SRI LANKA スリランカ
1995年ハンセン病制圧達成
■村をまわってハンセン病の啓発活動
マスメディアを使って意識改革
スリランカでは1954年にダプソン(
5ぺージ参照)を使用した、初めてのハンセン病対策が開始されました。村落での調査やキャンペーンのおかげで、患者として登録される数はそれまでの3倍にもなりました。しかし非常に長い治療期間と、1960年代後半以降に現れ始めたダプソン薬剤耐性菌のため、ハンセン病対策は行き詰まりました。
1983年のMDT(多剤併用療法)の導入が大きな転換期となりました。登録患者は1年以内に全てMDTの治療を受け、治癒するようになりました。しかし「怖い病気」という恐怖とスティグマ(社会的汚名)をあおるのではないかという心配や、費用がかかることから戸別訪問で個人の患者の診断・登録を行なわなかったため、まだ治療を受けていない人々も多く残っていました。このため伝染率は依然として高いままでした。
1990年、保健省はこのような状況を打開するため、人々の意識改革を目指した大規模な広報キャンペーンを開始しました。ハンセン病も他の病気と同じように治る病気であること、治療は無料で受けられることを、ラジオ・テレビの広告や番組、看板、バス・壁のポスターで訴えかけました。また村の女性たち、指導者、学校の先生、聖職者にハンセン病啓発研修を行ない、教材や資料を送り、ハンセン病についての正しい知識の普及をはかりました。テレビやラジオの普及していない地方では、皮膚科医による移動検診で、無料の皮膚病治療とともに、ハンセン病の診断も行ないました。
診療所の数を増やしたり、診療時間を延長したり、診療所の予定が載っているポケットカレンダーを配布したり、薬剤の配布や服用を簡単にするためブリスターパック(
5ページ参照)を使用したりと、人々が家の近くで、簡単で最良の治療を受けられるような体制も作られました。誰でも無料でMDTの治療を受けられ、病気も治癒するということが人々に伝わっていきました。
診断や治療の技術を向上させるため、保健所員や、病院外来の医療従事者、大規模農園の医療従事者や開業医も特別な研修を受け、ハンセン病に関する情報が広く伝わっていきました。
このような活動の結果、人々のハンセン病に対する暗いイメージも徐々に変わっていきました。1年たたないうちに患者の登録数は150%も増え、中でもハンセン病の症状ではないかと感じた人たちが自ら診断・治療を求めてくる割合が急増しました。
1995年には、罹患率が人口1万人あたり1人以下になり、WHOの定めた公衆衛生問題としてのハンセン病制圧の目標が達成されました。