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一方で娘は、自身の当時の経験を次のように振り返りました。

娘:「もともと朝は弱いほうで、ある朝突然発熱という口実で中学を欠席した。登校できる状態での欠席は『自分はしてはいけないことをしている』という自己嫌悪に変わり、人の目を気にしながら欠席しつづける状態に陥っていった」

学校を欠席しつづけても、一日のすべてを自分で決めなければならない毎日はとても休まるものではなく、むしろ行けるきっかけを自分で作ろうとさえしていたとのことです。放課後のクラブ活動や運動会の日にやっと顔を出しても、仲間には「なんでバスケはできて、教室には来られないの?」「なんで運動会のときだけ来るの?」といった顔をされ、いよいよ足が遠のいたそうです。続けて、

娘:「自分自身、なぜ不登校になったのかはわからない。思い当たることもあるが、原因らしき要素をひとつひとつ取り除いたからといって、行けるようになったとはとても思えない。本当は小学校のときからの願望で親友が欲しかったのかもしれない」

その後教員経験のある母親は、学校に行きたくても行けず、昼夜逆転の生活をしている娘を時々買い物に連れ出すなど、自分で立ち直る日を信じて待ち、娘は自分の安心できる場所を見つけながら学校に行かなくてもよい状況(中学卒業)を迎えたときに、高校に行き始めるようになったそうです。最後に娘は、「母親は私を前から引っ張ろうとせず、後ろで支え静かに見ていてくれた。今となっては、不登校は自分にしかできない経験であり、これからはそれを力にしていこうと思っている」と締めくくりました。

ここで指摘したい点は、親子とは何年続けていても、この例に見るように不登校という現実に対し、見事なまでに親子で認識が違っているというケースが多いということです。どうやったら学校に行かせることができるのか、原因を見つけ出そうと苦悩しつづけて疲れ果てる親と、自分なりの道を自分のペースで探しながら自立していこうとする子どもの間には、越えがたい溝があるのかもしれません。むしろ、そうした隔たりを前提に、今後の対応を考えていくほうがよさそうなくらいです。

次に、不登校児・生に対する第三者による適度なかかわりが効果的であることから、「フリースクール編」と「カウンセラー編」を設けました。大別すると「親の会」を中心とした当事者グループ、フリースクールなど受け入れ施設(居場所、寮)を保有し、共同生活のなかで教科学習や農業体験等の実践活動を通して社会(学校)復帰をすすめるグループ、カウンセラーやメンタルフレンドが相談に応えるグループなどです(なお、公的機関による不登校の相談窓口・受入れ機関としては、教育相談所、精神保健センター、適応指導教室などがありますが、日本財団のボランティア支援先とはなり得ないことから、今回の掲載事例には含まれていません)。

 

 

 

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