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[5] 農林水産物の採取と運搬
 【大悲山の長材伐出】の見どころは、大規模で高度な林業技術にある。画面全体の広大な雪山には、はるか遠方まで杉の林が続き、伐採地は山頂より奥地まで広がっていたことが読みとれる。伐採する杣人は、大径木を雪修羅の方法で峰から谷へと滑らせている。位置は、現在の京都市最北部の山国地方で、京都を代表する林業地であった。画面の「帆柱や風も雇はず雪転し 蕣福」という歌は、「都名所図会」の編者によるものである。これは、それまで名どころとして和歌に詠まれていなかった場面が、新たに名所ととられたことを示している。【鳥羽の瓜の収穫】は、夏の農産物の収穫風景である。「いまこの鳥羽に作れる甜瓜(まくわうり)美味にして他境に勝れり。」とあるように瓜の名産地である。【宇治の茶摘み】では、茶の名産地の女性達が「声をかしくひなびたる哥諷(うたうた)ひて興じけるありさま」で、楽しく労働する。【北白川の石工】(図-5)では、「北白川の里人は石工を業としてつねに山に入りて石を切りだし、灯籠・手水鉢そのほかさまざまなものを作りて商ふなり」とかかれるように、里人が、名産白川石を切り出す現場である。画面には、付近の音無の滝と鑑賞する人々や石工を眺めながら通過する人々が同時に描かれている。これらの挿絵は、材木、野菜、石材といった農林産物の生産地である。
 さらに、生産地からの運搬も名所とされた。【奥山の丸太流し】は、伐出された大木の川流しである。山国地方の材木は、筏にして大堰川を下るが、上流の伐採地付近の険しく細い支流では、丸太で一本づつ流される。ここで筏師は、曲芸ともいえる一本乗りの技を駆使するため、通りかかる人々に注目されている。解説文では、中国の古代神話である山海経をもとに、「水神陽候のちからとやいふべき」とかかれ、川の流れが神聖なものとしてとらえられている。【鞍馬の木炭運搬】では、炭焼き風景と、山里の女性達の背負い運搬の場面である。【八瀬の薪・柴運搬】は、薪・柴の産地から運搬する里人が休憩している場面である。八瀬には鬼の洞伝説があり、里人の独特の風俗は鬼神に由来するものと語られており、八瀬の名所としての趣を深めている。【鳥羽の魚の運搬】では、「都へと走る魚荷のそのすがた肥えた鳥羽絵に作り道なり 蕣福」と歌われ、魚を都に向けて急いで運搬する人々が描かれている。行き交う都の人々は、道をあけて眺めている。土地の産物は旅人に注目されていた。
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図-5【北白川の石工】
[6] 村里のたたずまいと風流
 【業平の母の在所】(図-6)、【木幡川の里】(図-7)では、村里のたたずまいが描かれている。【業平の母の在所】は、一見すれば平凡な里であるが、この里は在原業平の母の住んだ在所であるため、由緒がある。「ゆききする人々は尾花が袖・萩の花妻をかかげてこのところに立ち寄り、むかしを感じ、懐旧の和歌をよみてすぎ行くもおほかりき」とあるように、この里を訪れ、昔を偲ぶ人々がいるのである。挿絵では、里の女性が業平の母の塔を指さし、訪問者に見どころを教えている。背景は、茅葺き民家の軒先には女性と子ども、犬たちのいる穏やかな生活風景である。これが故郷らしさの表現である。【木幡川の里】は、自然風景の開けた村里の暮らしぶりである。川辺で釜の焦げを削る母親と、かたわらに釣りをする子ども達がいる。背景は、広がる河川と山並みで、特に珍しい風物があるわけでもない。村里の自然豊かな環境とのどかな日常が名所となっている。【紅葉と鹿の風景】では、村里の風流な自然が描かれている。人々は、三日月のもとで紅葉と鹿が調和する風景を寺から眺めている。【松尾の里での月見】は、里人の休息である。夫婦が月夜を眺めながら、晩酌をし、妻は裁縫をしている。一日の疲れを癒す穏やかな様子が描かれている。
 村里の魅力は、旅のつらさと対照的なゆったりとしたところにある。
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図-6【業平の母の在所】
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図-7【木幡川の里】
3. グリーン・ツーリズムの資源
 これまでにみた30枚の挿絵から、郊外名所の基本的な見どころを考察する。まず、人々は季節の産物を採取し、自然豊かな現場で食べる楽しみを味わっており、これらの組み合わせが楽しみを増幅させていると思われる。当時は、魚、茸、鳥、蛍など自然の産物が豊かで、自由に採取することができたという背景があり、季節の名所になっていたのである。また、近世の旅は、徒歩や牛馬で幾日もかけて目的地へたどりついた。その道中の歩みが名所となっていた。旅人の通過する街道、峠道、河川は、往来する人々の姿とともに描かれていた。旅人は、通過する農山村地域を見物しながら、里人とふれあいながら歩いていたことがわかる。道中の休憩地には、長旅の疲れを癒す場所とともに、都会の喧騒を離れて心身を休める場所もあった。そして、里人の農林水産業は、村人の力強い行商や林業技術が感嘆され、多くの場面で名所とされた。都の人々の生活必需品であった燃料、木材、野菜などの生産地は関心が持たれていたのである。一方で、里の暮らしは長閑で風流であった。そして、都から離れた奥山や産物は、神話と伝説によって彩られていた。
 まとめると、近世におけるグリーン・ツーリズム資源は、郊外での採取と飲食の組み合わせ、必需品である燃料や食料の起源、高度な林業技術と村人の行商、奥山の神話性や自然の神秘、農業と里の長閑な生活、村人からの情報収集などに集約される。ところで、これらは、現代に求められているグリーン・ツーリズムの資源と異なるのであろうか。
 現代の都市住民が農業や農村に求めるものは、「新鮮で安全・安心な農産物、緑豊かな自然と清らかな水、自然観察・農作業体験等による肉体的精神的リフレッシュ、美しい農村景観との出会い、農村の伝統的・個性的な地域文化との出会い*15」などがあげられる。そこで、現代のグリーン・ツーリズム資源を、自然環境、農林漁業・食、景観・伝統文化に大別して検討する。
*15 井上和衛「都市生活者とグリーン・ツーリズム」井上和衛・中村攻・山崎光博「日本型グリーン・ツーリズム」都市文化社, 1996年, p29
○自然環境
 自然豊かな農山村は、近世においても安らぎが求められたが、現代では、旅の道中の疲れを癒す目的より、都会生活の疲れを癒す目的に重きがおかれている。そして、現代でいう肉体的リフレッシュは、近世では旅の道中で得られたのである。これらのことから、自然環境は、休息と再生という点で現代に通じる場所であると思われる。また、近世の自然は、ほとんど樹木のない山と水量の豊かな河川であるが、現代に求められる自然は、うっそうとした緑であろう。そして、近世において強くみられる自然の神聖なイメージは、非日常性を感じさせるものであり、現代においても、自然の失われた都市と対照的な農山村地域は、非日常的な空間である。
○農林漁業・食
 近世に頻繁に行われていたように自然の資源を採取するという行為は、現代でも大変関心が持たれている。しかし、近世において注目されたように、農林産物を採る人々への感嘆やあこがれは薄れ、産物自体への関心に移ってきている。なかでも現代では、燃料や木材よりも、食料の起源への関心がとくに強く残っている。そして、現代の人々もまた、魚釣りや茸採りといった採る楽しみ、食べる楽しみによって、都会生活から解放されている。産地で採取したばかりの魚や野菜は、都市で手に入るものとは違う、非日常的な恵みと感じられている。
○景観・生活文化
 近世では、農山村地域への関心もみられた。田舎の穏やかな暮らしがよいと思われたのは、賑やかな都とは異なった生活文化に安らぎが感じられたからだろう。現代では、農山村は、雑多な都市景観と比べると美しい場所だという認識が広まっているものの、営々と続いてきたありのままの農山村の生活もまた求められていると思われる。
 以上の結論として、人々の農山村に対する思いには、自然やその産物の非日常性、過去の暮らしを想起する安堵感などがあることが示唆される。これらが基本的なグリーン・ツーリズムヘの要求であろう。そのうえで、現代の社会状況に伴って、安全な食料や農山村の美的享受などの要求が見られるが、基本的には、近世の名所における見どころと、現代のグリーン・ツーリズムヘの要求は類似していると考えられる。
V グリーン・ツーリズムの可能性
 グリーン・ツーリズムの可能性は、近世の名所に求められていた見どころから、どのように引き出すことができるだろうか。グリーン・ツーリズムとは、単に農山村地域でレジャーを行うものではなく、農山村地域の自然や文化とより深く関わり、味わうための観光である。また、訪問者を受け入れる農山村にとっては、大規模な開発を行わず、地域資源を最大限に利用することを目指すものである。したがって、今後の展開のためには、人々の交流を通じて、地域資源を享受する方法を考えることが鍵になってくる。
 そこで、都市住民と農山村住民との交流のあり方を検討するため、先の30枚の挿絵に登場する主体に注目し、前項でみた現代のグリーン・ツーリズム資源に求められる3つの側面との関連を位置づけた(表-3)。
表-3「都名所図会」に描かれた主体とグリーン・ツーリズム資源との関連
  グリーン・ツーリズム資源
自然環境 農林漁業・食 景観・生活文化





訪問者 淀の屋形船*
大枝坂の時鳥鑑賞
字治川の蛍狩り
粟田山の日岡峠
旅路の嵯峨大井川
井提の玉川の渡り
大悲山の乳岩
大櫃川の鮎釣り
松尾の茸狩り
 
訪問者
地元民
八瀬の竈風呂*
修学院の雲母坂
一の坂の馬乗り
笠置山名石の細図
大亀谷の茶屋*
大堰川の鮎釣り
北白川の石工
八瀬の薪・柴運搬
鳥羽の魚の運搬
若狭街道と茶屋*
業平の母の在所
石清水からの帰路
地元民 宇治川一帯の風景 大悲山の長材伐出
奥山の丸太管流し
鞍馬の木炭の運搬
鳥羽の瓜の収穫
宇治の茶摘み
木幡川の里
松尾の里での月見
紅葉と鹿の風景
注1 *当時、観光業として営まれていたもの
注2 主体が明らかでないものは、訪問者と地元民の両方が描かれていることとした。
 この分類をもとに、グリーン・ツーリズム資源と主体との関連において、特徴的であった事項を整理する。
 
○名所には、旅の現場と、旅されなかった場所があった
 旅の現場とは、訪問者が描かれた場面であり、旅されなかった場所とは地元民のみが描かれた場面である。「都名所図会」では、旅人の道中が多く描かれたことから、旅の現場が多い。しかし、奥山などの都から遠い郊外ではほとんど訪問されていない場所も描かれた。これは、イメージとしての名所だったといえる。
 
○休憩・保養は、近世において、すでに観光業であった
 屋形船、街道沿いの茶屋、山村地域での蒸し風呂は、近世にすでに観光業として営まれていた。いいかえると、それ以外の資源は、観光業としては活用されていなかったのである。
 
○訪問者が目的として享受した資源は、自然環境に集中していた
 自然環境を題材とした挿絵は、訪問者のみが描かれたものが多い。自然の風物は、訪問者だけで楽しむことができるため、地元民は関わっていない。
 
○訪問者と地元民が描かれたものは、主に峠や街道での移動経路であった
 両者が描かれたものは、移動経路が多く、それぞれの目的は、旅の道中や休憩地、農林水産物の運搬などである。両者には、釣りの技術を教わる、もてなす側と客との関係、すれ違いに互いを注目する、道を尋ねる、地元民の生業を見物するなどの関係があった。また、関係しない場合でも、あえて同じ画面に描かれているものもある。
 
○地元民のみが描かれたのは、農林漁業や農山村の景観・生活文化であった
 農山村への訪問者は、農山村のたたずまいを見るために訪問するということはほとんどなかった。農山村の生活や風流は発見され、名所として理解されていたが、想像にとどまるものだったといえる。
 
 そこで次に、グリーン・ツーリズムの可能性を考察する。近世のグリーン・ツーリズムは、訪問者が実際に目的として楽しんだこと、目的ではないが見物したこと、訪問地ではないが想像上で楽しまれたことと説明できる。
 まず、目的として楽しんだ場面についてである。例えば、【大堰川の鮎釣り】では、地元民の生業としての農林水産業を通して互いに関わりがあった。地元民と同じ場所で楽しむことは、今後も交流の可能性を持っている。次に、見物した場面である。とくに、訪問者と地元の人々が共に描かれた多くの場面に、交流活動を伴った新たな観光名所を展開する可能性があると考えられる。近世には、現代にない旅があった。近世においては、旅の長い道中は必然であり、人々は道中で交流していた。しかし、現代の旅人は道中の交流を失ってしまった。あえて農山村を見物し、そこに住む人々を求めて行かなければならなくなった。例えば、【北白川の石工】のように、里人の生業を旅人が見るという関係をつくることが考えられる。そのためには、見せるための農林漁業の振興が期待される。
 そして、想像上の名所に新たな可能性がみいだせる。なぜなら、近世において名所として想像された農林漁業の生産地や農山村の景観は、近年注目されている農山村らしさや農山村のありのままの姿を味わうことに通じるからである。例えば、【業平の母の在所】と、【木幡川の里】がそれにあてはまるといえよう。【業平の母の在所】は、著名人の由緒ある故郷であったために訪問者がみられた村里であり、【木幡川の里】は、訪問する場としてはまだ認識されていなかった普通の村里である。これらのイメージとしての名所は、近世においては観光地にはなっておらず、名所として新たに考えられるようになったという段階にとどまる。どちらの里も、滞在の目的地として、現代の新たなるグリーン・ツーリズムにつながる可能性を持っている。
 以上のように、訪問者が描かれた自然環境はかつてから楽しまれており、現代の人々にとっても同様に関心が持たれている観光資源である。ここでは、地元民の関わりが求められる。そして、訪問者と地元民がともに描かれた多様な場面に、交流を伴う新たなグリーン・ツーリズムの可能性があると考えられる。さらに注目するべきことは、地元民のみが描かれたイメージとしての農山村こそ、現代に求められているグリーン・ツーリズム資源であるということである。グリーン・ツーリズムの振興に向けては、長旅の過程、伝統的な農林漁業など、現在では消滅した見どころの復興と、農山村地域そのものを現代的に享受する方法を模索することが期待される。
VI おわりに
 近世の名どころを描いた「都名所図会」は、それまで続いてきた名どころのみではなく、その時代の新しい見どころが加えられたものであった。近世の名所から示唆されるグリーン・ツーリズムの資源は、決して古びていない新しい提言を含むものであることが明らかになった。とくに、かつて平安京の都であった京都では、人々に都会的な感性が宿っていたために、農山村地域を文化的に捉えてきた歴史が推察される。都があり、他地方との往来があるからこそ、京都の郊外名所は楽しまれた。近世において旅が盛んになるとともにグリーン・ツーリズムも展開していったといえる。したがって、現代のグリーン・ツーリズムヘの要求は、現代的な背景を含みながらも、一過性の流行ではなく、都市の生活と表裏一体の関係にある基本的な要求といえるだろう。








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