当事者について
Jun子ちゃんは、元気がよく明るい子でした。小学1年頃から学校に行けず、4年の頃少し行けるようになりました。彼女は、小さい頃より習い事をしていて、小1の頃でも、小3くらいのレベルにあったと思います。お母さんが勉強好きで、本人も好きだったようです。学校に行けなくなった原因は、母の英才教育にあるようだと担任の先生は思っておられるようです(私はそのとおりだと思います)。
先生がこの子を何とかしたいと、強く思っているのか、そうでないのかわからないが、先生たちの一生懸命は理解できます。しかしJun子ちゃんは、まだ先生と学校を理解できないようです。というのは、信頼度が低いということです。本人が、先生が嫌い、学校に行けないというのです。
―経過―
共同作業
人間関係を育むのがよい学習と思うので、食事作りに取り組みました。Jun子ちゃんが食事の先生です。食事の時は、Jun子ちゃんが中心です。リーダーです。Jun子ちゃんが、米をといだりします。そして、みんなといっしょに食事を作ります。共同作業のなかで人間関係を育み、とても元気になってくれました。
Jun子ちゃんの場合は、自然楽校に来た時はどうでもいいという感じだったので、お金がなくても、食べられる楽しみを体感して欲しかった。ナイフを使い野菜を切る、お米をといで、木に火をつけてごはんをたく経験を体感して欲しかったということです。
先生の目線が違う
そして何回か学校へ行けるようになったのですが、先生の目線が違うんです。戦争を体験した目、すべての苦難を乗り越えた目線でJun子ちゃんと付き合ってもらうと、“すれちがい”なんですよ。…ああまた、学校へ行けません。いや、二度と行きたくないそうです。
先生は、とにかくがんばろうと言うんです。子どものことだけ心配していると言うんです。しかし、これからの子どもたちは、“あなたのことだけ心配している”では、信用してくれないんです。
Jun子ちゃんには教育が必要なんですけど、わかってもらえないでしょうか?
大人が変わって欲しいです。苦労はとても大事です。しかし、苦労をした目線で話をされると、Jun子ちゃんはダメなんです。大人が変わらないといけないですよ。
成長の過程で苦労した目線を伝えて欲しいです。