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自然と文化 第68号(ぼくの日記帳は、カメラだった。)

 事業名 観光資源の調査及び保護思想の普及高揚
 団体名 日本観光振興協会 注目度注目度5


◎神々との対話◎
 真剣に祈を捧げる女性の姿を見ていると、まるで神としゃべっているかのような錯覚に陥る。実際、神は意思表示をするのだから驚きだ。(写真[12])
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写真[12]祈りを捧げる人
 祠廟は誰にでも開放されている。入ると、たいていおばあちゃんが出迎えてくれる。近隣に住む女性が、日常的な管理をしている祠廟がきわめて多い。清代の官史であった陳盛韶は福建に赴任した際に、当時の福建の風俗を「問俗録」(小島晋治ほか訳、東洋文庫、1988年)に著した。その中で、「婦人は歳が五十に近くなると、必ず廟に詣でて香を焚き経を読み、来世の幸福を祈る…中略…若い者はお参りしないが、ときに一、二の廟に詣でるものがいる」と記している。今でも、変わらぬ女性たちの姿を見ることができるのである。
 われわれもおばあちゃんに手ほどきを受けながら、祠廟に詣でてみよう。(図[10])
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図[10]祠廟詣での順序
図の番号順に拝んでいく
 供え物を持ってきたのであれば、まず主神の前の八仙卓に置く。そして、線香に火を点す。火は年中、消えることのない火からもらい受ける。線香から煙が立ち昇れば、お参りの開始だ。最初に、門に近いところにある香炉へと進む。ここで、外に向かって拝む。まずは、天を司る神である天官に挨拶といったところだ。そして、次に配神を拝んでいく。そして、最後にいよいよ主神の前で拝むこととなる。お伺いを立てなければ、普通にお祈りして香炉に線香を上げて終わりである。
 神にお伺いを立てるのは、何か困ったことに遭遇した時だ。神の意向を尋ねるというわけだ。この時、神は「イエス」、「ノー」の意思表示をする。神の意思は、「ボーポエ(厦門語)」と呼ばれる、二つで一組の三日月形をした木片で示される。この「ボーポエ」は膨らんだ面と平らな面があり、陰と陽を表している。これが、二つあるのだから、出方は三通りある。一つは膨らんだ面が二つ出たときで、神が怒りを表しているという。また、平らな面が二つ出た場合は、神に嘲笑されているそうだ。このいずれであっても、神の回答は否である。再度、お伺いの立て直しだ。もう一つの出方、膨らんだ面と平らな面が同時に出た時にはじめて神が肯定するのである。(図[11])
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図[11]ボーポエの出目
出目によって、神の意思が異なる
 また、中国の祠廟にもおみくじがある。おみくじを引く時も、手順はお伺いを立てるときと一緒である。「ボーポエ」を使う前に、占いたいことを神に告げ、数字が書かれた木の棒が入った筒を振る。そして、一本の棒が落ちるまで振り続ける。棒が落ちたら、今度は「ボーポエ」を振り、肯定であればその番号の札を受け取る。しかし、否定されたら、もう一度やり直しだ。(写真[13])
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写真[13]おみくじ
同安の媽祖廟で筆者が引いたおみくじ
 日常生活の中で、祠廟がにぎわうのは旧暦の毎月1日と15日だ。この日には、多くの近隣住民が線香を上げにやってくる。そして、最もにぎわうのは主神の生誕日である。
 厦門の市街を歩いていると、突然の人だかりに驚かされることがある。人々の視線の先には、独特の化粧を施した人たちが劇を演じている。街路が舞台となり、神と対峙する位置で奉納劇が捧げられているのだ。劇は歌仔戯と呼ばれる福建省南部に見られる劇である。人々は各々、椅子を持ち寄り、劇を食い入るように観ている。そう、祠廟に祀られた神仙の生誕を祝う廟会が催されているのだ。(写真[14])
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写真[14]赫霊殿の廟会
路上で奉納劇が繰り広げられる
 厦門の規模の小さな祠廟は専用の戯台をもたない。幅の狭い街路が、廟会の時にはパフォーマンスの空間になるのである。
 そもそも廟会に出会ったのは、留学して丁度一年が過ぎたころに、かつて厦門を管轄していた県である同安を訪れたときだった。その時に、出くわしたのが朝元観という祠廟であった。人影も少なく、近年建てられた主殿はありきたりの観光地化と思わせるに充分であった。せっかく来たのだからと管理事務所の門戸を叩き、そこにいた某氏に、朝元観の歴史を聞いた。引き上げようとすると、「今度、年に一度の廟会があるから是非来てみなさい」と誘われた。そのあまりの熱心さに再度、同安を訪れることになった。
 廟会という言葉は、文献にもよく登場し、馴染の深い言葉であった。しかし、実際に廟会を見たことはなかったので期待に胸を躍らせながら朝元観へ向かった。朝元観へと続く街路はすでに人波ができている。祠廟に近づくと、線香や紙銭、供え物となる果物を売る人たちが店を広げ、ごった返している。祠廟の前にある前庭には、仮設の舞台が築かれている。かつて訪れた時の閑散とした雰囲気とはうってかわって空間が生き生きとしている。境内に入ると、中庭には仮設の供え物を置くためのテーブルが出され、絶えることなく参拝者が訪れる。(図[12])
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図[12]廟会時の朝元観
廟会時には、前庭に仮設の戯台、中庭には供え物をするテーブルか並べられる
 朝元観の廟会は、旧暦の六月六日から八日までの三日間に渡って行われる。廟会では、主神である玉皇大帝が現世に降りてくる。束の間の現世を、人々とともに楽しむのである。初日には、神降しが行われる。紙でつくられた家に神が宿るとされ、道士の祈とともにそこに降りてくるのである。神の現世での仮の住まいは前殿に掲げられる。この前殿には、参納劇を演じる劇団員も寝起きする。奉納劇は、午前、午後、晩と休みなく演じられる。また、廟会の時には疫病の神である同安出身の神、保生大帝の護符が配布される。(写真[15])
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写真[15]保生大帝の護符
三角形に折って、肌身離さず身につけていることで効果があるという
 そして、二日目の晩には、クライマックスとなる神送りの儀式が行われる。神降しを行った五人の道士が主殿に現れ、祈がはじまる。玉皇大帝の神前にある八仙卓の前に、即席にテーブルが置かれる。そこには、紙銭などがのっている。中央の道士は左手に三本の線香、右手には板を持っている。ほかの四人の道士たちは、それぞれ太鼓、横笛、ラッパで演奏を行う。そして、中央の道士がそのリズムに合わせ、祈しながら、軽やかに舞う。10分ほどでこの儀式は終わり、玉皇大帝の現世の家がある前殿へと向かう。道士によって、家は取り外され、前庭に出される。仮設の舞台では、奉納劇が演じられている。降ろされた家に、たくさんの紙銭が張りつけられる。神があの世で使うお金である。こうしているうちに、周囲には女性を中心に、人が集まってくる。皆、手には線香を携えている。そして、神への祈りを捧げている。道士が玉皇大帝の家に火を点けると、祈りを終えたものから次々と線香が投げ入れられる。同時に、爆竹が打ち鳴らされる。玉皇大帝の家は火柱をあげ、燃え続ける。10分ほど燃え続け、火が消えると儀式が終わる。(写真[16][17])
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写真[16][17]神送りのクライマックス
前庭に置かれた玉皇大帝の現世の住まいを前に、人々が祈を捧げる。紙の住まいに火が点けられて、神送りの儀式はクライマックスを迎える
 今日でも、祠廟は人々の篤い信仰を受けている。都市開発が急激に進んでいる昨今、それに歩調をあわせるがごとく、神々の住まいも現代化している。面白いことに、周辺の開発によって、祠廟の存在が気づかれ、壊されるどころか手厚い寄付金により、改築された例もある。
 祠廟の存在は、居住地に彩を添えている。そして、近隣住民との密接な関係が存在しているのである。街の身近な相談所であり、コミュニティの場を形成しているのだ。都市居住に欠かせない住民のための施設であると感じずにはいられない。神々は、近年の乱開発をどう見ているのだろうか。
 今後も、祠廟の灯りは消えることはないだろう。
<都市史>
図面作成協力=畑山明子(日本女子大学)








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更新日: 2017年12月9日

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