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土曜早朝のテレビ番組、テレビ寺子屋で、こんなことを言っていた。「人生はやり直しはできないが、出直しはできる」と。

生まれてこなければよかったではなく、今ここにいる私を肯定したところから始まる。それが出直しである。

 

孟母三遷さながら

ここでも母親が積極的に動いた。公立の教育相談所に通うことになった。子育てまちがい発言はここで出た。彼は中学1年である。彼には声優になりたいという夢がある。大学を出ても夢や希望を持てない、年齢だけの若者が多い中、青春の証、夢や希望を子どもに与え得たこの母親の子育てのどこにまちがいがあるというのか。しかもその夢に向かって、ひとりで劇団のオーディションを受け、40倍という難関を突破した。そんな彼のどこが病気なのか。

信頼できない相手でも適当につきあえるほど、大人になっていない。そんな不登校は、むしろ中1の純真さであり、健全な状態というべきではないか。

しかし、そこでも迷いが生じた。声優を目指しているのに、なぜダンスのレッスンか。頭の中は、声優一直線で固まってしまっている。教育相談所では、勉強はたいして教えてくれない。このままで中学が卒業できるのか、高校に進学できるのか心配になってきた。

声優になるためのコースがあって、勉強も見てくれるフリースクールはないか。

母親が、また動いた。ある県のフリースクールで、こちらの条件を受け入れてくれるという。高い授業料を払っている劇団も、休学を認めてくれた。家族は彼のために、その県に引っ越した。中学も転校した。孟母三遷の教えの実行である。すごい!

フリースクールでの滑り出しは、順調だった。しかし、またつまずくことになる。遺産相続のお金で払った入学金だったが、後の学費が続かない。フリースクールは学費の納入が先だという。儲け主義だと、母親は腹が立った。パソコンゲームを生徒集めの道具に使い、勉強はろくに見てくれないフリースクールへの不満もあって、けんかしてしまった。

そんな時、中学の担任から連絡が入る。勉強を特別に見てくれるという。この中学にとって、不登校は初めてだった。担任が、不登校に理解があった。幸いが重なった。校長、教頭をはじめ、全教員が熱心に受け入れ態勢を議論し、合意を得ていることは、その後の登校を見てわかった。

保健室登校で、都合のつく先生が来て見てくれるのだが、どの先生が来ても彼に対する対応は変わらなかった。奇異な目で見る先生はなく、みんな温かかった。登校に至るまでは何度も学校に足を運び、校長、教頭、担任とよく話し合った。

登校時の服装も、私服でいいということになった。登校日、登校時間、学習時間、学習方法等、無理しないことを前提にスタートさせた。そのうちに、登校日の増加、学習時間の延長を彼のほうから申し入れるまでになった。

その後の連絡はないが、今は中学2年になっている。声優への夢に向かって走り続けているに違いない。

子どもに振り回されたかのように見える母親だが、子どもと真剣に向き合い、子どもは私が守るという姿が、子どもに強い影響を与えぬはずはない。母親だけが、子どもを置き去りにして動いているのとは大違いである。

 

 

 

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