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5. 結び
 北極海航路のインフラを、ハード、ソフト両面から見た場合、INSROPおよびJANSROPで指摘した国際商業航路への要求課題については、解決の明確な意思表示はあっても具体的には何も解決されていないのが現実である。合理的に物事が運ばれるようになったプーチン大統領の今後の政策が注目されるが、いずれにせよ、INSROP以降、北極海航路の開発に向けてのロシア政府、関係者の真摯な努力には、十分敬意を払うべきである。ヨーロッパ・ロシアと極東ロシアを結ぶ陸上輸送路は、厳しい自然条件のため多くの障壁がある。ロシアがその社会基盤を固め、世界経済の一翼を担う真の大国への志向を堅持する限り、広大なロシア全土を繋ぐ唯一の大量輸送手段である北極海航路の整備は、国際海運市場の評価の如何を問わず、ロシアにとっては社会資本整備の範疇にある。
 この数年、北極海探検、探査に関わる出版が相次いでいるが、これは欧米において北極海への市民レベルでの関心が深まっていることの証でもあり、北極海航路に対する船主、荷主の潜在的な意識も徐々に強まっていることを示唆するものでもある。伝統的な南方航路に、近い将来何らかの異変があると予測した時、選択航路としての北極海航路が、潜在的にせよ顕在的にせよ、その意中にあるようになってきたと言うことである。
 フォローアップは、本来、終了した調査研究事業の単なる補足や機材の修理、修復のようなものではなく、既にある事業成果に新たな時代の息吹を吹き込み、今後進むべき道筋に明かりを灯すことにある。それは回帰志向ではなくあくまで未来志向のものでなければならない。
 ヴスコ・ダ・ガマが喜望峰を回航して南方航路を啓開して以後、南方航路は欧州と東洋の両端域間の商業活動を駆動力として、スエズ運河開通までの間、局地的航路を発達させつつ長年月を掛けて次第に航路は充実・整備され現在に至っている。しかし、航海術が発達する大航海時代以前には、拠点から次第に遠方へと延長・拡大する方法で航路を充実させてきた。現在の北極海航路では、総じて言えば海上保険の不明確さが、往時の未熟な航海術と同様にトランジット航路の発達を妨げている。この意味では、当面、北極海航路の発展は、古来に倣って航路両端域の活性化から着手すべきであると言える。
 北極海航路の西端に繋がる海域はバレンツ海である。バレンツ海は、西のノルウェー海に開け、ノルウェー、ロシア本土、ノヴァヤ・ゼムリヤ、スヴァルバード、フランツ・ジョセフ諸島に接する海域であり、その東南には白海が連なる。沿岸沿いに、ノルウェー最北の港キルケネス、ヨーロッパ・ロシア最大の不凍港ムルマンスク、ウラジオストクと並ぶロシア海軍基地セヴェロモルスクがある。
 バレンツ海の探査・開発は古くはヴァイキングの時代に遡ることができる。大航海時代以降は、計画的な探査、生物・鉱物資源開発が繰り返されてきたが、エネルギー資源の開発、生産はここ数年来のことであり、豊富な漁業資源と相俟って石油・天然ガスの生産により、バレンツ海は活況を呈し、海上輸送による物流は徐々に東へ拡大されつつある。
 他方、北極海航路東端にはべーリング海があり、オホーツク海、北太平洋へと繋がる。バレンツ・プログラムと対比されるサハリン・プロジェクトが進展中であり、石油・天然ガスの開発で沸くサハリン周辺が当面の産業活動の中心である。資源の探査、開発の手は、今後、サハリンから北へ、東へと伸び、やがては東シベリア海へと進められ、周辺局域航路の拡充、発展と共に、何時の日かバレンツ海とオホーツク海が北極海航路を介して結ばれることになろう。
 
 バレンツ海は、古くから様々な人間活動が繰り返されてきた海域であり、海域の開発と生態系及び環境保護について繰り返し調査・検討が行われ、環境保全に関わる関係国間の国際協定もある。しかし、その歴史的経緯と西に開かれた海域である故に、環境学者の望むような環境保全レジームは構築されていない。
 サハリン周辺でのエネルギー資源開発が急展開するオホーツク海は、浅く、閉ざされ、海氷の出現する海域であり、地球上の海洋面積の高々1%を占める過ぎない海でありながら、潮汐減衰に関しては全海洋の10%を担う特異な海域でもある。大気・海洋相互干渉の面でも、海中への溶存物資の動態、海洋生態系の点でも注目すべき海域である。幸い、この海域は人間活動の累積効果が少なく、自然・生態系の保全の観点から、人間社会活動の総合的かつ実効的な規範を作成・提言する上で、理想的な条件を備えた数少ない海域でもある。
 
 国連及び国際学術会議の場においてしばしば警告が出されているが、海洋生物資源は過するが無限ではなく、その本来の豊潤さは失なわれつつあり、海洋は、地球上の全生命体共通資産として認識し保護する必要に迫られている。特に人類にとっては、海洋は生物及び非生物的の意味合いでの淵源であるのみならず、精神的な淵源でもある。しかし、国際的な場において国連海洋法条約が締結され、1992年リオ・デ・ジャネイロ地球サミットにおいて持続可能な開発の原則が採択されたにも関らず、国際間の軋轢に併せ、各国国内では宣言原則に沿った行政的措置がとれないまま、未だ実効ある方法で適用されていない。
 サハリン周辺での資源開発が急速に進む現在、國際的構造が比較的単純で閉鎖的な寒冷海域であるオホーツク海の特性、作業条件を十分に活用し、遠くに北極海航路を望みつつ、地球上の全ての海洋への発展的適用を年頭に、リオ宣言アジェンダ21の意図を具現する特定海域海洋管理制度と言える、「オホーツク・レジーム」を策定・提言することが急務である。
 

 レジームとは、S.D.Krasnerによれば、「国際関係の特定分野における明示的、あるいはインプリシットな原理、規範、ルール、そして意思決定過程の手続きのセットであり、それを中心として行為者の期待が収斂していくもの」と定義されるが、現在は、様々な分野において拡大解釈され、使用されている。








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