ハンセン病制圧に成功した国々
タイ |
1995年制圧達成 |
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スリランカ |
1995年制圧達成 |
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ベトナム |
1995年制圧達成 |
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トーゴ |
1997年制圧達成 |
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ベニン |
1997年制圧達成 |
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ベネズエラ |
1997年制圧達成 |
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■出典:WHO-Leprosy: Learning from Success
制圧達成国と日本の比較
国名 |
人口
(100万) |
国内総生産
1人あたり(US$) |
平均 寿命
(年) |
乳児死亡率
1,000出生あたり(人) |
飲料水設備 普及率
井戸等(%) |
成人識字率
15歳以上(%) |
日本 |
126.8 |
24,898 |
80.8 |
4 |
100 |
100.0 |
タイ |
62.0 |
6,132 |
69.9 |
26 |
80 |
95.3 |
スリランカ |
18.7 |
3,279 |
71.9 |
17 |
83 |
91.4 |
ベトナム |
77.1 |
1,860 |
67.8 |
31 |
56 |
93.1 |
トーゴ |
4.4 |
1,410 |
51.6 |
80 |
54 |
56.3 |
ベニン |
6.1 |
933 |
53.6 |
99 |
63 |
39.0 |
ベネズエラ |
23.7 |
5,495 |
72.7 |
20 |
84 |
92.3 |
■出典:UNDP Human Development Report 2001
THAILAND タイ
1995年ハンセン病制圧達成
■ハンセン病基金や財団の設置、啓発活動の他、定着村の訪問など積極的にハンセン病問題に取り組まれるプミポン国王陛下、並びにシリントン皇女
ハンセン病診療所から一般外来へ
タイでハンセン病の制圧プログラムが開始された1953年、全土に患者は約14万人、罹患率は人口1万人あたり50人という高さでした。1955年には、患者の診断、啓発教育、在宅治療を基本として、ダプソン(
5ページ参照)による単剤治療が始まりました。登録された患者の80%近くが治療を受けました。その結果、1971年には、罹患率は人口1万人あたり12.4人まで減少しました。
*新患者率: 各年末までの12ヶ月間に新たに診断された入口1万人あたりの患者数
*罹患率: 各年末(12月末日)現在に登録されている人口1万人あたりの患者数
1972年、タイ国政府は画期的な全国保健推進計画を発表しました。それまでの、他分野との連携のない縦割り行政のプログラムを廃止し、適切な研修と情報システムの開発を行ない、ハンセン病対策プログラムを各地域の一般保健サービスに統合したのです。これまで多くの人が手遅れになるまで治療を受けに来なかったのは、特定ハンセン病専門病院に通院・入院しなくてはならなかったからです。ハンセン病特定病院に通院すれば、周囲の疑いやスティグマ(社会的汚名)の恐れがつきまといます。しかし、一般保健サービスへ統合したことによって、一般診療所で診断・治療を受けられるようになりました。人々は安心して早い段階から自宅近くで治療を受けられるようになり、治療を途中でやめてしまう例も減りました。また、各地域にハンセン病センターを設立し、必要な技術的な指導や支援を行なう体制も整えられました。
タイ国王陛下は私費を投じてのハンセン病対策研究所の建設、財団の設立を始めとし、僻村訪問の際の王室付きの医療団による患者治療一般にかかる費用の負担など積極的にハンセン病対策に取り組まれています。多くの国民が国王陛下の活動に共鳴し、ハンセン病対策活動は活発になっていきました。
ダプソンヘの薬剤耐性が高まったため、タイ国政府は1982年にMDT(多剤併用療法)を導入しました。治癒率は飛躍的に伸び、治療期間は大幅に短縮し、患者数は急速に減少していきました。ハンセン病の患者や回復者を社会から排斥しないための啓発活動も始まり、患者や回復者は社会に受け入れられていくようになりました。
1995年には、罹患率は1万人に対して1人以下になりました。公衆衛生問題(人口1万人あたり罹患者1人以上)としてのハンセン病制圧の目標が達成されたのです。
1953年 ハンセン病対策プログラム開始
↓
1955年 ダプソン単剤療法開始
患者診断活動
保健教育強化
在宅治療
↓
1972年 多分野連携プログラム開始
一般病院での治療
↓
1982年 MDT導入
↓
1995年 ハンセン病制圧達成
■小学校での啓発活動