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◎採蜜道具[ヒトはニホンミツバチが冬越をするための蜜を残す]◎
 採蜜時期は各地によって、多少違っている。これまでに筆者が調査した個人データを集約してまとめると、宮崎県椎葉村は八月から十月下旬、長崎県対馬地方では十月中旬、中国山地地方では九月から十月、紀伊山地地方では六月から七月中旬までに採蜜を行う。紀伊山地地方は採蜜時期が他地域と比べ早いのは、紀伊山地地方では秋はニホンミツバチが集める蜜源植物が少なく、秋から冬にかけてあまり蜜を採取できないからである。このため六月から七月までに採取すれば、八月から九月にかけてニホンミツバチは蜜を採取し「ウト」の中に蜜を溜めることができるからである。
 ニホンミツバチの採蜜時期は、地域、個人によって異なり、八月の盆までに採蜜を行う養蜂家もいれば、九月ごろ、また十月ごろ行う養蜂家もいる。
 ここで注目すべきは、採蜜量は三分の一、または二分の一とり、残りの三分の二、または半分以上はニホンミツバチの冬越のために残す方法をとる。
 採蜜道具は巣板の切り取り道具により、養蜂家の考えたやりかたで行われる。ドウ型の巣箱では、ドウの上を倒し、下方から採蜜する。ただし、島根県柿木では、ドウの上に乗せていた「ウッポウ」を切除して、ドウの上から単板を切り取る方法がとられる。(島根県柿木村)
 箱筒を積み重ね型のミツドウでは、養蜂家が箱の上に板を軽く叩き、板をとりタバコの煙を吹きかけ、ニホンミツバチを下方へ移動させる。箱の上段か、二段目に包丁を入れて、箱と箱を切り離す。切り取った箱はたらいの中に入れ持ち帰る。箱の中のミツロウは包丁で板についているミツロウを切り離して、たらいに入れる。ミツロウは、包丁で小さくしてから、網袋に入れる。網袋を天井からぶら下げ、下には大型のプラスチック容器を置き、垂れミツを受ける。(島根県弥栄村の事例)
 開き戸型の立方体の巣箱では、前の戸をはずして、前から巣板を片方側を切り取り、容器の上に網をおき、その上にガーゼを敷き、その上に巣板をおき一日半かけて自然にたらす方法をとる。(和歌山県熊野川町の事例)
 蜜は、貴重な薬として考えている養蜂家も多い。対馬地方のある養蜂家は、便秘の時は蜜を水に溶かして飲むと効き目があるとしており、下痢には、蜜を湯で溶かして飲めば直ると言っている。また、口荒れにつければよいともいわれている。この言い伝えは、紀伊山地地方や中国山地地方など各地に伝わっている。
◎総論◎
 巣箱の形態については、表[1]で示したとおりである。五種類に形態分類ができる。A型のドウ型は、九州地方では長崎県対馬地方、宮崎県椎葉村、中国地方島根県柿木村、紀伊山地地方の奈良県十津川村、和歌山県古座川町、熊野川町などの、山間地帯に広く分布している。
 対馬地方は、島でありながら大木が豊富であることからA型のドウがよく使われている。対馬地方のハチドウの材料は、スギ、ケヤキ、タブ、ハゼノキ、ヒノキなどである。対馬地方では、主にスギ材が豊富にあり入手しやすく、材質が柔らかくて木をくりぬきやすいことから使用されている。中国山地地方では、巣箱の材料はスギやクリ、アカマツ、ベニヤ板などが主に使われている。紀伊山地地方の巣箱の材料は、スギやトガ(和名ツガ)、サクラ、ケヤキなどの木が使われている。「ミツバコ」の材料としてはトガ和名ツガの木が硬くてツヅリムシが付きにくいのでよいとしているが、スギ材が入手しやすいことから、スギ材がよく使われている。
 B型、C型は中国地方では、やや平坦な土地で広く分布している。島根県三隅町、島根県匹見町ではC型の箱を積み重ね型が広範囲に分布している。
 中国山地地方と対馬地方ではニホンミツバチの巣箱の設置場所には相違がある。それは、対馬では家の周りや山に巣箱を沢山設置しているのに対して、中国山地地方の島根県と広島県の県境あたりでは、ツキノワグマの出没による巣箱の被害があるため、山に沢山の巣箱をおくことができない。
 各地の養蜂について、類似性と相異性をまとめると次のようになる。
類似性は、
一、分蜂時期前に分蜂群が留まりやすい「ミツウケ」などを設ける。
二、養蜂家は、分蜂時にニホンミツバチ群を低い所に留まらせるために水をまいたり、金物を鳴らして音を鳴らす方法をとる。
三、宮崎県椎葉村と紀伊山地の奈良県十津川村は離れているが、同形のドウ型の巣箱が使われており、どちらの呼称も「ウト」といっている。
四、養蜂は、山地帯を中心として蜜源地帯に広く行われている。
五、ひとりの養蜂家が、ニホンミツバチの入っている巣箱を所有する数は少ない。巣分かれのニホンミツバチ群を毎年捕獲すれば、ひとりの養蜂家の所有するミッバコの本数は多くなりそうであるが、ハチノスヅリガの幼虫でるスムシにやられるニホンミツバチもあるし、ニホンミツバチの外敵であるスズメバチ類にやられることもあり、多くの巣箱の維持管理は難しい。ニホンミツバチの養蜂は趣味や娯楽性が強い。
六、かつて焼畑農耕が行われていた地域での養蜂が盛んである。
宮崎県椎葉村、対馬地方、中国山地地方は、かつて焼畑農耕が行われていたところがあり、その地域でのニホンミツバチの飼養がみられる。
相異性は、
一、巣箱は、木をくりぬいたものを使う養蜂家もあるし、板で作られた箱式巣箱を使う養蜂家もある。
二、巣箱の設置には、地上への設置か、軒下へのぶらさげる型がある。
三、採蜜は、巣箱の下からする養蜂家や、巣箱の上からする養蜂家や、開き戸式の巣箱で、前から採蜜を行う養蜂家もいる。
 類似性と相異性から考えると、日本各地のニホンミツバチの養蜂技術は、山地帯に広範囲に伝播し、それぞれの養蜂家の創意工夫から独自の技術が作り出されたと筆者は推測する。対馬の巣箱の形態は、韓国にもドウ型巣箱が見られることからも、韓国からの伝播も考えられる。さらには、日本各地で分蜂時にバケツを叩いたりなどの音をならすことは、古代ギリシャにおける民間信仰にも関連があるといえることはとても興味深い。
 筆者は、養蜂技術を視点におき、これまでの各地の調査研究を基に、養蜂技術の全体像をいろいろと考えてきたが、まだまだ、はっきりしない点がたくさんある。しかし、養蜂は、明治十年のセイヨウミツバチのヨーロッパから日本への導入により、セイヨウミツバチの養蜂が主流になったが、ニホンミツバチの養蜂も全国の山地帯で今日まで広範囲になされている。今日まで養蜂技術が伝わってきていることはまぎれもない事実である。ヒトは自然のなかでニホンミツバチと関わりをもってきた。
 今後の筆者の課題は、日本各地のニホンミツバチの養蜂がどのような歴史的な変遷をたどり、どのように各地への伝播をしたのか追求することにある。
 <江の川高校校長>
参考文献
原 淳「蜜蜂今昔」「虫の日本史」新人物往来社 一九九〇年
渡辺 隆「ミツバチの文化史」筑摩書房 一九九四年
宅野 幸徳「西中国山地における伝統的養蜂」「民具研究96」日本民具学会 一九九一年
宅野 幸徳「対馬の伝統的養蜂」「民具研究103」日本民具学会 一九九四年
越智 孝「愛媛のニホンミツバチ」「ミツバチ科学」玉川大学ミツバチ科学研究施設 一九八五年








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