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読売新聞朝刊 1994年7月10日
社説 「金日成以後」に冷静に対処せよ
 
 建国以来四十六年にわたり朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を支配してきた金日成主席が、八日死去した。
 突然訪れた「金日成以後」に北朝鮮の内政・外交がどのように動くか、朝鮮半島情勢はまさに重大な局面を迎えた。
 折からジュネーブでは北朝鮮の核問題と米朝関係の将来をめぐる米朝高官協議が開かれ、二十五日からは平壌で金主席と金泳三・韓国大統領の歴史的な首脳会談が予定されていた矢先の主席の急死である。
 ◆金正日後継体制への不安
 何よりも、「偉大な首領」「父なる首領」と呼ばれるカリスマ性を持ち、独自の社会主義思想「主体」思想を柱に、閉鎖的統制国家を築き上げた最高権力者を失った北朝鮮の国内情勢の行方が不透明だ。
 いわゆる「北朝鮮問題」には密接にからみあう二つの側面がある。一つは体制の今後の問題だ。もう一つが核問題だ。
 すでに人民軍最高司令官・国防委員長の肩書を持つ故主席の長男、金正日書記が国家主席、朝鮮労働党総書記の座につき国家、党、軍の三権を握ることになりそうだ。
 諸説あるが、一九三〇年代に中国東北部で抗日パルチザンの政治委員として活動していたとされる故主席は、後にソ連に移動、四五年、日本が太平洋戦争に敗れた後、ソ連軍とともに現北朝鮮に入り、四八年の建国で首相に就任、朝鮮半島は南北に分断される。以後、数々の政敵を粛清し、六〇年代に独裁権力を完全に確立した。
 その六〇年代に故主席は金正日後継体制の準備を開始、八〇年の父子世襲公然化を経て権力継承の最終段階に入っていた。
 問題は、金書記の政治路線、指導力とその権力基盤だ。故主席の遺影の権威のもとで、金正日体制が北朝鮮の大混乱を引き起こす恐れは、さしあたり、少ないのではないか。国民の相互監視体制を含め厳しい統制社会ということもある。
 だが、金書記には父親のようなカリスマ性がない。軍部内の基盤が弱いともいわれる。革命第一世代との確執も伝えられる。まして経済は一日二食運動が展開されるほどの破産状態だ。ソ連が崩壊し、頼りにする中国とのパイプも大きくはあるまい。
 ◆核問題の解決が不可欠だ
 考えられるシナリオは〈1〉現状維持〈2〉漸進的な改革・開放〈3〉冒険主義路線〈4〉体制崩壊――だろうか。現状維持はじり貧を意味するかもしれない。望ましいのは、改革・開放だ。経済の立て直しと重なるが、現在の閉鎖体制と基本的に矛盾し、開放自体が体制崩壊につながりかねない。金書記に開放への決断力と指導力があるか疑問だ。
 ラングーン爆弾テロ事件に関与したともいわれる金書記が冒険主義路線に走る可能性も排除できないが、それは自滅を意味しよう。大衆暴動、軍部、改革派によるクーデターを予測する向きもある。
 南進による朝鮮戦争の過ちを犯した故主席だが、冷戦終結を踏まえ、近年は体制生き残りのため、核開発カードを手にした危険な瀬戸際政策で米朝関係の打開を図った。おずおずと対外開放を模索してきた。少なくとも戦術的には、もはや実現不可能な赤化統一よりは一国・二制度・二政府の連邦制統一を目指したかに見えた。
 米朝協議は一時中断・延期となった。南北首脳会談も当分開けないだろう。だが、核問題の解決と南北平和共存が体制生き残りに不可欠であることを金書記始め北朝鮮指導層は知らなければならない。できるかぎり早期に米朝協議を再開して核問題を解決する必要がある。南北対話も継続させて話をかみあわせてほしい。
 日米韓中の各国はあらゆるシナリオを想定しつつ、「金日成以後」に冷静に対応し、可能な限り対話により、北朝鮮を国際社会の責任ある一員としての道に誘導し、北東アジアの安定につなげる努力をさらに一層、強めることが重要だ。
 同時に、北朝鮮のいかなる冒険主義的行動にも毅然(きぜん)と対応すべきは言うまでもない。日本は不測の事態に備え危機管理体制の整備を急ぐべきだ。日米韓の連携はもとより、中国を含めて共同対処が必要である。
 
 
 
 
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