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大海で拾った石ころ
株式会社 舵社 顧間 中川 久
御前埼の風蝕礫
 船に乗った人なら誰でもご存知の「御前埼」の地名は、実は馬の牧場の名称が起源だといわれる。
 今から一三〇〇年ほど前、この地に「白羽官牧」という馬の牧場があって、この地を「厩崎(ウマヤザキ)」‐馬を飼う小屋の意味‐といったそうだ。これが転じて「オマエサキ」になったと地元の歴史は伝えている。
 「御前埼」は付近海域に暗礁が多く、また風が強いところで昔から遭難船が絶えなかった。この風が強いことを立証するかのように、近くの海岸で「風蝕礫(三稜石ともいう)」という珍しい石ころを産している。この石ころは堅い岩石が長い年月、強い季節風に吹きつけられた砂で削られ、図のような石ころになったそうだ。
 この石ころは、昭和十八年、国の天然記念物に指定されている。
 さて、話は変わるが「石ころの話」という本によると、石ころとは直径二ミリメートル:1/10インチ以上二五・六ミリメートル:一〇インチ以下のもので、次の条件によるものとしている。
[1]人間によって露頭から採集された鉱物や岩石のかけらでない。
[2]拾われてから手を加えられたものでない。
 この石ころの定義からすると、「風蝕礫」はまさに石ころであるが、これからお話する「大海で拾った石ころ」も紛れもない石ころである。
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天然記念物「風蝕記」がとれる御前埼灯台付近
大海で拾った石ころ
 今から十数年前、私が海上保安庁の測量船に乗船していたときのことである。三陸沖合い百数十マイル、水深五千メートルの海域で何箇所か採泥作業(海底地質調査のため海底資料を採取する作業)を行ったことがある。
 一般に深い海洋底では粒子の細かい泥が堆積していることが多く、通常、一ミリメートル積もるのに千年かかるといわれる。
 このときの採泥作業は数十マイル間隔で行ったが、いずれの点も粒子の細かい泥ばかりであった。だが、その中の一箇所だけ泥の中にウズラの卵大の石ころが一個入っていた。私はこの石ころを拾い上げ真水で洗ったが、何の変哲もないただの石ころに見えた。
 私は「なぜ、この石ころが大海の泥の中にあるのだろうか」とこの石ころにこだわった。
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「風蝕記」のスケッチ
 当時、私はムー大陸とかアトランティック大陸の書物を読みふけっていたこともあり、ひょっとすると、この石ころは太古の昔、この地点付近にあった幻の大陸で造られたものかもしれない。
 もしそれが本当なら大変な発見になるぞと思い、海上保安庁水路部から乗船していた地質担当のY氏に聞いたら一笑に付された。
 「なーんだ」とこの石ころを海底に戻してやろうとしたが、「待てよ、この石ころはなぜこの海域にあったのか」と思い、幾つかのケースを一晩中考えてみた。
[1]海洋性動物が餌と一緒にこの石ころを体内に取り入れ、この地点で排泄した。
[2]この海域を通った船から何らかの理由でこの石ころがすてられた。
[3]遙かなる宇宙からやってきた隕石かもしれない。
[4]流木に付いたこの石ころがちょうどこの海域で沈んだ。
などなど。翌日私はY氏にその理由を尋ねてみた。
 Y氏は「ここではよくわからないので、水路部へ持ち帰り切断して調べてみましょう。」と約束してくれた。
 それから何日かたち、測量船は仕事を終えて東京へ帰港した。その数日後、私はY氏を訪れた。
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当時の測量船"拓洋"総トン数2481
 Y氏の机の上の小ビンの中にあの石ころが切断して入っていた。
 Y氏は「この石ころを調べた結果、石ころは次のような経過であの海域へきたものと考えられます。あくまでも推論ということで聞いて下さい」といって概略次のように説明した。
「氷河期にできた氷は、やがて大きな塊に分かれて陸上を移動し始めた。氷の大きな塊は海へ出るまで長い長い旅をしたことであろう。途中、氷の塊はたくさんの陸上の異物を氷の中に巻き込んだが、その中にこの石ころも含まれていた。やがて、氷の塊は海へ出て風に押され、海流に流されて少しずつ体積を減らしながらあの海域へきたとき、この石ころが乗っていた部分の氷が溶けて、石ころは海底へ沈んだ。そして、今回の採泥作業で偶然にも一緒にすくい上げられ、数万年目に太陽の光を受けた。この石ころのような石は、相当数海底に散らばっているであろうが、広い海底のことなので、採泥作業ですくい上げられる確率は、宝くじに当選するより遙に悪いことであろう」
 私は考えてみた。この石ころは海底からすくい上げられたとき泥の中にあった。このとき使ったグラブ式採泥器は海底の表層を攪乱せずに採泥する構造なので、石ころが落下時、海底に達してから慣性で潜った量を差し引いても、この石ころは海底面下数センチメートルの堆積泥と同じ深さにあった。
 この数センチメートルは泥の堆積期間の数万年ということになり、氷河期にほぼ一致する。
 この石ころはどこから来たかわからないが、どうしてあの海域にあったのかはY氏の推論が当たっているに違いないと今でも私はそう思っている。
 この石ころは宝石のような価値はないにしても、私にとっては宝であり、今でも大切に机の上に飾っている。
 この石ころの大きさ横四・五センチ、縦三・五センチ、厚さ一・三センチ。
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大海で拾った石ころ
追記
 この採泥作業で船上に上げられた泥は、調査研究に必要なサンプルを残し、あとは海底へ返された。
 そのとき、乗組員の一人が若干の泥をもらい受け、後日帰郷の際、これを実家に持ち帰った。彼の実家は窯業をしていたので、早速、五千メートルの泥ということで記念のため乗組員数の盃を造り、窯で焼いたらいずれも破裂して陶器はできなかったという。
 一見陶土に似た手ざわり、色をしていても、海洋底の泥は陶器にはなりえないことがわかった。








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