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解剖学実習を終えて
 黒木 久代
 冬休み明けの、一番寒い時期に始まった解剖実習も、実習を終える頃には、早くも三月に入っていました。ご遺体をお棺に納める日の朝、私の心況の変化のせいでしょうか、それまで毎日見ていたはずの、ご遺体の顔が何だかいつもより柔らいだ表情に見えるのです。全ての片付けが終って、花をたむけたとき、あぁこの方は、今初めて亡くなったんだなという気がしました。実習中は、きついきついと自分の不満ばかり言っていたけれど、一番がんばっていたのはこのご遺体だったんだと、終ったころにやっと気が付いたのです。
 私達は、昨年の十月に郡元キャンパスから桜ヶ丘キャンパスに移り、本格的に医学を勉強し初めました。解剖学実習に入る前の段階としては、骨学や内臓学等を勉強しました。どの講義にしても、一年生の時の勉強量、暗記量をはるかに上まわる内容の濃さで、圧倒された感はあるのですが、各先生方が一つ一つ丁寧に説明して下さいました。そのような普段の講義にも、実物の骨や特殊加工した臓器、あるいはそれらのスライド等を教室に持ってきて、授業される先生が多く、私達はそれを見ていたはずなのに、実際自分達の手で解剖を進めていくと、また違う印象を受けました。一個一個、既に標本になっているものより、もっと複雑で機能的で、その繊細さに、生命ってこんなすばらしい造りの上に成り立っているんだなと感動しました。
 実習中、全国からいろいろな大学の先生方や、研究をされている方が指導して下さったり、またたくさんの看護学生が見学に来たりした。私は今まで、肉眼解剖学というのは、既に全部研究されつくしていて、学生がそれを学び取ることが主だと思っていました。ところが、いらっしゃる先生方はそれぞれに、最先端の研究テーマを持って、一体一体とても熱心にデータを取っていかれるのでびっくりしました。中でも、表情筋のデータを取りに来た方達は、工学部の方達でした。医学歯学の領域に限らず、これだけ発達しているエレクトロニクスの分野でも、それらを支える元になっているのは、やはり人間のつくりそのものであり、その構造から生まれる複雑で美しい動きなんだと思いました。また看護学生達は、ややもすると「木を見て森を見ず」の状態になってしまう私達の学習を、もっと大局的にとらえるように助けてくれました。彼らの医療に対する真摯な態度に、気持ちを引きしめ直し、自覚を持って実習に取り組まなければならないと思わされました。
 最後に、ご遺体とご遺族の方々へ、私達は毎朝、毎晩感謝の気持ちを込めて黙を捧げてきました。本当に皆様のご理解と、ご協力がなければ、今のような理解や心がまえは、教科書による学習のみでは生まれるものではありません。今後も、この解剖実習で学習したことを最大限に活用し、人体の構造の奥深さ、精巧さ、それから命の尊さを忘れずに、医学を学び、皆様に恩返しできるような歯科医を目指します。本当にありがとうございました。








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