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急性期の老年医療
 米国の医療はセルフ・ケアやホーム・ケアが基本にあり,多くの健康上の問題は外来診療や在宅ケアで扱われているので,急性期のケアはその目的や目標が明らかであり,したがってその結果として在院日数かきわめて短い。従来いわれているように,医療費が高いために滞在期間が短縮されるという見方は必ずしも正しくない。今日,わが国の病院経営において在院日数を短縮するため種々の努力が試みられており,クリニカルパスやクリティカルパスなどもそのような目的で広く普及しているようであるが,周辺の医療事情が整備されない限り,病院内での効率化のみを図っても問題の解決にはならない。
 今回見学したBeth Israel Deaconess Medical Centerでの急性期医療はそのような意味できわめて有意義な経験であった。12月14日,午前8時に施設内の指定された場所でDr.Ronald Garryに会い,朝食を摂りながらACOVE(Acute Care of Vulnerable Elderly)Programの説明を受けた。frailでvulnerableな老人の医療は,単一の疾患で病態も明らかな若年患者のそれとは大きく異なっており,病態が不明確な上,きわめて複雑な症候群を呈して迫ってくる。一人一人の病態が挑戦的であって苦労が多いが,逆に得るところも大きい。このような脆弱な老人のケアの質は,多くの経験から作り出されるガイドラインによって絶えず新しく確かなエビデンスに基づいて高められなければならないが,それらをどのように行うかの手順がAssessing Care of Elderly(ACOVE)に示されている(Annals of Internal Medicine 2001;135:641)。
 急性期の入院期間は通常5日以内で,この間に手際よく問題が処理されていく。毎朝のラウンドはいわゆるチャート回診の形で行われ,主治医,主治ナース,そして,OT,PT,MSW,栄養士,薬剤師などが関連する患者のプリゼンテーションに合わせて順次入れ替わりながら討議が進められていく。統合されたチーム医療が行われているので,司会をするのはいわゆるケースマネジャー(ほとんどがナーススペシャリストで,この場合はgeriatricsのナーススペシャリスト)としてのコーディネーターで,これは後に述べる慢性期ケアの場合も同様である。新患であれば,まず主治医(老年病のレジデント)が病状について診断や治療方針について説明し,次いで主治ナースがケアの状況,そして,PT,OTはそれぞれの立場から評価と治療の方針を述べ,相互に意見の交換を行った後,見解の一致を見た上で全体としてのケアが決められる。その際に,患者の心理・社会的な問題がそれぞれの立場から提起され,それらに対してMSWが問題を整理して対応の方針が提示される。老人は身体的な面で複雑な問題を抱えている上に,社会的交流の面でも問題が多く,さらに,うつや痴呆といった精神・心理的な障害も併存しているので,わが国の医療現場ではお手上げとなる事態でも,豊富で科学的な経験を踏まえた米国の急性期医療の現場では整然と問題が処理されていく。そしてケースマネジャーはすべての患者に対して包括的,全人的に問題を把握し,患者は高い尊厳性を維持しながら医療が受けられる。また,老人の患者では94歳の姉が92歳の妹の世話をするということは珍しいことではなく,更に多くの場合では独居しているので,急性疾患で入院している時には遠方に住んでいる親族に連絡をとって了解を得るなどの重要な雑務があり,これらは友人や隣人が代わって行っていることが多い。すでに入院している患者の場合には,ケアの進行状況がそれぞれの職種について報告され,その後の方針が決定される。もちろん,これらの討議の中で最新の医療情報が紹介されたり,臨床研究のテーマが話題にされるが,いずれにしても医師が主導権をとるということではなく,コーディネーターの自然な司会の中でスムーズにカンファレンスが進められていく。
 Beth Israel Deaconess Medical CenterはDr.Rabkinらが中心になって合併された病院なので,お互いの建物がやや離れている。老年病の患者が1カ所にまとまって入院しているわけではないので,実際の回診では階段を上ったり,道路を横切ったり結構な運動を強いられる。当日,Dr.Garryが担当する新患の回診に他の女性のレジデントと参加したが,患者は独居している92歳の男性で前日の夜中に自宅の階段から転落し,右上腕骨頭と右大腿骨頭を骨折して早朝に入院した。入院直後から前胸部圧迫感が生じ,広範囲ではない前壁の心筋梗塞と診断された。循環動態は比較的安定しており,患者の認知能も良好であったが,糖尿病と軽度の腎不全があり,急性心筋梗塞の治療をどうするかの決断を迫られていた。幸い家族への連絡はついており,状況の説明はすでに済まされていた。心臓の状態が安定していなければ骨折に対する手術はできず,手術をしなければ寝たきりの生活をすることになることから,患者自身も家族も冠動脈造影検査を希望していた。主治医は冠動脈造影検査を行う医師と連絡を試みたが,術者は検査中で接触できず,レジデントがその後の連絡をとることでその場を引き揚げたので,この結末がどのようであったかはわからない。
 急性期の対応には迅速な決断が必須であるが,決断に際して判断に必要な情報がすべて揃っているかどうかがキーポイントであるが,このようなfrailでvulnerableな患者への適切な対応には,優れた教育システムの中でよい臨床経験を積むことが絶対に必要であり,すでに高齢化しているわが国において,老年医療の急性期ケアには医療者の教育を含めた抜本的なシステムの構築が急務であると思われた。








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