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私はこう考える【北朝鮮について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2001年2月号 『世界』
「日本人拉致疑惑」を検証する[下]
和田春樹
◆横田めぐみさんの拉致説の登場(承前)
 評判の帰順者安明進に対する石高健次氏の第一回のインタヴューは一九九五年六月ソウル市内のホテルで安企部の職員の付き添いのもとで行われた。安明進は日本への潜入は「飯を食ったあとトイレに行くようなものだ」、それほど簡単なことだと話し、日本人拉致も聞いている、とりたてて難しいことではないと、「一般サラリーマンがなんでもない仕事の話を聞かせるように実に淡々と」語った。安は自分の日本語の教師ファン・クムシルについて、日本人であり、拉致されてきたと聞いていたと語った。そして、インタヴューの最後に「金正日政治軍事大学にいたとき、年に五、六回、大学構内に日本人が集められて講義を受けているのを見た。私が目にした日本人は、ファン先生以外に合わせて二十人くらいいる」と述べ、うち「何人かはハッキリ記憶している」と断言したのである。『月刊朝鮮』のインタヴューと比べると、会った日本人の話は詳しくなっている。
 こういう話を聞いたので、石高氏は、同年一一月、日本から失踪し、北朝鮮に拉致された疑いがある人々一四人の写真をもって、第二回の面会に赴いたのである。一四枚の写真を見せられた安は、鹿児島県の海岸で失踪したアベックの一人市川修一さんについて、「この男性は平壌で何回も見ましたから顔をハッキリ覚えています」と述べ、同級生が彼と話し、タバコを勧めるのに立ち会ったと話した。さらに新潟の海岸で失踪したアベックの一人蓮池薫さんについても「この人は、確実ではないが、見たような気がします」と述べたのである。いずれも見たのは、年に五、六回ある講義のときで、特別会議室で講義を受けている彼らを通路からのぞいて見たと説明された。石高氏が、市川さんと一緒に失踪した増元るみ子さんの写真を示して、尋ねると、安は見覚えがない、「私が大学の会議室で見た日本人のなかで、女性は都合二、三人しかいませんでした」と答えた。石高氏は、このとき、安がこの大学の先輩で清津連絡所に所属する工作員から、「俺は日本へ潜入し、日本人を二人連れてきたことがある」と聞かされたとも語ったので、ショックを受けたと書いている。安は次のように語った。
 「その先輩と話をしたのは九二年の春頃だったと思います。彼はそのことをひどく自慢げに話しました。名前はぺ・ドクァンかぺ・ドンホーだったと記憶しています。日本への潜入を任務としていた人で大学の十一期生、当時は四十代の前半でした。金正日大学に教官として配属されることになり、特設班という名前のグループに入って再教育をうけていました。二人の日本人をいつ、どこから連れてきたかは口にしませんでした。」
 石高氏は、安の話を完全に信じたわけではない。将来まったくの嘘デタラメだと判明したら、どう責任をとるか、迷いつつ、帰国後市川修一さんの兄に電話をし、安の話を伝えた。蓮池薫さんの両親には以前に「つらい話はやめて欲しい」と取材を断られていることもあり、安の話は伝えなかった。石高氏は市川修一さんの母親から感謝の手紙を受け取ったとして、これを本の中に公開している。
 石高氏の本は、第六章が「欧州拉致ルート」で、有本恵子さんたちの話、第七章「金正日の拉致指令」では、西新井事件、久米裕事件、申相玉・崔銀姫事件などについて書き、第八章では朴春仙さんの兄の処刑について書いている。
 この本には、横田めぐみさん拉致につながる少女拉致の話はまったく出てこない。その話は本の発売後に飛び出してくるのである。本の発売後、石高氏は求められて、『現代コリア』一〇月号(一〇月二五日発行)に、「私が『金正日の拉致指令』を書いた理由」なる短い文章を発表した。氏は、北朝鮮に拉致されたと見られる日本人は自分の本で扱ったように、一三人いるとして、彼らは北朝鮮の崩壊が近づけば、消される可能性がある、だから日本政府が救出に動くべきだのに、それをしない政府、外務省に憤りを感じると書いている。この文章の最後に、拉致された人はそのほかにもいるとして、「情報量が少なく氏名が特定できない」ので別にした、つまり本には書かなかったが、次のような「極めて凄惨で残酷な」子供の拉致の話もあると書いている。
 「その事実は、九四年暮れ、韓国に亡命した一人の北朝鮮工作員によってもたらされた。・・・恐らく七六年ごろのことだったという。一三歳の少女がやはり日本の海岸から北朝鮮へ拉致された。どこの海岸かはその工作員は知らなかった。少女は学校のクラブ活動だったバドミントンの練習を終えて、帰宅の途中だった、海岸からまさに脱出しようとしていた北朝鮮工作員が、この少女に目撃されたために捕まえて連れて帰ったのだという。少女は賢い子で、一生懸命勉強した。『朝鮮語を習得するとお母さんのところへ帰してやる』といわれたからだった。そして、一八になった頃、それがかなわぬこととわかり、少女は精神に破綻をきたしてしまった。病院に収容されていたときに、件の工作員がその事実を知ったのだった。少女は双子の妹だという。」
 この話の構造を整理すると、少女を拉致した工作員(A)とそのことを聞いた同僚の工作員(B)が出てくる。その(B)が九四年に韓国に亡命して、取り調べた安全企画部の係官に供述した。そのことを知った安企部の人間(C)が石高氏に話したというのである。ここでははっきりさせられていないが、石高氏は、のちに自分はこの話を一九九五年六月二三日にソウルで、韓国の安企部の高官から聞いた、さらに東京に帰ってから別の情報機関員からも聞いたと語っている(石高健次『これでもシラを切るのか北朝鮮』カッパブックス、一九九七年)。つまり(C1)、(C2)がいるということである。石高氏の情報は「A→B→C1・C2→石高」という三重の伝聞ということになる。(A)、(B)の氏名は石高氏にも明らかにされていないので、実在するかどうかも確認のしようがない。(C1)、(C2)は石高氏の知っている人なのだが、名前は明らかにされていない。
 石高氏は、この情報は、日本の警察庁にも韓国政府から伝えられ、身元照会が行われたが、失踪届は一〇年で失効し、警察から記録が消えてしまうので、該当する少女が特定されなかったとのことだと書き、文の末尾でふたたび、拉致された人の「所在確認を要請もせず、救出のためのアクションも起こさず、北朝鮮の要求するままに食料援助、経済援助をする日本政府の姿勢とは一体何なのか、改めて問い直したい」と結んでいる。
 注目すべきことは少女拉致という話は、九五年六月に刊行された韓国情報部の管理下にある金賢姫の第二手記にはじめて出されたのだが、ほぼ同時に、別のヴァリアントが情報部の高官から日本のジャーナリスト石高氏にソウルで伝えられ、東京でも情報部の別の人間が石高氏に話したということになる。九五年六月という時点は対北援助、日朝交渉再開をめぐって日韓政府の間に対立があった時期であった。
 石高氏がこの情報を知ったのが、九五年六月だとすると、あらためて、そのことを九六年の本に一言も書かなかったのはなぜか、本を出したあとの紹介記事の中ではじめて書いたのはなぜかが、疑問になる。そればかりではない、九五年六月二三日に情報をえたとすると、それは、石高氏が安明進に最初のインタヴューをした同じ月のうちのことである。おそらく安明進にインタヴューするためにソウルに行った旅の終わりのことであろう。したがって、当然に二月の第二回目のインタヴューの前だということである。石高氏が安明進の前に日本人で拉致されたと考えられている人々の写真を並べたとき、石高氏はすでに少女拉致の情報をえていたのである。にもかかわらず、石高氏は外国から子供を拉致してスパイに仕立てているという話でデビューした安明進に少女拉致のことを一言も尋ねなかった。石高氏は、安明進の受け答えからして、少女拉致のことを尋ねても無駄だと感じたのではなかろうか。なにせ、安は、自分が見た日本人の中に女性は二、三人しかいなかった、日本人二人を拉致してきた先輩は「二人の日本人をいつ、どこから連れてきたかは口にしませんでした」と述べたからである。ここは、のちのち大きく問題になる点である。
 さて情報のソースはきわめて曖昧であるにもかかわらず、石高氏の聞いた拉致少女のプロフィルは、一九七七年一一月一五日に失踪した横田めぐみさんと驚くほど符合していた。横田めぐみさんは一九六四年生まれで、七七年当時はまさに一三歳であった。中学校でのバドミントンの練習帰りに、海岸の近くで、失踪した。彼女は双子ではないが、弟たちが双子であった。
 もとより最初は横田めぐみさんと結ぶ線は示唆されていない。それでも少女拉致の話はショッキングであったはずである。にもかかわらず、しばらくはまったく反応が現れなかった。『現代コリア』の一一月号にも、一二月号にも、一切コメントが載っていない。紙面における最初の反応はようやく翌年一九九七年一月になって出た。同誌一・二月号(一月二五日発行)に載った佐藤勝巳氏の文章「身元の確認された拉致少女」である。それによれば、佐藤氏は、九六年一二月一四日、新潟で講演したが、講演会がおわったあとの懇親会で、横田めぐみ拉致説をはじめて語ったのである。
 「確か新潟海岸で行方不明になった少女がいましたよね」
 「ああ、めぐみちゃんですよ。」
 「彼女、北朝鮮にいるようですよ」
 聞いていた人々は、みな驚きの声を上げたという。大変な波紋をよんだはずだが、佐藤氏はそのまま東京に帰った。そして、新潟の友人小島晴則氏に依頼して、『新潟日報』一九七七年一一月二二日の記事をとりよせたという。その結果、石高情報と横田めぐみさんのプロフィルが一致した、「韓国に亡命してきた北朝鮮工作員に、めぐみさんの写真を見せ確認しないと断定はできないが、めぐみさんが、北朝鮮に拉致されたことはほぼ間違いない」と佐藤氏は書いている。
 しかし、佐藤氏のこの説明には疑問が生まれる。佐藤氏の一二月一四日の話し方からすれば、氏はそれ以前に横田めぐみさんが石高情報の少女だという結論をえていたのである。にもかかわらず、一二月一四日までそのことを公開せず、しかも一二月一四日も「崩壊の進む北朝鮮情勢」という演題の講演の中ではそのことを語らず、講演のあとの懇親の席でなにげなく、ついでかのように口に出したのである。自分が情報のソースになることを徹底的に回避して、自分が拉致少女は横田めぐみさんのことだと断定したことを隠そうとしているように見える。帰京してからはじめて新聞記事をとりよせて、再確認したというのも疑問を与える。すでに二〇年前の事件であってみれば、新潟県出身の佐藤氏だとしても、記憶のみで、新潟の少女が石高情報の少女だと結論できるはずがない。佐藤氏は新潟日報の記事を一二月一四日以前に見ていたと考えるほかないのである。
 実際佐藤氏自身が説明をのちに変えている。新潟に生まれた救う会の機関誌への寄稿の中で、佐藤氏は前述の石高氏の文章をみたときに、「かつて新潟でいなくなった少女だ」と咄嵯に思い出したとして、次のように書いている。
 「その時すぐに動かなかったのは、北朝鮮ならこんなことぐらいは平気でやるだろうと、私の中では確信に近いものがあった。だから『またか』程度の受け止め方だった。従って、一二月に新潟に講演に行くから、その時確認すればよいと思って誰にも知らせなかった。」。
(石高健次『これでもシラを切るのか北朝鮮』から再引用)
 新聞もなしに記憶で新潟の少女だと確認したというのも信じがたいが、確認したのなら、寄稿してもらった石高氏本人にそのことを電話もしないというのはいっそう不自然である。石高氏は、件の文章の中で、「これを読んで何らかの情報があれば是非お知らせ願いたいとの気持ちからここに紹介する」と書いているのである。横田めぐみさんだと分かったのなら、なぜ石高氏だけにでも知らせなかったのだろうか。
 佐藤氏にきわめて近い西岡力氏も、『諸君』一九九七年四月号での石高氏との対談の中で、石高氏の「ゲラを読んでいるときに・・・佐藤勝巳主幹が『あっ、この事件には心当たりがある』と驚いたんです。・・・それから数ヶ月後の・・・講演会後の懇親会の席で彼は記憶を確認する意味で、『確か新潟の海岸で行方不明になった少女がいましたよね』と問いかけたんです。・・・講演会の後、新潟在住の知り合いに・・・記事を探して貰ったところ、横田めぐみちゃん失踪事件を報じる記事が見つかったんです」と説明している。これに対して石高氏は、佐藤氏の発見について、「私がそれを知ったのは一月の初めでした」と確認している。
 だが、説明はもう一度変わっている。全国協議会ホームページの「拉致された日本人のリスト」(平成一一年三月二三日改定)の横田めぐみさんの項には、次のように説明されている。
 「佐藤勝巳現代コリア研究所長が石高氏の論文を校正段階で読んで、二〇年前に新潟で少女失踪事件があり大々的に捜査がなされていたことを思い出した。佐藤氏は新潟出身である。そこで新潟在住の小島晴則氏に依頼してそのころの地元紙を調べてもらったところ、昭和五二年一一月二二日付け『新潟日報』に次のような記事が出ていることを発見した。」
 佐藤氏の反応の説明とすれば、この説明がもっとも自然である。だが、もしこれが正しいのなら、なぜ佐藤氏は最初に自らの行動を別の風に説明したのであろうか。
 石高情報による横田めぐみさん拉致の主張は、まず一九九七年一月八日に現代コリア研究所のホームページに発表された。そこには『新潟日報』一九七七年一一月二二日号の記事も公表された。
 ほぼ二週間後の一月二一日、共産党参議院議員橋本敦氏の秘書で、この問題に特別の関心を持つ兵本達吉氏のもとへ、『現代コリア』の石高論文と『新潟日報』の記事が送られた。兵本氏が語ったところによると、彼の「知り合いの方から……『ご一読ください。拉致された女子中学生は、横田めぐみさんでした』というコメント付きで」それらがファクスで送られてきたそうである(横田早紀江『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』草思社、一九九九年)。この知り合いの方とは、佐藤氏のことであろう。兵本氏は、これを受け取ると、その日のうちに横田めぐみさんの父親、横田滋氏を探し出したという。横田氏が日本銀行のOBであるところから、OB会に電話し、横田さんに連絡して、自分に電話するように頼んだという。これも疑問をよぶ。兵本氏は『新潟日報』の記事から横田氏が日銀に勤めていたことを知ったと横田氏に語ったようだが、その記事には、「銀行員」としか出ていない。兵本氏は以前から横田氏の所在を調べていたはずである。兵本氏は、石高情報のことも、佐藤氏の発見も、現代コリアのホームページのことも知っていたと思われる。だが、彼は横田さんの父親には一貫して佐藤氏がこの件に関わっていることを語らなかった。
 OB会からの電話を受けた横田氏が兵本氏のところに電話をすると、「お宅のお嬢さんが北朝鮮で生きているという情報が入りました」と聞かされた。横田氏は求めに応じて、議員会館へ赴き、兵本氏に会い、『現代コリア』一〇月号をもらったのである。議員会館という場所は、情報に信憑性を付与するにはよい場所だと言える。
 他方で、佐藤氏は、この件をすでに旧知の西村真悟衆議院議員に持ち込んでいた。西村議員は要請に応えて、一月二三日に「北朝鮮工作組織による日本人誘拐拉致に関する質問主意書」を政府に提出した。石高情報を『現代コリア』一〇月号から引用し、新潟日報の記事と「見事に符合して」いるとしている。質問の第一は、横田めぐみの失踪について、韓国政府より照会があったか、第二は、その失踪につき、北朝鮮の拉致の可能性について検討したかであった。第一点は、石高氏が韓国政府は日本の警察庁に少女拉致の情報を連絡したという韓国情報機関の話を書いているので、それを確認するためであった。
 兵本氏に続いて、この一月二三日、石高氏が横田夫妻を訪問し、二五日にも再度訪問している。二五日には、週刊誌『AERA』の記者長谷川煕氏が横田夫妻を訪問取材した。この日に、まさにはじめて佐藤氏の文章「身元の確認された拉致少女」が載った『現代コリア』一・二月号が発行された。つまり石高情報の少女は横田めぐみさんだと最初に発見した佐藤勝巳氏の文章は事が動き出してから出るように設定されているのである。二八日には、『ニューズウィーク』の高山秀子記者と産経新聞社の阿部雅美氏が横田夫妻を訪問取材した。現代コリア研究所のホームページ、佐藤氏の文章などの効果であった。そして一月二八日、西村議員が質問主意書を出したことが横田夫妻のところに知らされた。この間に横田夫妻は、動揺を克服して、実名報道を認める決断を下した(横田早紀江、前掲書)。それは長い間娘を捜していて、はじめて出てきたこの情報を信じていくという両親の必死の決断であった。
 二月三日、産経新聞と『AERA』が横田めぐみさん拉致疑惑を報道した。この日、衆議院予算委員会で西村真悟議員がこの件で質問した。西村議員は金賢姫の著書『忘れられない女』から先に引用した個所を朗読し、高校生の少女の拉致とは横田めぐみさんをさしていると断言した。韓国情報部からの九五年六月の情報を総合して見せたのである。そして、北朝鮮から亡命した工作員が一三歳の少女を拉致したと語った証言と新潟日報の記事が「見事に符合している」と述べた。西村氏は典拠としての『現代コリア』一〇月号のことは一切触れなかった。そして、『現代コリア』主宰者の「佐藤勝巳さんが書いた文章」からだとして、自民党の加藤紘一幹事長を「売国奴」と呼んだ個所を朗読した。こうして国会の場に横田めぐみさん拉致という情報が持ち込まれたのである。情報の性質・来歴はまったく問題にされないまま、この日を境に横田めぐみさん拉致の話は国内にセンセーションをまきおこすことになった。
 
 
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