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解剖学実習を終えて
 西 佑子
 解剖実習が始まった当初は、唯々人間を解剖するという行為が恐ろしいばかりでした。その頃の実習は、体力的にも精神的にも打撃が大きく苦痛以外の何ものでありませんでした。何をするにもためらいがあり、実習時間に無駄が多く、やらねばならないことすら満足にすることもできていない状況でした。
 その恐ろしいという気持ちが変化したのは、初めて御遺体の顔を見たときだったように思います。
 私は幼い頃、「ねんねばあちゃん」と呼んで慕っていた寝たきりの祖母に、一緒にごはんを食べたり、隣で寝たりしてとても可愛がってもらいました。その祖母が亡くなったとき、まだ五歳だった私は「死ぬ」ということがよく分からず、眠ったまま他界して朝になっても目を覚まさない祖母の枕元に座って、「なぜ起きないのだろう」とに触れたり、目を開こうとしてみたりして「もう起きないのだ」ということを知りました。御遺体の顔を見たときから、その記憶がよく思い出され、次第に御遺体がまるで自分の祖母であるかのように感じるようになりました。そういった気持は、私に限られた実習時間と御遺体が与えようとして下さっている御遺体の中に埋もれている知識を無駄にしてはいけないという思いを喚起しました。それからは、実習時間を有効に利用できるよう、御遺体の前でなくてもできる勉強、たとえば知識を頭につめ込んだり、実習書に書き込んだりといったことはできるだけ済ましてから実習に臨むようにしました。自分から積極的に学ぼうという姿勢をもってからは、御遺体は本当に知識の宝庫のように私に様々なことを教えて下さいました。必ず存在することを信じて探し、同定することは、そのものをあらゆる視点から三次元的にとらえることを可能にし、予習のときに今ひとつ飲み込めなかった複稚な知識が信じられないくらいすんなりと頭に入り、深い理解をもたらしました。解剖で要求される知識の膨大さには驚きましたが、解剖を経験していくうちに、実習時間に御遺体から学びとることでそんな大量な知識を覚えることができることにも驚きました。もちろん、実習はいつでも順調というわけではなく、つらいときもありました。でもやっぱりそんなときでも御遺体のすべてをかけがえのないものと思う気持に元気づけられ、力をもらいました。解剖実習という学びの機会を与えて下さったこと、知識という得がたい財産を与えて下さったことを本当に御遺体に感謝しています。








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