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TOGO トーゴ
1997年ハンセン病制圧達成
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■村を巡回する検診班による診断
 
政情不安を乗り越えて
トーゴでは1967年にハンセン病制圧プログラムが開始されました。移動診療班がハンセン病の診断を行ない、患者として登録された人には自宅まで薬剤を届ける徹底した活動を行ないました。1986年にMDT(多剤併用療法)が導入されるまでの約20年間で、2万6,500人以上が患者として登録され、大半がダプソン単剤療法(5ページ参照)で治癒しました。ハンセン病は治療すれば治る病気だという意識が、広く浸透していきました。
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 1986年にはMDTが首都ロメで導入されました。トーゴは優れた保健制度を持っていたため、MDT導入当初から一般の保健所での診断・治療が可能でした。また医療機関や研究所間のネットワークが完備していたため、診断や治療状況のフォローアップが確実に行なわれました。そのため感染力のある患者が治療を受けずにいたり、ハンセン病専門の診療所まで治療を受けに行く必要がなくなりました。
 専門的な医療面はハンセン病や結核の専門医が担当し、その他プロジェクト運営に必要な事務や薬剤の配布などは特別な研修を受けた看護婦や看護士が行ないました。扱いが簡単で安全なMDTの薬剤の配布など、医師や専門家以外でもできることは看護婦や看護士が担当することによって、薬剤がダプソン1種類からMDTの3種類に増えたことによる費用増加を相殺することに成功しました。
 1978年には人口1万人あたり50人だった罹患率も、1990年には3人以下に減少しました。政府はハンセン病制圧を目指し、研修や、患者の登録作業、各地域での啓発活動といったこれまでの弱点を克服するため、山間地を対象とした計画を立てました。
 全国的な計画が試験的に開始された1991年から1994年にかけて、トーゴは政情不安に陥り、1年以上にわたって中央と地方との連絡システムが機能しませんでした。治癒率は低下し、反対に、罹患率は1994年には人口1万人あたり10人を超えるまで上昇しました。しかし政情不安の中でもハンセン病対策活動は続けられていました。ハンセン病の症状ではないかと疑いを感じた人の診断をし、ハンセン病と認められた人は患者登録を行ない、看護婦の指導のもとで、治療が行なわれていたのです。その結果、新たに見つかる患者の数は再び減り始め、感染源も減少していきました。1997年、トーゴは人口1万人あたりの罹患率が1人を下回りました。トーゴではハンセン病制圧目標の達成を公表しました。
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■外来患者を前に医療指導する医師と看護婦








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