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私はこう考える【北朝鮮について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2002/12/20 『拉致家族との6年戦争(扶桑社)』
横田めぐみさんの叫び
西岡力
 一九九七年二月、横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されていることが、大きく報道された。実は、それが明らかになるプロセスには私が編集長をしている『現代コリア』も大きく関与していた。横田さんのご両親は、実名を出してめぐみさんらの救出を訴えるという勇気ある選択をし、地村、浜本、蓮池、奥土、市川、増元、原さんのご家族も立ち上がり、九七年三月「北朝鮮による拉致」被害者家族連絡会(家族会)が結成される。ご家族を孤立させてはならないと、全国に救う会が作られた。私は横田夫妻とともに全国を飛び回って救う会の集会で講演をし続けた。
◆横田めぐみさん拉致は「でっち上げ」ではない
 「私は殺されるかもしれない。そこまで覚悟して証言をしているのです」
 一九九八年三月下旬、『北朝鮮拉致工作員』(徳間書店)を出版し、出版社の招きで来日しテレビ、新聞、雑誌などの取材を連日受けていた元北朝鮮工作員・安明進氏はこう語った。三月二十六日夜、筆者は安氏と四時間ほど語り合うことができた。安氏はいったいどのような証言をしているのか、そしてなぜ殺される覚悟が必要なのか、そのことを説明することから本稿を始めよう。
 話はいまから二十年前の一九七七年十一月のある夕方にさかのぼる。当時十三歳、新潟市内の中学一年生であった横田めぐみさんが忽然と姿を消す。警察の大規模な捜索が行われるが、いっさい手がかりが出てこなかった。ご両親の「あまりに悲しくて何度死のうと思ったか分りません」(母、早紀江さん)という苦しみの日々は九七年一月まで続いた。
 大阪のキー局・朝日放送の記者である石高健次氏は、北朝鮮による日本人拉致事件を取材するなかで次のような「事件」の存在を複数の韓国・国家安全企画部(情報部、以下安企部とする)高官から聞いた。めぐみさん失踪から十八年がたった一九九五年のことだ。
 その事実は、九四年暮れ、韓国に亡命した一人の北朝鮮工作員によってもたらされた。
 それによると、日本の海岸からアベックが相次いで拉致される一年か二年前、おそらく七六年のことだったという。十三歳の少女がやはり日本の海岸から北朝鮮へ拉致された。どこの海岸かはその工作員は知らなかった。少女は学校のクラブ活動だったバドミントンの練習を終えて、帰宅の途中だった。海岸からまさに脱出しようとしていた北朝鮮工作員が、この少女に目撃されたために捕まえて連れて帰ったのだという。
 少女は賢い子で、一生懸命勉強した。「朝鮮語を習得すればお母さんのところへ帰してやる」といわれたからだった。そして十八になったころ、それがかなわぬこととわかり、少女は精神に破綻をきたしてしまった。病院に収容されていたときに、件の工作員がその事実を知ったのだった。少女は双子の妹だという。
 以上の文章は、石高氏が筆者が編集長をしている『現代コリア』九六年十月号に寄せたものからの引用である。石高氏は、大韓航空機爆破犯・金賢姫の日本人化教師である「李恩恵」と呼ばれていたT[田口八重子]さん(埼玉県出身)をはじめとする十三人の日本人が北朝鮮によって不法に拉致され帰ってこられないでいるということを、具体的に取材してドキュメンタリー番組をつくり、その中身を中心に九六年九月『金正日の拉致指令』(九八年四月に朝日新聞社の文庫として増補版が出た)を出版した。
 筆者も拉致問題にはかねてから関心をもち、論文を書いたり、『現代コリア』で何回か取り上げたりしていたので、石高氏の本に接して感激して、氏に「私が『金正日の拉致指令』を書いた理由」という題の原稿を依頼したのだ。石高氏はこの少女の件については読者からの情報の提供を求めることを目的として文章にしている。この時点では情報量が少なく、氏名まで特定できなかったため、本のなかではいっさい扱っていないのだ。
 もしもこの事件が北朝鮮や朝鮮総聯が主張するように韓国安企部による「でっち上げ」であるなら、引用にあるような拉致された場所も不明で被害者の氏名も分らないといった不完全な「情報」を石高氏に提供するはずがない。情報が不足しているから石高氏は番組でも本でも少女拉致についてはまったく触れられなかったのだ。安企部が二十年前のめぐみさん失踪事件を事前に調べておいて「でっち上げ」を行なったのなら、最初から新潟という地名をさりげなく石高氏に告げておけばよいのにそれをしなかった。
 ところが『現代コリア』主幹の佐藤勝巳氏は石高氏の原稿を校正段階で読んで、二十年前に新潟で少女失踪事件があり大々的に捜査がなされていたことを思い出した。佐藤氏は新潟出身である。そこで新潟在住の小島晴則氏に依頼してそのころの地元紙を調べてもらったところ、一九七七年十一月二十二日付『新潟日報』に次のような記事が出ていることを発見した。
 新潟中央署は十五日夕方、クラブ活動を終えて帰宅途中、姿を消した女子中学生について、家族からの要請もあり、公開手配した。行方不明になったのは、新潟市水道町二、銀行員横田滋さん(四五)の長女めぐみさん=同市寄居中学一年生=。同署の話では、めぐみさんは、十五日放課後、クラブ活動のバドミントンの練習に参加しており、同六時三十五分ごろ、クラブの一年生女子二人と学校の正門を出た。うち一人は、正門を出てすぐ別れた。もう一人とも、学校から約二〇〇メートル海岸よりの新大教育学部角の十字路で別れたまま、消息を絶った。警察では一週間にわたり延べ千人を動員して捜索したがまったく手がかりはなかった。
 石高氏が得た情報とこの記事を比べてみると、(1)時期=石高情報は七六年か七七年(アベック拉致は七八年に起きている)、『新潟日報』は七七年で一致。(2)被害者の年齢=石高情報は十三歳、『新潟日報』は中学一年生で一致、なお、めぐみさんは当時十三歳であったことが判明する。(3)拉致される状況=石高情報は学校のクラブ活動だったバドミントンの練習を終えて帰宅途中、『新潟日報』はクラブ活動のバドミントンの練習を終えて帰宅途中で完全に一致。(4)めぐみさんの家族関係=石高情報ではめぐみさん本人が双子の妹、『新潟日報』では長女で食い違いがあるが、実際はめぐみさんの弟が双子であった。
 (1)、(2)、(3)はぴったり一致している。(4)もこの情報を提供した元工作員が自分が拉致したのではなく、少女のことを病院で聞いて知ったという点、なおかつ石高氏は元工作員に直接取材したのではなく、彼から情報を入手した安企部高官からの伝聞であるため、話が伝えられるプロセスで「双子」というキーワードが残って、若干の聞き違いが生じる可能性は高い。逆にいうと「双子」というキーワードが一致している点で、むしろ真実味がある。安企部の「でっち上げ」なら初めから双子の弟とするはずだ。なお、めぐみさんの失踪届は十年がたった段階で「失効」とされ、東京の警察庁のコンピュータからは記録が消えていた。そのため、警察も石高氏もめぐみさんを特定できなかったのだ。
 
 
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