日本財団 図書館


本部ほか
鈴木 睦美 (SOSセンター)
「ボランティア参加は将来に渡って私の自慢となりそう」
 あっという間の11日間でした。思えば4年前、初めてWG大会を知った時からわくわくした気持ちでその日を待ち続けたものでしたが、終わってみればなんと時間の早かった事。大会期間中は仕事とボランティア業務の掛け持ちで結局何一つ競技を見ることが出来ず残念でしたが、悔いの残らぬよう一日一日を大切に務めようという気持ちで臨みました。
 大会期間半ばの事だったでしょうか、業務終了後に食事に立ち寄ったお店で見ず知らずのお客さんに話し掛けられた事がありました。ボランティアのTシャツを着ていましたので、すぐにWG関係者と判ったようです。その方は開会式を見て非常に感動し、その後、ご家族も連日のように競技を見て回ったとの事でした。それまでは全く関心も無く、一部の盛り上がりを冷めた目で眺めていたのだそうです。
 私も、開会式では出演者のアテンド業務に就いたものの、部分的に式の様子を窺い知るのみだったので、そのお話を伺って改めて満足感で一杯になりました。開会式当日、会場ではボランティアの皆さんがお互いを信頼し、連絡を密にして見事な連携で動いておられたことが印象的でした。
 そうした姿勢に感動したのでしょうか、業務終了後に一人の中学生が我々ボランティア全員にサインを求めるという出来事もありました。
 私には具体的に今後のボランティア活動の予定はありませんが、世界の人々がこの秋田大会を楽しんでくれたのだと思うとまた新たな力が私を動かします。楽しいことばかりの業務ではありませんでしたが、日常生活からは得ることができない感動を味わいました。また、短いお付き合いでも素晴らしいボランティアの方々と接することが出来、恵まれたと思っています。
 皆さん、本当にありがとうございました。
 今回のWG秋田大会へのボランティア参加は、将来に渡って私の自慢となりそうです。
塩田 容子 (SOSセンター)
「裏方だったけど、すばらしい夏」
 ボランティア活動全般を通して、SOSセンターの中でも、外でもいろいろな人と感動を共有でき、交わることができたのが一番の思い出です。
 SOSセンターの中ではすばらしい先輩たちと知り合え、そして今でも連絡をとり合っているということは、とてもすばらしいことと思います。
 大会と直接にはあまり関われませんでしたが、陰で充実した仕事ができたと思います。
 この経験を通して、自分にさらに磨きをかけられたような、そんな気持ちです。
 暑くて、大変だと思ったこともありましたが、私にも「熱い、すばらしい夏」でした。
 ワールドゲームズ…参加してよかった!
 ありがとうございました。
末田 肇 (SOSセンター)
「年齢差を感じない学校の教室のよう」
 大会成功おめでとうございました。県、市職員の方々始めボランティアの皆さんも良く頑張られたと思います。
 大会本部の隣にあるSOSセンターでは本部の仕事の煩雑さや多さが特に良く理解できました。私の仕事場には県警の方が4人常駐、雇用のいわゆる本職の通訳が9カ国語3交代で24時間体制を組んでいました。それに我々ボランティアが日中9人ずつ2交代でつきました。多い時には40人位が部屋一杯になっていました。
 私個人としては本職の通訳の方々を身近に接する機会は初めてでしかも9カ国語同時は通訳の方々も珍しいことと言ってました。日本在住の外国人の通訳の方も多くその共通語が流暢な日本語と言うのもびっくりしました。ボランティア同士の話も楽しいものでした。写真を撮り合ったりE-mailのアドレスを交換したり年齢差を感じない学校の教室のようでした。
 今回思い知らされたことは生半可な知識や経験でボランティアをしてはならないと言うことでした。通訳部門でエントリーしましたが、SOSセンターに配置されたてIDカードを首から下げれば実力いかんにかかわらず外から見れば雇用もボランティアも区別されない訳で、通訳として期待されるわけです。とても大きな恐怖感となってしまいました。
 大会も終りに近い頃ある会場に出向いたとき通訳ではない仕事をされていたボランティアの方たちが英語、スペイン語、中国語を巧みに話されて作業していました。
 後でその中の一人のお嬢さんと話す機会があり、「自分は話すことが出来るが通訳となるとそれだけの責任が出てくるのでこの会場の仕事をしながら言葉が必要になったら話します、それで充分です。だからここにエントリーしました」と言っておられました。
 この方以外にも多くのボランティアが通訳の代役をされたことで、この大会が成功したと言っても過言ではなし、と思います。
 県外からきた私には控えめで、しかも奢らず仕事をこなされた秋田のボランティアの皆さんの実力を思い知らされた大会となりました。自分の思い上がりを反省した次第です。
 大会事務局に一言、県外からきた者は宿泊をしなければなりません。13日間泊まるとなれば交通費と合わせると結構な金額になります。最初の話では公共の施設を安く利用できるようにすることになっていましたが、規則の関係でそれが出来ないことが判明、しかしその説明がないまま宿泊業務がJTBに移行され通常の宿泊斡旋となり大変不快な思いをしました。幸いこちらのボランティアの方のご尽力により安価な宿を見つけることが出来ました。
 それと、毎日の油っこいおかずが入っている幕の内弁当と併せてもう少しきめ細やかな配慮を今後このようなイベントがあるときにはお願いしたいと思います。
 しかし、何もやらないよりは今回WG2001AKITAに参加したことで多くの反省を含め、私にとってとても意義ある大会になりました。
 最後に、「ぼらん♪cha」のスタッフの皆様のご苦労と編集に対する情熱に脱帽いたします。
 ありがとうございました。
z1110_01.jpg
蛭田 秀法 (SOSセンター)
「WGボランティア、国際ボランティア年を飾る!」
1. 国際ボランティア活動今昔
 中曽根康弘首相が「21世紀のための友情計画」を提唱し、青年招聘事業がアセアン6カ国を対象として1984年から開始された。目的は「日本とアジア諸国にとっての20世紀は、戦争という不幸な時代であり、今後それを乗り越え、21世紀に向けた真の日本とアジアのパートナーシップの確立を目指すことが望まれている」ということであった。
 1982年(社)青少年育成国民会議が全国に語学ボランティアの参加を呼びかけ、秋田県から3名が東京で開催された研修会に参加した。その後、ボランティア活動は社会福祉、環境、リサイクルなど、各分野にわたって行われている。そして、今大会では、約3, 800名ものボランティアが大会成功のために結集した。国際ボランティア年にふさわしい快挙であった。
2. SOSセンター
 1982年、仲間と一緒に秋田県語学ボランティア協会を創立し、今回会員はSOSセンター、ウエルカムセンターなどで活躍した。SOSセンターのスタッフは県警、9カ国語の雇用通訳、語学ボランティアで構成され、様々なトラブルに対処した。食事の内容、お金のおろし方、輸送の方法、ホテルの支払い、病気などで困っている外国選手や役員を助けたり、各パーティーでの通訳や交流の手伝いなど、様々な場で大会の円滑な運営に一役を担うことができた。
3. ボランティア活動の楽しみ!
 いろいろな人との出会いが1番である。老若、性別、職業や立場、地域や国をこえて同じ目的のために活動する体験が得られた。いろいろな人と話し、これからの生き方に大変参考になった。
 現在、全国で「ITボランティア登録」運動が起こっている。ボランティア活動は健康に良いという調査結果もあり、21世紀はますますボランティア活動が地域社会と自らの自己実現のために大事になってくると思う。
佐藤 薫(メインアクレディテーションセンター:IDカード発行)
「年齢も仕事も違う仲間との出会い」
 ボランティアに来ている人はポジティブな人が多く、刺激を受ける事が多く話題も豊富で、話してみて楽しかったです。年令も仕事も千差万別の集まりだったのでまとまって仕事ができたと思います。
 このようなボランティア活動でしたら、またやってみたいと思いました。いろいろ人と出会えた事、そして友だちになれた事が、私にとっては大きな収穫でした。
 ただ一点、私のまわりでは、県外出身のボランティアの人が多いのに驚きました。ボランティア活動が大げさなものではなく、自然にできるようになるのが理想です。
宮村 真知子(アクレディテーションセンター:秋田駅ID発行)
「いつか又会えたらいいな!」
 主に駅でID発行のボランティアとして活動しましたが、毎日が本当に楽しく充実していて駅に行くのが楽しみでした。それは一緒に働いた方(ボランティア、県庁、通訳の方)が皆良い人達ばかりで気持ちよく働けたのと毎日色々な人達との出会い、再会があり、改めて人との触れ合いの魅力、良さを感じたからです。
 毎日日本食を食べ歩いていたカザフスタンのコーチ、駅に着いた時には「お腹空いた」を連発していたのにいざ試合では殆どの選手が優勝したロシアトランポリンチーム、ベンチに気持ちよさそうに寝ていたオランダのコーフボールチームの選手等、色々な方との出会い、触れ合いがありましたが、一番嬉しかったのは次のことです。
 道で出会ったリトアニア選手の頼みで東京に電話をし、彼等が駅に着く時間等を知り合いの日本人に告げたら、すごく感謝され、気持ち良く別れました。
 その2日後に見知らぬ番号から携帯に電話があり、「誰からだろう?」と少し不信感を抱いて出ると、リトアニア選手を迎えた日本人の方からでした。彼は「リトアニア選手がすごく感謝して私も同じ日本人としてあなたの行為に感謝している。お礼に明日皆で食事をしないか」と言いました。残念ながら次の日も秋田で勤務があり、再会は出来ませんでしたが、もう1度リトアニア選手とも話が出来、自分ではそんなに大きなことをしたつもりではなかったのにこんなに喜んでくれる人がいるとはとても胸が熱くなり次の日からより仕事に力が入りました。
 最初は11日間は長いと思いましたが、実際仕事が始まるとあっという間でした。私は秋田人ではないので一緒に働いた方々となかなか会う機会がないのが残念ですが、いっか又会えたらいいなと思っています。
 駅で働いた方、お疲れ様でした。皆大好きです!!
z1111_01.jpg
大澤 かすみ(ドーピングコントロールステーション:ドーピングエスコート)
「出会いと感動」
 ボランティアの皆様、組織委員会の皆様、本当にご苦労さまでした。
 すばらしい大会であったと思います。特にボランティアの方々は、あの炎天下の中黙々と働いていた姿にボランティアのひとりとして、拍手を贈りたいと思います。
 私の配属先は、少人数のせいかとてもまとまりが良く、食事や遅い帰宅に不満もありましたが、お互い助け合い終始笑い声がありました。すばらしいボランティア達に出会え、スポーツの持つ興奮と感動を味わうことができました。
 反省点として、仕事内容の伝達が遅く、具体的に何をするか当日近くまでわかりませんでした。従って充分な研修もなく不安でした。仲間を早く知って、研修出来ればよかったと思います。
 また、本部からの人が2人だけでしたので、連絡ミスや伝達不足があり、スムースにいかない時もありました。
 選手の皆さんの「秋田は素晴らしい、県民はフレンドリー」の言葉にボランティア達は勇気付けられ、無事に任務を終えることが出来ました。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION