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新老人の生き方に学ぶ [11]
模型飛行機のプロペラに魅せられて
もの造り一筋に65年
木暮末吉
 
 私のもの造り人生は,模型飛行機のプロペラから始まったように思います。少年時代から何故か工作が好きで,いつもこつこつと箱車を作ったり,さまざまな貯金箱を作って,気がつくと家の隅に私の工作室ができていました。夏休みになると宿題を先に片付けて,模型飛行機作りに熱中しました。私の飛行機は形はよいのですが,思うように飛びませんでした。そこで友人の市販品の飛行機を見せてもらい,どこに欠陥があるのか比較してみました。友人のプロペラを見て驚嘆しました。飴のように45度によじれ先端まで伸びて行く曲線美,先端は抵抗を少なくするために均整のとれた丸味,そして軽量,強靱。航空力学の方程式で作られたものでした。私のプロペラは単なる竹トンボにすぎなかったのです。幼稚な少年ではたちうちできませんでした。でも大人になったら作ってみよう。その心はずっと変わりませんでした。
 中学卒業後,東京に父の友人を訪ね,現在の大田区大森の航空計器製作所へ養成工員として入社しました。出社第一日目に工場見学をしました。精密機械が動いている。鉄が鉄を削っている。作業者の前に大きな図面があり,わけの分からない数字が一杯書いてある。測定器が並んでいる。隣りで何人かが手仕上げをしている。とても難しそうで,何が何だかわかりませんでした。田舎者の私にできるだろうか,自信を失いかけました。その時,プロペラを思い浮かべて,この段階を越えなければ,プロペラはできないと思いました。それから一日3回の休息時間を利用して,精密加工の実施勉強を始めたのです。そして,5年間,先輩の手厚い指導をも受け,精密加工技術が磨き上げられました。
 時代は移り太平洋戦争終結,軍需工場が閉鎖し,平和民需用品へと切り換わりました。軍需工場で培われた高度技術は,次々にヒット商品を産み出し,欧米諸国の技術を追い越したのです。そのヒット商品を産みだす蔭にもう一つの精密金型が開発されていたのです。この金型なくして,高精度製品をつくることは不可能でした。私はこの金型に従事していました。
 日本の高度経済成長期,東京オリンピックの年に,小資本の金型工場を設立し取引先より高度な技術力をかわれ,精密金型を業界に送り出しました。平成元年バブル崩壊,厳しい経済情況の中,現在通信機の小さな小さな米粒位の携帯電話の部品の金型を製作中です。数えで80歳の私ですが,老眼鏡をかけたり,外したり,特殊拡大鏡を用いて仕事のできる喜びで頑張っているのです。8時間労働という訳にはいきませんが,その日の体調に合わせての仕事です。
 さて,プロペラ造りはどうなったのでしょうか。実はその後作ったことがないのです。ただし私に与えられたもの造り人生は,このプロペラヘのあこがれがきっかけだったのです。奇しくも,そのプロペラが地球環境に優しい風力発電をもたらし,着々と製品化され,世界中で建造されています。私が40歳位に戻れたら,無風状態でも回転するプロペラを造りたいと思います。福沢諭吉先生の十訓の一つに,人生で仕事のないのが一番淋しいと書かれています。これを私の教訓にして残された人生を精一杯,培われた技術を世に貢献できることを楽しみに生きていきたいと思います。明日を夢みて。
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1回10kmのマラソンを週3日走られるという木暮さん
新老人に聞く 座右の銘(その3)
 
低く暮らし高く思う 石原 純
理解の深化 石丸 喜久江
光陰矢の如し 市川 清見
御縁のある方, 事柄を大事にして生きたい 市原 泰子
誠意余裕 市川 ユリ








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