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◆野党外交の限界
 さて、国会議員十三人と、百人を超える地方議員、活動家、一般党員からなる社会党大代表団をひきつれた田辺委員長の目指すところは、友党・社会党の面目にかけても金日成主席との間で、表敬訪問の域をこえた実務会談を実現し、早い段階で金容淳書記との政治会談を行うことであった。しかし金日成主席への表敬訪問は果したものの、数分間の立ち話に終り、帰国の日十六日ぎりぎりに実現した金容淳書記との政治会談も、東京出発直前、金丸自民党副総裁と約束した核査察受け入れ実施の時期の確認を果すところまでは至らなかった。金容淳書記の発言も「定められた手順によってスムーズに解決される」とした金日成主席の『朝日新聞』との会見の域を一歩も出なかった。
 相変らずの野党外交の限界をのぞかせた田辺社会党訪朝団だった。金日成主席にとって、ひざをつき合せて話し合うべき相手は政府・与党の実力者、金丸副総裁をおいてなかったのである。九〇年九月、韓ソ国交正常化実現でいよいよ孤立感を深める金日成主席をして「朝鮮は一つ。分断固定化阻止」の国是をなしくずしに修正してまで、日朝国交交渉に踏み切らせたものは、タイミング良く折からの金丸・自民党訪朝団の平壌訪問だった。
 しかし核査察受け入れの時期の明示について、北朝鮮のガードは固かった。仮りに今回、八十歳誕生祝賀の金丸訪朝が実現していたとしても、そのガードの突破はできなかったに違いないほど堅固だった。立場を変えて北朝鮮外交の窓からみた場合、核査察問題の外交カードを手放さなかったからこそ、ブッシュ大統領は在韓米軍の戦術核を引き揚げたのであり、盧泰愚大統領の核不在宣言、さらには南北非核化宣言を引き出す外交成果をあげることができたのである。
 さらに在韓米軍撤退の実現まで視野においている金日成主席にとって、依然として核査察問題は最も有効な対米外交カードであり、ことに米政府当局者のあいつぐ議会証言通り、核兵器開発が時間の問題であるとするならば、核査察ではどんな口実をもうけても、必要な時間を稼がなければならないわけである。
 四月十四日に記者会見した北朝鮮原子力工業省の崔鼎舜外事局長は、八六年に自力開発した実験用原子炉(五千キロワット)と寧辺近くに建設中の五万キロワットと二十万キロワット級の原子力発電所の三施設が核査察受け入れの対象であることを明らかにした。しかし問題の寧辺の「核再処理施設」については、その存在と開発計画を否定しながらも「核燃料サイクル研究のための研究活動を行っている」ことを明らかにするなど、含みを残すものだった。
 また核査察受け入れ日程については「今後のIAEA(国際原子力機関)との協議を通じて決定することだ」
 とのみ語るにとどまった。核燃料サイクルの研究と査察受け入れの時期をめぐるくだりは、金容淳書記の田辺社会党委員長に対する発言と、判を押すように一致していた。核再処理の研究までは否定していないのである。
 崔局長の発表に対する米政府の反応は、(1)核施設の完全査察実施(2)核兵器開発の完全放棄、の二点を断固としてくり返すものだった。『産経新聞』は米議会調査局がまとめた「北朝鮮の核兵器計画」と銘うたれた報告書を、四月九日から三日間、詳細にわたってリポートした。同報告は「使用済み核燃料から、核兵器用のプルトニウム239を軸出する再処理施設と、原子炉一基は九二年半ばに完成し、そのあと十二カ月で原子爆発装置が製造される」とした点で緊迫したものであり「米政府内には北の核武装問題はいまここで解決しなければ、二、三年のうちにいよいよ難しく、危険になるとする点で意見の一致がある」としたあと、外交手段による阻止が失敗した場合、(1)国連安保理による国際査察の完全受け入れ(2)国連の承認の下での海と空との完全封鎖(3)寧辺地区その他核関連施設の限定・集中的空爆実施(4)韓国内と周辺の通常、核両戦力の増強、の四段階を用意している――というものだった。
 イラクが(1)の段階で国連核査察団によってイラク最大の核開発施設アル・アティール核施設の完全廃棄に追い込まれたことはごく新しく、四月九日のニュースである。米議会報告書はそのままブッシュ米政府の強硬態度の代弁であり、『産経新聞』の紙面を通しての金日成政府に当てたシグナルとも読むことのできるニュースだった。ところが、驚いたことに、有力三紙のどこを探しても、米議会報告書のニュースは見られないのである。
 金日成主席が自らいうところの「定められた手順」通りに進めば、核査察の受け入れは六月中にも始まることになる。六月上旬という段階は五月上旬の第七回南北首相会談を中に挟みながら「南北合意書」に基づく、発効三カ月内の政治、軍事、経済・交流協力の各共同委員会がスタートする段階であり「南北非核化宣言」に基づく「南北核統制委員会」が南北間の定期核査察と、必要に応じて行う特別査察などの実施方法をめぐり、なんらかの妥協点にたどりつくタイミングである。
 田辺委員長は金容淳書記に対し、足踏みをつづける日朝国交交渉を促進するため、日ソ、日中国交正常化の際の宣言方式に沿い(1)両国がまず国交正常化の宣言を行う(2)そのうえで具体的な問題の交渉を進める(3)最後に基本条約を結ぶ――という手順を提案した。六月の核査察受け入れが作り出す新たな政治的雰囲気しだいでは、国交宣言方式の急浮上も否定できないところである。
 
 
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