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私はこう考える【北朝鮮について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2002年11月号 『中央公論』
戦後日本外交史に残る成功である
北岡伸一(きたおか しんいち)(東京大学法学部教授)
小泉訪朝の歴史的意義
 八月三十日の小泉訪朝の発表は電撃的だった。そして十七日の訪朝の結果は、さらに衝撃的だった。拉致被害者の消息について、外務省の予測は甘かった。それゆえ、五人生存八人死亡という情報に接したとき、これを適切に処理する準備が出来ていなかったのだろう。北朝鮮側の発表を、そのまま事実として家族に伝えた(らしい)ことと、死亡年月日についての情報の伝達を遅らせたことは、大きな失態だった。
 しかし両国間の交渉だけを見れば、これは戦後日本外交史に残る成功である。日本の国益にとって大きな成果であるのみならず、東アジア戦後国際関係史に新たな一ぺージを開くものであると考える。
冷戦の終焉と北朝鮮問題
 一九八九年末、米ソ冷戦が終わったとき、東アジアも急速に変化すると予測し、その方向で議論し、行動した人が少なくなかった。しかし、この予測は、冷戦の終焉について正確な理解を欠いていた。冷戦の終焉とは、米ソ対立の終焉というだけではなく、リベラル・デモクラシーの勝利を意味していた。ところが、アジアでは共産主義はまだ終わっていなかった。中国でもヴェトナムでも北朝鮮でも、共産党は独立と建国の主役であり、その威信は簡単には揺るがなかったのである。
 一九九〇年には、南北基本合意書、金丸訪朝、日朝国交正常化交渉の開始など、東アジアの緊張緩和に向けた動きがあったが、いずれも発展しなかった。それは、冷戦終焉の本質を理解していなかったからである。
 むしろ、その後、北朝鮮をめぐる緊張は強まった。
 一九九三年三月、北朝鮮はNPTから脱退すると宣言し、核開発疑惑が一層高まった。射程距離一三〇〇km(推定)のノドンの実験に成功したのも、その直後、九三年五月のことだった。
 これに対して世界は北朝鮮をNPTに残留させるための努力を重ねたが、北朝鮮は、査察の条件について執拗な駆け引きを続け、厳しい緊張が続いた。結局、九四年六月、カーター元大統領が平壌を訪問して金日成主席と会談し、危機は回避された。そして九五年三月には、核開発をやめさせるため、北朝鮮に核兵器への転換が困難な軽水炉を提供することとし、そのためのKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)が発足した。
 また九五年以降、食糧危機に悩む北朝鮮に対し、人道的見地から、コメその他の援助が行われた。北朝鮮経済はすでに八○年代から悪化していたが、その後、ソ連からの援助がとまり、バブル崩壊によって日本からの地下資金の送付も減少した。さらに九五年の大水害をはじめとする自然災害に見舞われ、大量の餓死者を出していたのである。
 このように見てくると、北朝鮮は瀬戸際政策によって国際社会の関心を引き、支持と援助を引き出そうとしたと考えてよいだろう。それはかなり成功したが、時に裏目に出た。九八年八月のテポドンによって、日本はコメ援助を中止し、またKEDOへの資金拠出を凍結した。アメリカの世論も硬化した。そして九九年三月の不審船事件で日本の世論はさらに硬化し、周辺事態法の速やかな成立を促すこととなった。
日朝国交正常化交渉の推移
 この間の日朝国交正常化交渉についても見ておこう。交渉は九一年一月から九二年十一月まで八回行われた。北朝鮮が日本の「謝罪と補償」を求めたのに対し、日本は、日本は北朝鮮と戦ってはおらず、戦っていない国への賠償はありえないとして、日韓基本条約と同様の経済協力による資金供与を主張した。さらに北朝鮮は、金丸訪朝で日本側がある程度認めた戦後についての補償を求め、一九一〇年の日韓併合条約も無効だという立場で、議論はまったくの平行線だった。この交渉は、九二年十一月で中断され、それから七年五ヵ月、再開されなかった。この間、北朝鮮がさまざまな挑発に動いたのは、すでに述べたとおりである。
 ところが、二〇〇〇年四月、交渉は再開され、十月まで三回行われた(第九〜十一回)。その間、六月に南北首脳会談があった。十月四日、森内閣は北朝鮮に対し五〇万トンのコメ支援を決定した。WFP(世界食糧計画)が世界各国に要請したのが二〇万トン以下だったことを考えれば、異例の規模であった。その頃、米朝接近の動きがあり、十月二十六日にはオルブライト国務長官が北朝鮮を訪問して金正日総書記と会談している。
 以上から、北朝鮮は金大中大統領の太陽政策とクリントン政権の対北宥和政策の中に日本を引き込んで国交正常化を狙っていたと推測できる。それはほとんど成功寸前だった。
 ところが、二〇〇〇年十一月のアメリカ大統領選挙において、ブッシュ候補が当選してしまった。もしゴア氏が当選していたら、クリントン大統領は北朝鮮を訪問して大胆な接近政策を展開する可能性があったと思う。その場合、日本は何が出来ただろうか。十月三十日の正常化交渉では、北朝鮮は、相変わらず謝罪と補償が前提であり、拉致疑惑など論外という態度であったから、日本は一方的な譲歩を迫られた可能性があったのである。
 歴史は小さな偶然で変わることがある。日米安保を重視するブッシュ政権が誕生して、北朝鮮は根本的な対外政策、対日政策の練り直しに迫られた。しかも同時多発テロが勃発したため、アメリカの対北朝鮮政策はますます厳しくなり、今年の初めには、イラク、イランとともに「悪の枢軸」として名指しされることになった。これがなければ、今回の小泉訪朝とその成果はなかったであろう。
対北朝鮮外交の目標は何か
 外交の成否を判断するためには、その目標が何であるかを正確に理解する必要がある。日本の北朝鮮外交の目標は、何よりも東北アジアの緊張緩和であると私は考える。
 北朝鮮のような異常な国家が隣国に存在していることは、まことに危険である。核開発疑惑があり、ミサイルを人工衛星だと強弁し、拉致も不審船も認めようとしなかった。そもそも、人口二二〇〇万で一一〇万人という常備軍は、異常である。しかも、九〇年代半ばの食糧危機においても、軍縮はなかったのである。
 しかし北朝鮮は日本の隣国である。完全に無視することも出来ないし、争い続けることも出来ない。国際社会の中に取り込んで、いろんな約束をさせ、これを守らせるしかない。
 ところが日本には過去の植民地支配という負い目がある。かつて一九六五年に韓国と基本条約を結んだ際は、無償三億ドル、有償二億ドルという資金を経済協力という形で支払った。それに相当する金額を、北朝鮮に支払わなければならないのである。
 しかし、今のような北朝鮮に巨額の資金を渡すのは極めて危険である。国際社会からも理解は得られない。北朝鮮がよりまともな国になる保証がなければ資金は出せない。また、拉致や不審船のようなことは決してしないと約束させなければならない。
 今回の日朝平壌宣言に、以上の点はほぼ盛り込まれている。
 過去の問題については、日本が過去の植民地統治について謝罪をし、日韓基本条約のラインで経済協力を行うことになった。これがエッセンスである。
 北朝鮮が補償を取り下げて経済協力方式に応じたのは大きな成果である。補償にせよ賠償にせよ、法的に受け入れられないのみならず、その使途に対して日本が発言権を持ちにくいので、きわめて危険なことであった。その他、戦後についての補償だとか、一九一〇年の併合条約は無効だという主張も、北朝鮮は取り下げた。さらに、支払いは「正常化の後」であり、その期間も「双方の適切と考える期間にわたり」と明記されている。金額の点は今後の課題であるが、これまでのところ、北朝鮮は日本の要求をすべて受け入れたのである。
 拉致や不審船の関係では、両国は、「国際法を順守し、互いの安全を脅かす行動をとらないこと」を確認している。また、北朝鮮は、「日本国民の生命と安全にかかわる懸案事項については、・・・日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が、今後再び生じることがないよう適切な措置をとること」を確認している。金正日が会談で拉致を認め、「遺憾」とか「お詫びする」と言った(それは、世界中の誰も予測しない、驚くべき変化だった)ことに比べれば、表現が明確でないと批判する人があるが、外交用語というのはこういうものであって、「遺憾な問題」というところに、謝罪のニュアンスも盛り込まれている。会談ほど明確でないとか、国内では知られていないといっても、当面はやむを得ないし、この文書で、十分今後の手がかりにすることができる。
 また安全保障については、双方が、「朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際合意を順守する」、「核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認」している。
 なお、北朝鮮は核兵器開発をしないという約束をすでにしているが、ミサイル開発は主権国家の権利ということになっており、北朝鮮にこれをやめさせる国際法的根拠はない。またミサイルの輸出も、北朝鮮はMTCR(ミサイル関連技術輸出規制)に入っていないので、輸出の権利がある。したがって、現在、北朝鮮は自発的にミサイル生産と輸出を抑制しているということになっている。ぜひとも、北朝鮮をMTCRに参加させ、輸出規制をさせ、ミサイルの開発自体を中止させなければならない。
 こうした点について、安全保障上の約束が不十分だという人もある。しかし安全保障上の約束は、結局アメリカの入った交渉と合意でなければ意味がないから、今後は米韓と一緒に進めればよい。かつては、ミサイル輸出は、米朝会談の議題であって、日本とは関係ないという態度だったので、大きな変化なのである。
今後の展望
 これから北朝鮮が約束を守るだろうか。不安に思う人も多いだろう。しかし経済協力は正常化の後である。北朝鮮がおかしなことをすれば、経済協力はしないのである。十分に対応は可能だと思う。今後、また不審船があらわれたらどうするのかという人があるが、簡単である。普通の国際法にしたがって、拿捕ないし撃沈すればよいのである。
 一方に、もっと待てば北朝鮮は崩壊するという論者がある。しかし、北朝鮮の崩壊は、決して東アジアの祝福とはならないだろう。それに、圧制に苦しむ北朝鮮の国民に罪はない。彼等の苦痛がなるべく少なくて済むように手を貸すのが、隣国として当然だろう。
 それに、これまでの交渉で、日本は経済協力方式を主張し、北朝鮮は謝罪と補償を要求していた。また拉致問題となったとき、北朝鮮は席をけった。これらの点について、北朝鮮は日本側の主張を全部呑んだわけで、ここからさらに要求を拡大するのは、道徳的にも問題である。相手の交渉態度が悪くても、こちらは道義とマナーを守るのが、大国の度量である。
 もちろん拉致疑惑はまだまだ解明されなければならない。生存者への面会、その帰国、死亡者の事実の確認が必要だ。通常、事件が起こると、真相究明、謝罪、責任者の処罰、補償というのがいわば四点セットである。ただ、それには一定の限度がある。幕末の日本でも、たとえば生麦事件で、必ずしも本当の責任者は逮捕されなかった。被害者のご家族に対しては、日本政府からの見舞金などの対応も必要だろう。
 また、言い難いことだが、戦前の日本は拉致以上にひどいことも、相当にやってきた。それゆえ謝罪し、経済協力をするのであるが、また時代は違うのであるが、拉致の補償ということを徹底して追及し、完全解明なしには一切の協力を拒絶するということでは、国際社会の支持を得られないかもしれない。
教訓と課題
 では、これまでの日本の対応をどう評価すべきだろうか。
 問題の本質は北朝鮮という国家の異常さである。ところが日本には、この点を無視して、北朝鮮を賛美し、あるいは韓国をことさらに批判した有識者や新聞や雑誌があった。
 韓国が長年軍事独裁政権だったことは確かである。しかし朝鮮戦争をしかけたのも、トンネルを掘って南進を企て、特殊部隊を送り込み、ラングーンで韓国の大統領に対してテロをしかけ、大韓航空機爆破事件を起こしたのも、北朝鮮である。要するに、北朝鮮がテロを辞さない異常な国家であることは、かなり前から明らかであり、それを黙認してきた知識人やメディアの責任はきわめて大きい。
 また、これまで、日本の安全保障体制の整備に反対してきた人たちがいる。隣にこれほど危険で、軍事力しか理解しない国家があるのに、自衛力の整備が必要でないというのは、理解できない。
 今回、また外務省が批判の的になっている。拉致問題への反応などは遅かった。しかし金丸元副総理や田辺社会党副委員長(当時)など、政治家の責任が極めて大きいのではないか。詳しいことは分からないが、日韓条約のラインを死守したのは、むしろ外務省だったのではないだろうか。
 外務官僚の失態としては、冒頭にも述べた通り、犠牲者の数の読み違い、対応の準備不足があった。それは、警察等との情報交換の不足ゆえだと思う。今回の交渉が成功したのは、秘密が守れたからである。それは、関与者の限定から可能となった。それゆえに、他の情報との照合が出来なかった。秘密主義で行かなければ情報が漏れてしまうという日本外交の本質的な問題が、ここにある。何とか克服していかなければならない。
 一つ歓迎したいのは、歴史問題で、北朝鮮が譲歩したことである。韓国にも日本にも、日韓併合条約は無効だとか、日韓基本条約を改定せよ、という議論がある。日韓併合条約は、もちろん強制によるものだし、私は避けるべきだったと思うが、強制による条約が無効だというのでは、アメリカ合衆国もオーストラリアも無効だということになる。今日から見て気に入らない歴史は作り直せということで、不可能な議論である。また日韓基本条約は、内容的にも妥当なもので、もちろん改定などありえない。北朝鮮が日本の主張をいれたことは、こうした謬論を退けるうえでも効果があるかもしれない。
 今回の小泉訪朝については、主要新聞の社説はおおむね冷静だったが、それ以外の紙面はやや扇情的であり、週刊誌やテレビの反応は著しく否定的である。その反面、国民の反応は驚くほど冷静だった。『読売新聞』の世論調査によれば、拉致問題の全容解明が必要だという人が九〇・六%でありながら、首脳会談を「大いに評価する」が四三・六%、「多少は評価する」が三七・六%で、合計八一・二%に達した(九月二十日紙面)。また内閣支持率は先月の四五・七%から六六・一%へと大幅に上昇したのである(九月二十五日紙面)。
 本稿の冒頭に、小泉訪朝は東アジア国際政治史に新たなぺージを開くものだと書いた。ただ、それは変化の端緒を開いただけであって、まだまだ紆余曲折が予想される。拉致の犠牲者の身元確認等についても、北朝鮮は簡単には応じないかもしれない。それに対しては、宣言の精神と国際関係の常識に則って、対応すればよい。正常化をしなければ困るのは北朝鮮のほうなのである。日本はそういう有利な立場にあることを見失わず、さらに安全保障体制を整備して、またアメリカとの協議を密にして、毅然たる外交を展開していくことが重要だろう。
著者プロフィール

北岡 伸一(きたおか しんいち)
1948年生まれ。
東京大学法学部卒業。東京大学大学院修了。法学博士。
立教大学教授、東京大学教授を経て現在、国連代表部大使。

 
 
 
 
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