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そして春になると新緑の絵に掛け替えます。それはおそらく新緑までは生きられないかもしれないその方が、新緑の時季は遠からずくるのだということを示しながら、そこまで生きたいという気持ちをもってもらうのです。こういうことを配慮するのが、アートセラピーというものです。音楽においてもしかりですね。

治療医学の目的は長く生きることです。ホスピスのゴール、末期ケアのゴールは、病む人が、これまで生きてきたことの意義を感謝を持って感じとり、これでよかったのだ、大したことはできなかったけれど、私としては最善を尽くして生きてきた。だから、「ママが生きてきたことは意味があったよ」という言葉を、子どもや孫に残せるようにできれば、それが最高です。そこに『葉っぱのフレディ』のフィロソフィーが生きてくると思うのです。自分は生を終えても、次のジェネレーションがつづいていく。そういうことをあらかじめ考えるのが「死を想う」ということです。

日本では、長い間死はいやなもの、忌むものだと考えられてきました。私が子どものころには、死者の出た家には「忌」という字を半紙に書いて斜めにして戸口に貼ってありました。「ああ、あの家でおばあちゃんが死んだ」「あの家では疫痢で10歳の子どもが死んだ」ということがわかりました。夏休みが済みますと、小学生のクラスメートのうち1人か1人は疫痢などで死んで、その席がポツンと空いていたものです。だから昔の子どもは、友達が死ぬことも、おじいさんやおばあさんが家で死ぬこともしばしば経験したのですが、今の子どもはそれを全然知らないのです。死が私たちの目の前から遠ざけられているからです。死は忌むべきものではなしに、死は汚いものではなしに、死はその人の通らなければならない最後のコースであるということを私たちはしっかり胸に受け止めて、死に対して用意をすることが必要ではないかと思うのであります。

 

与えられたいのちを生きる

本日、別会場でご参加の方は、きれいな海を見ながら私の話を聞いて下さっていますが、今日の静かな海のごとく、どんなときにでも心は平静であるようにすることが、人間として非常に必要です。私の敬服するカナダの医師ウィリアム・オスラー先生(1849−1919)は、医療に携わる人は常に平静な心を持っていなくてはならないといいました。患者さんが急変して死ぬようなときでも、心は平静で、不動の態度がとれること。しかしそこにはデリケートな感性があって、患者に触れるときにはが心が通じるようなものでなくてはならない。そういう意味において、医学や看護は科学に基礎を持つアートであるという言葉を残しております。私たちが死を勉強する場合にも、死をアートの面からも考えること、そしてそこには深遠な哲学があるということ、その哲学の命題をみんなで解くために協力し、私たちの経験をそこに生かしていかなければならないと思います。

グリム童話に次のような話があります。

神様は、動物に30年の寿命を与えるといいました。ロバは朝から晩まで重い荷物を引っ張って引き立てられるばかりでは、そんなに長生きしたくありません。30年はいらないから、12年は返しますといったので、18年の寿命になりました。犬はいつも走らされているのはいやだから18年返しますといって、12年になった。猿はしょちゅう道化に使われるけど、その後ろにはとかく悲しみが隠れています。30年も生きるのは辛いから10年でいいといって20年お返しした。人間は、ロバと犬と猿の残りを全部もらって70歳まで生きることになったというのです。ところが今では70年どころか、私のように90歳を迎えようとしている人も少なくありません。

いのちは与えられたものだということ、私がいのちをつくるわけではありません。私に与えられたいのちを健やかにするには、身体、精神以上に私たちの魂が健やかであることが大切だということを強調して、私の講演を終わります。

 

司会:日野原さん、どうもありがとうございました。皆さま、今一度拍手をお送りください。

 

 

 

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