所感
この母子は、あちこちを歩き回った。そして、いい先生と出会うことができた。
いい先生とは、有名な偉い先生を必ずしも意味しない。自分と波長が合い、素直に飛び込んでいける先生である。
子どもをなんとかしよう、それも頭から理解させて何とかしよう。こういう企画が多いようだが、親、教師のあり方に疑問を感じる場合も少なくない。教師をなんとかしよう、親を何とかしよう、こんな企画ももっともっと増やしたい。
親が変われば子が変わる、先生が変われば生徒が変わるのである。ついでに、校長が変われば学校が変わるのである。
子どもは、目で見、耳で聞き、肌で感じたように育つ。そんな子どもに、こんな親になりたい、こんな先生になりたい、こんな大人になりたいと思われるような大人であることが、われわれ大人の責任ではないか。子どもは、大人社会の鏡であるともいう。子どもに求める前に、大人自身が変革していかなければならない。
頭から理解して、人間改革をしていくことは難しい。腹の底から体全体を揺り動かす感動体験が、自然治癒力活性化の有力な方法であることを、昨年暮れ実感した。ディキシーランドジャズの演奏会だった。私は、ジャズに造詣があるわけではない。そんな私にも、力強い音の響きが、ぐいぐいと体の中に入ってくる。魂が揺り動かされた。心身の毒がすべて出ていってしまったような、清々しさが残った。力が漲ってくるようだった。60歳を過ぎてのこの体験を生かしたい。
残された少ない人生、前述した思いを夢に、生涯青春で生きたいと思う。