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小滝  全部の入口が、右側が女性、左側が男性というように決まっているとよい。

 

小山  階によって、トイレの位置は同じであるが、男女の位置が違う。

 

小滝  広い意味での情報。

 

小林  設計者の立場から言う。トイレは与えられる面積が少ない。それを有効利用して個数を確保し、ゆっくりした空間にするため苦心している。右、左を替えるとうまくいく場合がある。それでも男女を、左、右と決めたほうがよいのか。そのあたりが悩みだ。

 

川内  ルールを作り、フラッシュバルブと緊急ボタンの形を変えるべきだ。トイレの告知については、枠の、手の届く高さに日本流のルールでマークをつければよい。エレベーターの枠にはエレベーターの階を告知している。トイレも告知をすればよい。工夫のしようだけである。視覚障害の人にそれを使ってもらうためには、ルールを統一しなければいけない。ルールが統一できれば、問題解決はそれほど難しくない。東陶、INAXが決めてくれると一挙に解決する。

 

|ユニバーサルデザイン|

 

川内  今までの話は、バリアフリー、アクセスビリティの話だ。ユニバーサルデザインについての話は出ていないので、それをしておきたい。ユニバーサルデザインというものは、日本に早くきすぎたと思っている。ここ1〜2年でこんなに速いスピードで広まるとは思っていなかった。資料にあるユニバーサルデザインの7原則、わかりやすくてよいが、これを単に使えばよいということではない。7原則のうち、どれが重要でどれがいらないのか。優先順位はどうなのか。デザインする側が考えなければいけない。日本ではこの7原則をそのままフラットに出してしまって、この7原則を利用するものの考え方をぜんぜん説明しない。それは、ユニバーサルデザインが一番嫌うことだ。

ユニバーサルデザインは、バリアフリーをいろいろやってきて、その経験を積み重ねて出てきた。バリアフリーではいっぱいしくじりが起きた。そのバリアフリーの問題点を考えてきた時、バリアフリーではもう対応できないということで、ユニバーサルデザインという考え方が出てきた。

その性格の一つとして、基準に頼らないということが挙げられる。そもそも、ガイドラインが出てきても、設計する側、使う側が信念を持ってやらなければいいものはできない。また、基準を出すとしても、その基準は普遍のものではないのに、今までの基準はいったんできたら10年とか改正されるまで固定的なものだった。それに対し、ユニバーサルデザインの基準は常に流動的、常に前を向いているという感覚でないといけない。品質の担保として、主体性とか、自分で調べて自分で考えていくことが求められている。何を根拠に考えていくかというと、ニーズを探していかなければいけない。

今は、基礎的な人間工学的・倫理的な材料が足りない。この段階でユニバーサルデザインをやっていこうとしたら、そこには完成品でなくて途中経過としての成果しか出てこない。ユニバーサルデザインはゴールがないと考えられる。今やっていることがゴールでないということを理解しながら、できるだけ多くの基礎的データや利用者の意見を取り入れて、それを反映したものを作る。作った後に事後評価をして、事後評価の問題点を次ぎの開発に取り入れる。この動的な流れが、ユニバーサルデザインだ。つまり、プロセスがユニバーサルデザインで一番求められるものなのだ。究極のトイレを一つ作ってそれでおしまいということはありえない。

究極のトイレがないとすると、多様なニーズに応えるための解決策は、多様な“もの”としての選択肢と情報をいかに提供するかにかかる。その際選択をするのはあくまでも利用者である。今までデザインする側が主体で仕組みが考えられてきたが、これは消費者サイドに立った考え方だ。私は日本でのユニバーサルデザインの方向性には非常に疑問と不満を持っている。ここでやるべきことは、どういうトイレを作ろうかではなく、ユニバーサルなトイレを作るためのシステムはどうするかということだ。建設的な試行錯誤ができる仕組みをいかに作れるかというのが、一番のポイントであろうと思っている。

 

 

 

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