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4 今日の海上交通網とその防衛
(1)実態としての海上交通網
 航路は港と港を結ぶ海上の“点と線”である。海上交通が発達し多くの船舶が行き交い、主要な積出港と集積港の間の航路“線”は、幹線道路として、恰も“大通り”の様相を呈するようになった。これが“航路帯”、“Sea Lanes(シーレーン)”と呼ばれるものである。シーレーンが伸び、通商が世界を巡るように、シーレーンとシーレーンが結ばれ、やがて蜘蛛が空中に糸を張るようにして地球上のすべての海に海上交通路の網の目が形成されていき、“海上交通網”の言葉が生まれた。世界の海に兵力を展開するアメリカ海軍は、この海上交通網をSea Lines of Communication、“SLOC”と呼称した。海軍が“SLOC”という場合、一般商船のみならず海軍艦艇の展開航路や海上兵站線も含まれる概念となる。海軍で使われ始めた言葉であるため軍事用語と解釈する向きもあるようだが、“SLOC”は海軍も含めた全ての船舶の海上交通網であり、海洋を利用し得るすべての力(海軍もその中に含む)としてのシーパワーと同じ言葉の趣をもつものと解釈すべきであろう。
 
 今日、経済活動のグローバル化と船舶のコンテナ化が海運界を大きく様変わりさせると共に海上交通網の形態にも変化を与えつつある。巨大コンテナを取り扱うハブ港を中心として地域経済圏の海上輸送システム、内陸輸送システム、航空輸送システムなどを連接するフィーダー網が整備され、さらに各ハブ港を中心としたハブ・アンド・スポークスが互いに結び付き注63、海上交通網は有機的結合体となっている。ここにおいて海上交通網は、“SLOC”と呼ぶよりはConsolidated Ocean Web of Communication、“COWOC”と称する方が適切な様相を呈している。
 
a アジア太平洋地域における海上交通網集束部
 外航航路帯に限った場合、アジア太平洋海域を通るシーレーンは、大きく以下の[1][2][3]に区分できるだろう。開発が期待される北極海航路もあるが、将来的なものとしてここでは除外する。
 
[1] アラブ湾岸〜インド洋〜東南アジア海域〜北東アジア海域
[2] オセアニア海域〜東南アジア海域〜北東アジア海域
[3] 北東アジア海域〜北米海域
 
 シーレーンは、いわば“蓮の茎”のようなものである。主要積出港を出港し外洋に出ると航路帯の“帯”は次第に広くなり、海峡などの狭隘部に至って集束し、狭隘部を出てまた広がってゆき、最終的には集積港に収束する。冷戦後、そのような集束・収束部で様々な危険が顕在化しシーレーンに対する大きな脅威として認識されるようになった。今日の海洋の安全保障環境を踏まえ、海峡などの集束部をチョークポイント(Chokepoint)注64、地域物流センターとして収束するハブ港をフォーカルポイント(Focalpoint) 注65と呼称し、その周辺に存在する様々な危険が航行を脅かす場合を想定して、シーレーン防衛の在り方について考察してみよう。
 
a−1 チョークポイント(Chokepoints)
 アジア太平洋地域の海上交通網には、以下の[1]〜[6]に示す六つのチョークポイント(Chokepoints)が存在する。
[1] マラッカ・シンガポール(Malacca/Singapore)海峡
[2] スンダ(Sunda)海峡
[3] ロンボクおよびマカッサル(Lombok、Mmakassar)海峡
[4] 南シナ海(South China Sea)
[5] 東シナ海(East China Sea)
[6] 日本海(Sea of Japan)
 
 上記[2]と[3]は、状況によっては“インドネシア群島水域(Indonesian Archipelagic Water)”として一括りにして検討すべきケースもあるだろう。[4]の「南シナ海」は、「ベトナム東岸−南沙諸島(Spratly Islands)−バシー・ルソン(Bashi/Luzon)海峡−ハイナン島」で囲まれる海域を、また[5]の「東シナ海」は、「台湾−南西諸島−九州−対馬海峡−チェジュ島−上海以南の中国東岸」によって囲まれる海域を指す。[1]以外は、“ポイント”というよりは“海域(the Sea)”あるいは“水域(the Water)”と呼称する方が適切とも思われるが、戦略的に重要かつ不安定性をもつ航路集束部として、“チョークポイント”と分類することにする注66
 
a−2 フォーカルポイント(Focalpoints)
 海上物流ターミナルとして発展してきた所謂ハブ港は、近年、内陸輸送、航空輸送等と連接される地域物流センターとして、グローバル経済を支える後方システムの中心となりつつある。ここでは、以下4つのハブ港をフォーカルポイント(Focalpoints)として取り上げる注67
 
[1] シンガポール(Singapore)
[2] 香港(Hong Kong)
[3] 高雄(Kaohsing)
[4] 釜山(Pusan)
 
b 通航船舶量
 バルクシッピング(Bulkshippping)とコンテナシッピング(Containershipping)を取り上げ、バルクキャリアー(Bulk Carrier)とコンテナシップ(Container Ship)の船舶・荷動き量について調べてみよう。
 
b−1 バルクキャリアー(Bulk Carrier)
 バルクキャリアーは、原油や鉄鉱石など大量のバラ荷を運ぶ船舶であり、その積荷からドライカーゴ(dry cargo)とリキッドカーゴ(liquid cargo)に大別される。ドライカーゴには、鉄鉱石、石炭、穀物、それに鋼材や木材などのマイナーバルクが含まれ、2000年の世界海運市場における荷動量は19億110万トン、使用された総船腹量は2億5,790万トン(DWT)であった。リキッドカーゴは原油(crude oil)であり、2000年の世界の海上荷動量は17億6,280万トンで、使用された原油タンカーの総船腹量は2億3,430万トンであった。
 
 ところで、日本郵船調査グループの試算によると、ドライカーゴの世界需要19億110万トンを供給するために必要なバルクキャリアーの総船腹量は2億4,730万トン、原油の世界需要17億6,280万トンを供給するために必要な原油タンカーの総船腹量は2億2,360万トンである注68
 
 この試算によれば、世界のバルクシッピング市場には、ドライカーゴについては1,060万トンの、また原油タンカーについては1,070万トンの余剰があることになる。つまり、バルクキャリアーについては、船舶供給過剰な状態なのである。
 
 表1に、2000年の主要バルクシッピングの海上荷動量と必要船舶量を示す。
 
表1 主要バルクシッピング(2000年)
  海上荷動量 必要船舶量
鉄鉱石 4億4,800万トン 6,590万トン
石 炭 5億1,890万トン 5,280万トン
穀 物 2億3,090万トン 3,260万トン
原 油 17億6,280万トン 2億2,360万トン
(日本郵船調査グループ編「図説海運市況の回顧と展望」(社団法人日本海運集会所、2001年7月)を参照)
 
b−2 コンテナシッピング(Containershipping)
 工業部品や製品などを定期的に運搬する定期船航路については、今日、その40〜50%をコンテナ船が占めるようになっている。2001年当初で、世界のコンテナ商船隊は3,800隻、取り扱い貨物量は530万TEU注69にのぼる。コンテナ船は大型化傾向にあり、1990年代は5,000TEU以下であったが、現在は5,000〜7,000TEUが主力となっている。1999年、最大となる9,800TEUのコンテナ船が発注された。将来的には12,000から18,000TEUが出現するといわれており、それに伴いコンテナ港も必然的にメガ港化していくことになる。
表2 4大ハブ港と貨物取扱高
ハブ港 貨物取扱高(TEU)
シンガポール 1700万
香 港 1700万
釜 山 700万
高 雄 650万
(出典:Containerization International, March 2001)
 
 前述したように、海上交通網は“ハブ・アンド・スポークス”を形作るように整備されつつあり、海運は単なる海上輸送システムから、グローバル経済を支える全後方システム(Total Logistic Support System)を構成する不可欠のサブシステムとして捉えるべきものとなっている。物流の途絶は、例えそれが一時期のことであっても経済活動に致命的な影響を及ぼすことになるだろう。
 
(2)航路集束・収束部にある脅威
a  新しい「管理の海洋世界」の安全保障上の不安定性
 前章での論述の繰り返しとなるが、歴史上、海洋世界は幾度かパラダイムシフトを繰り返しており、今日、われわれが迎えようとしている「管理の海洋世界」は、次に示す五つの変化を伴ってもたらされつつある。
 
− 海洋におけるパワーバランスの消滅と海軍戦略の変化
− 経済活動のグローバル化に伴う海運世界のボーダーレス化
− 国連海洋法条約による国際海洋法の基本構造の変化
− 海洋レジームの地域化
− 海洋に関わる主体の三層構造化
 
 現在、「自由の海洋世界」から「管理の海洋世界」への移行過程において、「海洋管理」の現実の態勢は極めて未成熟な状態にある。そのような中で、これも前章の繰り返しとなるが、上記5つの変化の影響を受けて、アジア太平洋の各海域には以下に示す様々な新しい形の安全保障上の不安定要因が生じてきている。
 
 
・資源に対する主権的権利あるいは国家管轄水域画定を巡る国家間の対立
・海運世界の多国籍化によるシーレーン防衛の複雑化
・シーレーンの治安悪化と無統制
・「海洋自由」と「海洋管理」、「海洋の平和的利用」と「海軍活動」を巡る、沿岸国家と海洋利用国家の間の見解の相違
・過剰な管轄権の主張による自由航行の阻害と海洋分割化の懸念
・不適切な海洋管理に起因する資源・環境破壊が齎す平和への影響
 
 アジア太平洋地域のシーレーンは、“COWOC”の大動脈であり、そこには、100を越える国際航行に使用される海峡、七つの地域海(Seas)、二つの水域(Waters)がある。その内、安全保障上特に重要な意味を持つものが、先に取り上げた6つのチョークポイントである。それらチョークポイントの周辺には、上記の新たな不安定要因に起因する紛争や危険に加え、歴史的な民族対立や宗教紛争に起因する国際テロあるいは内政不安定、領土・島嶼の領有権を巡る国家間紛争等、潜在的あるいは顕在化した旧来からの脅威も存在する。
 
 また、フォーカルポイントとしてグローバル経済を支えるハブ港は、いずれも発展途上の国や地域に所在し、破壊活動や軍事的攻撃に対して必ずしも十分な防衛の態勢が整備されているとはいえない。以下、航路集束点における脅威について考察してみよう。
 
b 集束・収束部に存在する脅威
 アジア太平洋地域のチョークポイントとフォーカルポイントで、船舶の通航や出入港が制限される、あるいは不能となる事態としては、以下に起因するものが考えられるだろう。
 
[1] 自然災害
[2] 人的災害(事故等)
[3] 主権的権利あるいは管轄権の過剰な主張による航行制限
[4] 国境を超えた海上犯罪(Transnational Crimes)(海賊、武装盗賊等)
[5] 海上あるいは港湾におけるテロ行為
[6] 海域に対する思惑の相違に起因する海洋管理の混乱
[7] 国際武力紛争あるいは国内武力紛争
 
 上記の内[1]と[2]の自然災害と人的災害は、防衛・安全保障に関わるものではないが、海域管轄国の管理の不備あるいは便宜地籍船や外国船員教育などの問題に起因する事故は極めて深刻な事態を招くだろう。マラッカ/シンガポール海峡を例に取ると、1日に150隻の通峡船舶があり、その貨物トン数の58%は原油である。マラッカ/シンガポール海峡では、この15年間で72回の海難事故が起き、54回の油流出が発生している注70。安全な通峡のためのシステム整備などに日本財団が支援を提供するなど、国際貢献もみられるが、船員教育や無国籍船舶など問題の根は深い。人的ミスに自然災害が加わった場合はさらに深刻な事態を招くだろう。
 
 主権的権利あるいは管轄権の過剰な主張による航行制限については前章で詳述した通りである。航路を分断するものは災害や軍事力ばかりではない。沿岸国による国家管轄水域に対する権利の主張の中には国連海洋法条約の求めるものをはるかに超えているものが多い。インドなどのように軍事警戒ゾーンを設けている国もあれば、中国のように領海内の軍艦の無害通航権を阻害するような措置を宣言している国もある。フィリピンにいたっては285マイルに及ぶ領海を主張している。海洋利用国家を“蚊帳の外”において、Creeping Jurisdictionが航行の自由を侵食しつつある。
 
 国境を越えた海上犯罪には、例えば海賊問題がある。海賊について国連海洋法条約は、「公海またはいずれの国の管轄権にも服さない場所にある船舶、航空機、人または財産に対する私的な目的の不法な暴力行為、抑留または略奪行為」との定義をしているが注71、海賊行為のほとんどは領海内で発生している。海賊は領海から領海に逃げ込んで追跡を逃れている。海賊取締には国際協力が不可欠であり、1992年にインドネシア、マレーシア、シンガポールのマラッカ海峡3か国による協調的パトロールや情報交換が開始され注72、それによりマラッカ海峡での発生件数は減少したが、その分だけインドネシアの群島水域で増加することになった。海賊は手薄になった海域に移動しているだけなのである注73。沿岸国の多くは、国連海洋法条約を持ち出して、自国領海内の犯罪行為は海賊行為ではなく、沿岸国が取り締まるべき国内犯罪であるとの立場をとっており、これが地域国家間における対応を困難にしている面がある注74
 
 海上あるいは港湾におけるテロ行為は、危険度の高いものとして感心が払われなければならない。1985年のパレスチナゲリラによるアキレラウロ号ハイジャック以来、大きな事件はなかったが、1999年になって、アデン港における米艦コールへの爆破テロやフィリピンのゲリラによる欧州人観光客の監禁事件など、海上テロ事件が目立つようになっている。コンテナ船や原油タンカーのハイジャック、グローバル経済を支えるハブ港の占拠や破壊工作などが発生すれば世界の政治・経済に甚大な衝撃を与えるだろう。ハイジャックに対する国際協力に関する1988年のローマ条約注75を批准しているのは、アジア太平洋地域では、中国、オーストラリア、米国、カナダ、日本、インド、スリランカだけであり、東南アジアの殆どの国は未批准のままである。
 
 海域に対する思惑の相違が海洋の管理を阻害し、それによって航行が制限される事態も十分に考えられる。マラッカ/シンガポール海峡を管轄するインドネシア、マレーシアおよびシンガポール3国の利害と立場は必ずしも一様ではない。シンガポールは、貿易立国として海峡に多くを依存しており、シンガポール港の施設整備に投資を惜しまない。インドネシアは、群島全域を主権下に置くことが安全と繁栄の礎と考えており、マラッカ/シンガポール海峡を一つに纏めて管理することに不利益を感じている面がある。マレーシアは海峡を大きな国家資源と捉えており、航行の安全と汚染防止に関心を持っている。今後3国間で解決を図っていくことになる海峡通航制度や環境保全取極などを巡っては、「海洋管理」の目的の相違が表面化し交渉を困難にする局面も生じるであろう。
 
 国際武力紛争によってチョークポイントが遮断されるシナリオとしては、島嶼の領有権や海底油田利用に絡んだ南シナ海での武力紛争、中台武力紛争、朝鮮半島での危機とその解決のための禁輸措置などが考えられる。南シナ海論争には、6カ国・地域が関わっており、紛争未然防止としての行動規範も合意を見ず先行きは不透明である。フォーカルポイントへの脅威としては、1996年3月の中国による台湾の周辺海域を狙ったミサイル発射訓練等の例があるように、中台武力紛争時に高雄や香港が破壊の対象となることは十分に考えられる。東南アジア国家間の武力紛争のシナリオは殆ど想定し難いが、インドネシアなど、国内政情の不安定な国における国内武力紛争によって管轄海域に含まれるチョークポイントが封鎖される、あるいはその国に所在するフォーカルポイントが破壊される事態もあるだろう。
 
(3)迂回と代替の可能性
a チョークポイント迂回の可能性
 法を守るすべての船舶に対して、常に開かれた状態にあるべきシーレーンが、何らかの事態によって遮断された場合、国家経済はどのような状態に陥るのか?これまで幾度となく繰り返されてきた議論である。シーレーン防衛にその「存在意義」を求め、そのための防衛力の整備に努める海軍は多い。しかし一方で、「シーレーンが遮断された場合には航路を変更すればよく、航路変更による損失は許容できる程度のものである」とか、「航路変更による経済的損失は大きいが軍事的行動によって生じる国家の損失を考慮すると、迂回する方が賢明である」といった考え方、さらには「海運世界の多国籍化の現状に鑑みた場合、シーレーン破壊といった軍事作戦は成り立ち得ない」とする意見など、シーレーン防衛に異を唱える論調があることも確かである。
 
 アジア太平洋地域の海上交通網における6つの重要なチョークポイントが通航できなくなった場合、紛争への巻き込まれを避けて迂回路を設定することが可能か、また迂回した場合の損害はどの程度かについて検討してみよう。
 
 a−1 マラッカ/シンガポール海峡が通航不能の場合
 インドネシア群島水域が啓けている場合、スンダ海峡を通って南シナ海に入るか、またはロンボク‐マカッサル海峡を経由してフィリピン東方を通航するルートをとることになるだろう。
 
 日本にアラブ原油を運ぶ場合を例にすると、マラッカ/シンガポール海峡を通航するルートより航程が3日程度多くなる。最小限のタンカーを調達して往復輸送を繰り返すという、オイルフローのランニング状態を考え、距離を航程で割るという極めて単純な計算をすると、平時の必要原油量を確保するためには約15隻のタンカーの補充が必要となる。
 
 a−2 南シナ海が航行不能の場合
 インドネシア群島水域が啓けていることを前提とすれば、ロンボク-マカッサル海峡を通ってフィリピンの東方を通航することになるだろう。日本にアラブ原油を運ぶ場合の遅延と必要タンカー数の増大はマラッカ/シンガポール海峡の場合と同じである。
 
 a−3 インドネシア群島水域の全てが通航不能の場合
 この場合、スンダ海峡およびロンボク‐マカッサル海峡が通峡不能であり、加えてマラッカ/シンガポール海峡も通峡不能となっているだろう。迂回路としてはオーストラリアの南方を回るしかない。日本へのアラブ原油の輸送の場合、約2週間の航程増となり、平時所要量を供給するためには単純計算で約80隻のタンカーの補充が必要となる。
 
 a−4 東シナ海が航行不能の場合
迂回路としては、日本列島東側を通航することになる。日本へのアラブ原油の輸送の場合、迂回による損害は考えられない。ちなみに、外航船舶のほとんどはバシー海峡を通航した後、台湾東方から東シナ海に入っており、台湾海峡はあまり利用されていない。
 
 a−5 日本海が航行不能の場合
海上の迂回路はなく、日本、韓国、ロシアの間の海上輸送は途絶する。
 
b チョークポイント迂回の受容性
 b−1 バルクシッピングの場合
 迂回による経済的損失については諸説があり、また、計算の方法や前提によってその定量的評価はまちまちである。日本へのアラブ原油輸送において、日本は、マラッカ/シンガポール海峡が不能の場合は8,790万ドル、南シナ海封鎖で2億ドル、インドネシア群島水域閉鎖で12億ドルの損失があるとの試算もある。この数字が日本経済にどの程度の影響を与えるかについては、その時々の経済状態などによって分析検討されるべきものであり、一概に判断することはできないだろう。しかし、仮にマラッカ/シンガポール海峡とインドネシア群島水域が閉鎖され、日本に向けた原油やその他の貨物の全てがオーストラリア南岸を迂回することがあれば、日本のみならず東南アジア諸国や韓国など多くの国にも経済的影響は及ぶことになる。アメリカについても経済的影響は避けられないであろうが、アメリカにとってより大きな懸念は自国海軍の行動の制約であり、それによる中国との戦略的関係への影響であろう。
 
 ところで、迂回による最も大きな出費は新たな傭船費用、つまり、遅配による不足を充足するための新たな船舶チャーター費用になるだろう。しかし、原油についてみれば、日本には国内備蓄がある。新たにタンカーを補充せず、遅配による不足分を国内備蓄から賄えば、オーストラリアの南を回った場合でも1年程度は維持できるのではないか。また、前述したように原油タンカーにはかなりの余剰がある。つまり、使われる必要のないタンカーがかなりの数存在しており、これら浮遊タンカーが新たな需要地域に流れ込んでくるとの見方もできよう。当初、傭船コストはかなり値上がりするであろうが、やがて図2に示すように市場原理が働いて適切なところに落ち着くはずだ。
図2 浮遊船の振り子対応
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(出典:INSSandCNA, Chokepoints, National Defense University Press, 1996)
 b−2 コンテナシッピングの場合
コンテナシッピングの場合、バルクシッピングとは状況が異なる。コンテナ船が迂回し貨物に遅配が生じると世界経済に大きな損失を生じる恐れがある。コンテナシッピングでは、原材料や製品がコンテナ積み状態で各地方港からハブ港に集中され、そこから内航航路や内陸輸送などに振り分けられており、定時制を要求される市場で、遅配があると製造工程に大規模な混乱が予想されるからである。チョークポイントの通航不能は、短期において多くの国の経済に影響を与えるはずだ。
 
c フォーカルポイントの脆弱性と代替の可能
 フォーカルポイントは“COWOC”の心臓部である。フォーカルポイントのシステムが何らかによって破壊された場合の経済的損失は計り知れず、またチョークポイントのように迂回はできない。代替する港の選定が難しいのである。シンガポール港には2分間に1隻の割で船舶が出入港している。これらの船舶を他港へ回港することは不可能に近い。世界経済が一体化して動いている今日、チョークポイントが封鎖された場合よりも、ハブ港が閉鎖されて麻痺状態となった場合の方が遥かに深刻な事態を招くであろう。
 
(4)海上交通網の安定化と防衛の必要性
 シーレーン上のチョークポイントが封鎖されるなどによって通航できなくなった場合、あるいはフォーカルポイントとしてのハブ港がテロリストからの攻撃などによって使用できなくなった場合の、迂回あるいは代替の可能性と受容性について考察してきた。以下は、その考察から得た結論である。
 
− チョークポイントについては、日本海を除けば迂回路の設定は可能である。但し、迂回を選択できるのはあくまで外航航路であって、当該チョークポイントに含まれる内航航路については完全に破壊された状態になるはずだ。シーレーンはフォーカルポイントを中心に“ハブ・アンド・スポークス”を形成しており、たとえ内航シーレーンの一本であったとしても、それが機能しなくなった場合、世界経済に大きな影響を及ぼす恐れがあることは否定できない。
 
− チョークポイントの迂回による経済的損失の程度やその受容性については、それを一概に結論づけることはできない。バルクシッピングについては、余剰船舶や原油備蓄を考慮して、経済的余力のある国ではさほど大きな損失は生じないと分析することもできるだろう。しかし、コンテナシッピングについては、グローバル経済に深刻な影響を及ぼす事態が十分に予測できる。
 
− 国家間の武力紛争や国際テロ、あるいは国境を超えた犯罪行為等によってチョークポイントが通航できなくなった場合、迂回路を設定することがおそらく最も無難な選択に思えるだろう。しかし、正しい選択であろうか?
 
「航行の自由」は、すべての国家・人類の生存と発展に不可欠の要件であって、国連海洋法条約および同関連取極や海洋資源・環境保護のための国際協定を遵守することにおいて、あらゆる国家・船舶に対して認められなければならないものである。「航行の自由」は如何なる事態においても維持されなければならないものであって、「航路が封鎖されたが迂回すれば済む」という問題ではないはずだ。
 
− シーレーンの断絶は、防衛力による対応を求められる事態、つまり、海洋の安全確保とシーレーンの防衛、武力紛争収拾のための平和執行といった対応が求められている事態であって、「航行の自由」の速やかな回復のために、あらゆる措置が考慮されなければならない。
 
− チョークポイントおよびフォーカルポイント周辺の安全保障環境の安定化と国内治安の維持、海洋の総合的管理(航海自由と国家管轄権との調和)、平和執行能力の強化への地域的取り組みが求められる。なかんずく、フォーカルポイントの防衛能力の強化は必須の課題である。
 
− シーレーンの防衛は、国連の集団安全保障措置、国連安保理決議または地域諸国による平和執行行動への参加、集団的自衛権の行使、といったものを避けては通れないものとなっている。
図3 チョークポイントとフォーカルポイント
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