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解剖学実習を終えて
 河嶌 譲
 解剖実習という科目名は医学部と歯学部でしかシラバスに載らない。他学部の人にとってみれば、興味もあるだろうし、全く未知の世界でもある。当事者として体験できる身であっても、基礎科学(教養課程)時代にはその人達と同様の意識しかなかった。しかしこれは、非難すべきことでも恥じるべきことでもないと今では考える。なぜなら、単に教科書の上だけではなく身をもって人体構造を知るということも実習を行う主要な目的ではあるが、それと同様、もしくはそれ以上に、人の生死に携わっていく者として自己の中に「人間の尊厳」を見出し、普通の一学生から医学部の学生として「死」に対する意識を「患者」の延長線上に置くということを促すのも重要な目的であると考えるからである。
 一年程前、医学概論という科目で、最初のレポートが「死とは何か」というテーマであったのを思い出す。当時、私は人の死というものを身近に体験したことは無かった。その後親戚の不幸があり、その直後から実習が始まった。親戚の死化粧をした顔とご遺体の表情は、保存状態の違いはあれど同じ表情をしていたような気がする。その表情を見たときに受ける、自分が生の世界にいるのか死の世界にいるのかわからなくなる心理状態、そして実習を終えた後の達成感と虚脱感、今そこに原型をとどめていなくとも我々の生涯を支える知識として、今では当時苦労して本を読みあさって書いていた「死とは何か」は、何も中身の無かったもののようにさえ感じられる。「死」には組織の死や器官の死、その他たくさんの小さな死があり、それが集まっていわゆる「死」が生じるわけだが、それは「死」の氷山の一角であり、物体死の後ろには人が学ぶべき大きな意識が存在すること、それはその死をめぐる故人の立場によって異なるという非常に特異な感覚であること、この意識をもつことができてからでなければいくつもの「死」に直面しいくつもの「死」を救っていくことは難しいこと、更に一人の「死」を通して解剖実習で学んだことは勿論これだけでは無いが、それを全て言い表せるだけの能力が自分には未だ備えられていないこと、なども自覚するに至った。
 実習を終えてみて、これから自分がなすべき事は得た知識をこれからの自分の人生に反映させることであり、医療を発展させる為の最も基礎になる欠かすことの出来ない知識として、また意識として自分の中に記録していくことであると考えている。
 最後になるが、半年をかけて我々に多様かつ膨大な知識を授けて下さった先生方、同じご遺体を解剖させて頂いた三人の班友、そして何よりも我々に献体して下さった方、ご遺族の方々に深い感謝の意を表する次第である。








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