宗谷”
 
 南極で観測をするためには、“宗谷”の改造工事と平行してさまざまな準備も必要になってきました。そこで、日本学術会議南極特別委員会に、建設部門、機械部門、航空部門、医学部門、通信部門、食糧部門、犬部門などが作られ、関係する学会や研究者を集めて準備が進められました。
 特に建設部門は、場合によっては南極越冬をする際の観測基地の建物をどのようなものにするかが大きな問題でした。そこで、日本建築学会は、木工によるパネル組立て式の四角な風変わりな建物を制作しました。これは、わが国初のプレファブリケーション(プレハブ=簡易組立て)式住居で、断熱材としてこれも初めてドイツから輸入した発泡スチロールが使われました。
 また、食糧の調達も大変な問題でした。長期間行動する“宗谷”及び南極における行動には保存食料が欠かせません。そこで開発されたのが、わが国初の冷凍食品でした。「冷凍すしセット」、「冷凍うなぎ蒲焼(かばやき)」などが作られ、大変喜ばれたのは言うまでもありません。
 このように、個人として企業として、あらゆる立場の人々が“宗谷”の南極観測に協力を惜しまなかったのです。
 “宗谷”船上では、出港当日まで忙しく物資の積み込みが行われ、関係者は寝る暇もないほどに準備に忙殺(ぼうさつ)されたのです。
 そして、ついに11月8日、出港の日を迎えました。
 
完成した南極観測用建物。わが国初のプレハブ住宅だった
 
箱詰めされる冷凍食品。女優ブロマイドも封入された
 
食品類の積み込み。倉口が小さく手間取った
 
“宗谷”への荷の積み込みは出港まで連日多忙を極めた







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