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医療を変える「語りの医学」への回帰
Narrative based Medicine
 
(財)ライフ・プランニング・センター研究教育最高顧問
道 場  信 孝
 「病にたおれる」、「病から回復する」、あるいは、「病と共に生きる」ということは、すべての人々の人生における「より広い物語」の中で演じられる「病に関連した物語」です。病の物語は患者の問題に対して全人的にアプローチする枠組みを与えるものであり、診断や治療における選択はこれらをふまえて決断されるものです。「病歴をとる」ということはこの物語を解釈する行為であり、そして物語の意味を識別することになり、従って、解釈は物語の分析の中心部分(核:コア)をなすものです。
 「病の語り」は内面的な痛み、絶望、希望、悲嘆、道徳的な痛みまでも含めた現実に存在する苦痛のすべてを提示するものであって、それらは人々の疾病そのものを構成するものでもあります。
 現代の医療にはなにが欠けているでしょうか。20世紀はまさに医学の飛躍的革命の世紀であり、人類は自然科学に裏付けられた第一級の医学を手に入れることができたといえます。人類は数千年の長い時間の経過において農業革命を果たし、その後、およそ300年で産業革命を完成させました。そして、生活の革命はさらに加速され、情報の革命はたった30年で達成されてしまいました。
 この間に医学は病気をよりょく理解し、それらを征服するために人体を最小単位に分解するといった科学の常套手段を極限にまで押し進めてきました。すべての医療の供給システムは特殊化の傾向を強め、その目的のために特殊な役割に対する中央化が進められてきました。そして、病院は病める人たちのケアや癒しの場ではなく、病を征服する城塞と化し、患者は尊厳を持って治療される人というよりは、研究の対象となってしまいました。
 医療者と患者の関係における会話は、今では業務として行われており、内容より形式が中心であり、従って、皮相的なものとなっています。しかし、実際の臨床の場面では、話題の向け方、語りの調子、間合い、さえぎり、そして、非言語的なコミュニケーションの手法など、もっと豊富な医療の技法を取り入れて分析的に行うならば、患者が語り、医療者が聞く物語はダイナミックな相互作用を通じてさらに異なった展開になるはずです。このような共同作業による会話を詳細に検討すれば、医療者は患者の語りをより建設的に聞き取ることを学ぶことができると思われます。
 証拠に基づいて行動する医療者であっても、臨床経験やそれによる判断の重要を否定するものではありません。臨床の手法は患者、医師、検査結果によって語られる重複した物語を、語りの技術に基づいて解釈する行為であり、最も適切な最大効果をもたらす医のアートは、語りに基づく多くの優れた臨床決断の積み重ねによって成就されるものです。証拠に基づく研究成績を臨床の実際に当てはめるときに生じる不協和音は、われわれが語りによる解釈的な手法を放棄し、証拠のみを追い求めるときにしばしば生じることです。
 診断や治療は、証拠というよりは物語の解釈であり、そして、それに基づくケアの行為と考えることもできるし、統合された医療はよく解釈された物語の中から生まれるものでもあります。医療の改革には、このような“語る”ということの伝統を臨床の実際に甦させなければならないし、よい医療は患者の語りと医療者の語りが一体となったときに開花するものと思われます。医療を受ける方々にも、上手に語りを医療者に伝える意識の改革と受診行動の変容が期待されますし、さらにそのような立場で医療を批判的に吟味することがよりよい医療の実現に大きく資するものと考えます。








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