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◎付加価値を上げるシルク・ド・ソレイユ◎
 そういう流れの時に一九八〇年代の時ですが、ケベック州でシルク・ド・ソレイユが、州政府の後押しでギィ・カロンという人の演出で、動物使わへんミュージカルみたいなサーカスを作ろうやないかと企画したのです。
 ケベック州ってご存知のように、カナダの中でフランス語圏なんです。五百万人ぐらいしかいないから、英語圏に圧されてるのです。モントリオールっていう町よりトロントという町の方が元気がエエんです。それでケベック州政府は、なんか盛り上げないかんと。
 それで動物を使わへんミュージカルみたいなサーカスをやりましょう、というて始まったんがシルク・ド・ソレイユなんです。
 シルク・ド・ソレイユがいかにすごいかは、ラスベガスに行かれたら二つのショーは入れない。それはオーというショーと、ミステールというショー。実は両方ともシルク・ド・ソレイユなんです。フロリダのディズニーでもシルク・ド・ソレイユやってる。日本にもよくサルティンバンコが来ますよね。ああいうふうに世界中でその、テイストでやったはるわけです。
 これは、ケベック州政府がお金出して、最初はすごい芸人さんいませんから、その脇と演出と音楽をそのギィ・カロンさんがやるわけです。ひとつの音楽の流れで見せる、一つの衣装で見せる照明で見せる、というてすごい付加価値を上げたものが、シルク・ド・ソレイユです。
 ところが今から八年か九年ぐらい前、初めてシルク・ド・ソレイユが東京でやりましょうという時に、全然切符売れへんかったんですね。フジテレビが主催したんです。これなぜかと言うとですね、日本人って、ジャンルがはっきりしてるものには金出すんですよ。クラシック、能とか、漫才とか、なんか安心やないですか。漫才いうて急に客席から誰か出てけえへんし、クラシックいうたら凶暴な人はいいひんやろうし、割とみなさん集まり易い。ところがミックスしたものに関しては、なかなか切符売れへんのですわ。
 例えば今、おかげさんでグランド花月は、満員ですけど、これなぜかと言いますと、三千五百円出したら、必ずこんだけぐらい笑かしてくれるやろう、そういう信頼感があるから、みんな来てくれはるんです。そやなかったら、面白(おもろ)いか面白(おもろ)ないか、楽しいか楽しくないかわからへんもんになかなか千円でも二千円でもなかなか払ってくれはる人っていてはらへん。ジャンルを破ったものっていうのは最初はものすごく不遇ですよ。絶対にお客さん来てくれはらへん。面白そうやな、と感度の強い人、いわゆる文化的と言われてる人ほど、保守的です。だからその時に、シルク・ド・ソレイユも全然客入らなくて、ぼくなんかは一サーカスマニアとして、フジテレビに頼まれて、サーカスの見方なんていう深夜番組を作ったんですよ。でその時に、誰かがミュージカルより楽しくて、サーカスよりドキドキするというようなね、キャッチフレーズを作ったら、やっとちょっと切符が動き出した。今やですね、世界中で売れている。
 ラスベガスの興行形態もいままでは、ディナーショーとかカクテルショーみたいに酒飲みもってあるいはご飯食べもって見たやつが、いまや時代遅れになって、劇場形式で見ましょう、というふうなことがほぼ主流になってきた。その点でパリのムーランルージュは、大時代遅れになってしまった。サーカスでもカザフスタンのサーカスみたいにドレスアップして作ってかろうじてちょっとした商品になった。大阪なんかを考えるときに、大阪はもともと何とかの町やったとか、そんなことあんまり言うべきではないんちゃうかなっていう気もするんですね。
 みなさんは漫才っていうとしゃべくり漫才が、正当なんちゃうか、と思っています。せやけどね、結論から言うとしゃべくり漫才いうのは、ラジオ時代の産物やと思います。ラジオが始まる前、生でやってる時、やっぱり切ったりはったり今みたいにやってたわけです。ラジオになって動きが見えへんから、しゃあないからしゃべくりになった。だから、テレビ時代になって、敏江・玲児さんとかやすきよみたいに、はったり蹴ったり動いたりいうのがメディアに合った芸となります。
 ブロードバンドになったら、それ用のメディアに合う芸ができてくる。だからインターネット時代もですね、チャット芸人が出現するかもしれません。あいつにチャット送ったらめっちゃくちゃ面白いでといって、そいつの会員になる。チャットの世界でも英雄で、チャット好感度日本一みたいなのがあり得るかもしれない。ぼくらの子供とか孫ぐらいになったら、またちょっと芸の形も違うんちゃうかな。そないやってメディアによって芸って言うのが変わる。せやけど基本はですね、林さんが言っておられたように、人を楽しませるのが楽しい、人って人を楽しませる時が一番楽しいっていう基本は基本です。
◎大阪人の才能を発掘したい◎
 話をなんばクリエイターファクトリーの話にしますと、大阪の人を集客したい、とりあえず人を集めたい。で、さっき林さんの話聞いてぼく思ったことは、林さんが出町柳の商店街に呼ばれてどうこうっていう話をされましたけれども、やっぱり大学ってなかったらアカンと思いません?要するに、林さんって今四十歳、ぼくと同い年ぐらいですけども、その人が年とったら自分のその出発点を確かめにまた出町柳行きますよ。僕も京都の大学行きましたが、五年もしたら肝臓いわして酒も飲めへんようになると、昔はここで酒飲んどったな、大騒ぎしとったなって今出川行ったりするんじゃないですか。そうやって大学って、ほっといても自分で思い出作ってくれはるとこなんです。自分の若かりし日のストーリーを確かめにまた行かはるとこなんですよ。せやから京都なんていう町は、そうだ京都行こうかなんて言わんでも、京都行こう言うてるヤツが、いっぱいいるわけですよ。リストラされた、そうだ、京都行こう、もう一回自分の原点に帰ろう、っていうヤツ、いっぱいいはるわけです。そういう大学は、実は大阪市内にあんまりないですね、こうやって大阪市立大学が一生懸命やろうとされてるというのは、すごい。むりやり全員でストーリーを作るんじゃなくって、大学とか自分らひとりひとりがストーリーを作ってくれるわけやないですか。そういう点でも大学っていうのは、やっぱり市内にあったらそこが、吸引力を持つんじゃないかと思うわけです。
なんばクリエイトファクトリー「映像コース・撮影実習の様子」
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 なんばクリエイターファクトリーっていうのを作って二年になるんですが、南海さんが大阪球場の跡地に巨大な町を作られるわけで、そこ何とか広域から集客したいというんです。人が集まって来るっていうことはどういうことなんでしょう、とみんなで話をしたわけです。それは一言で言うと、名所やなあ、と。名所って何や言うたら、物語のあるとこなんですよ。例えば法善寺横丁って物語があるじゃないですか。夫婦善哉にしろ、その恋の法善寺横丁にしろ。なんとなく潤いがあって、いまでも若い人でもけっこう水かけてますよ。映画の舞台になったとことかね。あのビートルズのアビーロードっていうLPは、なんてことない横断歩道の名前ですが、世界で何百万枚売れて、そこに皆集まって来る。昨日テレビでやってましたけど、ハリー・ポッターという本がやたら売れてて、キングスクロスに行って、九番の四分の三のホームはないのか、と聞くヤツがいっぱいおる、と。そういう風にストーリーがあって初めて人が集まって来る。OBP(大阪ビジネスパーク)ぜえーったいダメですよ。なんのストーリーもできないですよ。(クスクス)だってあそこで勤めてる人、わざわざ京橋で飲んだりするんですよ。昼飯も悲惨な状況らしい。ほっといてあげたらエエねんけど。(笑)ああいうとこは、絶対に歌はできないすよ。OBP悲しい色やねん、いうたら怒られるし。(笑)あそこで二十億私もうけました、とかいうのも、企画書通ってニューヨーク支店に出ました、いうのも歌にならへんじゃないですか。だから、そこで飲んで泣いたとか、誰かと別れたいうんで、やっと歌になるわけで、ああいうビジネスっぽいところは、なかなか歌にならない。だから、僕ぐらいの年代の人が、パリなんか行くと、カフエ・ドゥ・マゴのように、サルトルとボーヴォワールが議論しとったいうようなカフェにみな一応行かはる、こんなもんかあ、いうて、入ってゆで卵食べさせられるわけですわ。別にいきなりサルトルが出てくるわけでも、ボーヴォワールが出てくるわけでもないんですよ、二人とも死んでるんですよ。せやのに、ここで、二人で難しい話してはってんな、っていう、雰囲気にひたりに行くわけでしょ。そういうもんじゃないですか。ほな名所なんてもん、どないやって作っていくんやいう時に、ストーリーがある。難波いうたら、もともとの鴨難波いうてネギ作ってはったいうてね。大阪球場っていうても、こないだ亡くなった杉浦が投げ、野村が打ち、広瀬が走り、そういうことは若い人は知らんのですよ。ここに球場あったんですか、いう人がほとんどなんですよ。それも辛いな。せいぜいマウンドでも残しとこうか。大余談ですが、そんな話をやってる時に、ところであのピッチャーズマウンドとホームベースは、どこ行ったんやろうな、って話になったんですね。そしたら話しているうちにですね、実は大阪スタジアム興業という会社があってですね、その川島っていう部長が家に持って帰ってたんですね。(笑)南海の大ファンで。すっごい面白いですね、南海ファンって。家に持って帰るかーって(笑)感じですけど。公私混同ってもんやないなあ。それはエエとして。その大阪球場って知らない。そこで作れるストーリーって何やろうな。これはサクセスストーリーやな、と。人が成功していく。ほんなら大阪でやるとどんなサクセスストーリーやねんって、一番分かりやすいのは、やっぱりコメディアンとか、シンガーですね。コメディアンはおかげさんで一杯でてきてるわけですね。大阪の二丁目劇場とか花月とかですね。最近だと、三木道山とかつんくですね。これは美談ですけど、つんくは、大阪城公園でライブをやって売れてやっと建物の中でできるようになった。これはすごいストーリーじゃないですか。外でやってるやつらを励ますことになる。だけども音楽の世界っていうのはホンマに、作れないんですね。お笑いの世界は、吉本さんがやったはるからということで、ライター、プロデューサー、映像作家、デザイナーっていう4つのコースだけを作ったんです。さっき言いました林さんの言ってるみたいな間違いないみたいな役割をですね
 難波というところでやってきた。難波からなにかできた。だからよく例に出すのは、このクリエーターファクトリーから一人の宮崎駿がでたら勝ちやと。といいつつも引っ張りつつなんですね。いつまで続くやらと思ってるんですが。
 一番のポイントは先生方の意見として、食ってる先生が、大阪でも食っていける部分において、食いたいと思うてるやつをやっていく、ゆうとこです、ここは。で、よくありがちなのが、何十年前のテレビの話をするおじさんが先生やってられてもですね、もうええやろって、ぼくらからするとね。そういうことじゃなくて、やっぱ現役でやってる人たちが生徒たちをライバルやと思いつつやっていく。
 で、最後ですけれども、こういう塾みたいなのは街でしかできへんのですね。人が集まってるとこやないと。よく町おこしで、「うちの町でもできませんかね、こんなん?」言われて、「そうですねえ」言いながら、「そんなことできるわけないやろ」って思ってるわけですが、先生呼んでくるだけでも大変やし、生徒からもお金もらってるわけですから、やっぱりですね、ある程度都市基盤がないとこういうのはできないわけですね。ただここにも問題があってですね、一つはなかなか当たらへん。ものを教えるっていうんじゃなくて、その人が持っている才能を発掘するみたいな、気の長い話なわけですね。
 それで、一年二年三年で結果を求められるとちょっと辛い。だから街づくりと並行してじっくりやっていきたいなと。それにしても、彼らが出る場所はつくっていってあげないといけない。やっぱり人間っていうのは人泣いてるとなんかしらんけど出てくると、いうとこがあるので、そういうふうにして。で、そっからいろいろ面白いヤツが出てきたらですね、今から十年後十五年後少しは役に立つかなあと。だから、僕京都の人間やから思うんですけれども、大阪って、ものすご気楽で自由じゃないですか。ものすごポジティブでだから、ものすごう無茶苦茶な新しいジャンルのヤツには優しいので、それを受け入れるいうところがありますね。もっときちんとしたアーティストとか、裏方、クリエーターっていうのは大阪でほぼできてくる。だから、このあたりは大阪のメリットちゃうかな。どうも、時間が来ましたので、ありがとうございました。
・・・・・〈吉本興業総務部長〉








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