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(5)肥土家隠宅
所在地 :下吉田3860-1
蔵の建築年 :大正から昭和の初め頃(ヒアリング調査によるが、明治元年頃という説もある)
敷地面積 :2102m2(崖地488m2を含む)
所有者 :肥土豊氏
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▲庭の高木と蔵
○現況
 敷地は広く、沿道に面しては保存すべき建築物は無いが、敷地裏側には明治時代のものとも言われる蔵が残っている他、樹齢70〜80年を越える大木があり、吉田宿沿道からの景観にもアクセントを加えている。
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▲庭の高木と蔵
○歴史的経緯(肥土豊氏、青葉佐一氏へのヒアリング調査による)
 店蔵対面の敷地には内部でつながった二つの建物(萬屋の建物は和風で肥土小売部の建物は洋風であった)があったが昭和32年の大火で焼けたため、その後建て替えるまでの数年間は先代が旧郵便局に住んでいた。
 敷地内の蔵は大正から昭和の初め頃の建物であり、店蔵よりは新しい(前の持ち主の時代からのもので、明治元年頃に建てられたという説もある)。
 敷地裏側のイチョウやケヤキなどの大木は自分が子供の頃からあり、樹齢70〜80年以上は経っている。
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植栽図 S:1/500
○所有者の利活用への意向
 現在、使用していない母屋の部分は町に買ってもらい、まちづくりに役立てたいと考えている。
 蔵は現在でも使用している他、敷地内の大木はぜひ残していきたいと考えているため、大木のある部分と蔵のある部分は自分の地所として残したいと考えている。
(6)旧仲町公会堂
○現況
 一部の外観や天井等に当時の面影を残しているものの、老朽化が進んでおり、広範に渡って改修が行われている。
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▲正面現況
○歴史的経緯(青葉佐一氏へのヒアリング調査による)
 町制施行の必須条件として公会堂建築を企画したが、秩父歌舞伎の発祥の地として歌舞伎の上演できる劇場を建設するということで、肥土氏が「岩崎屋」妹尾氏を調査に派遣して東京の劇場を実習して帰り、昭和4年に公会堂兼吉田劇場が完成し、開場式には松本錦枝一座の大歌舞伎と新派新劇の高浜七久義一座が一週間に渡り上演された。
 公会堂の建設にあたっては、町で森林組合経営の製材所建設を申請し、その補助事業で附近に工場を新設し、劇場の周囲に多くの店が建ち並んだ。同年、仲橋が開通し、この一帯が賑わうようになった。
 公会堂では歌舞伎、新劇などを催していたが、戦争末期には戦況のニュースが流され、そして戦後は映画上映が主となった。
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▲新聞記事に掲載された開設当時の写真
 昭和40年頃には経営者がいなくなり閉鎖され、もとよりつながりのあった肥土酒造の倉庫になった。
 平成13年町有財産となる
○所有者の利活用への意向
 平成13年度中にも取り壊し、宅地として分譲する予定。跡地を示す標識くらいは設置したい。
(7)新井医院
○概要
 新井医院の敷地の中にある建物の一部は昭和14〜15年の建物である。昭和32年の大火の出火元より風上だったため燃えなかった。現在でも医院として使用されている。
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▲正面現況








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