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先生と、私と、Aとの三者面談(10/18)以後、週2日リブで勉強することになった。先生の、「学校に帰ろう」という呼びかけには拒絶反応を示したが、不思議なことにリブに通うことには、Aは同意した。表情も明るかった、と記憶している。私がこのことを話した時、Oさんたちはとても喜んでくれ、それが私に安心感と幾らかの自信をしっかりと植えつけてくれた。

毎週のカウンセリングで次々に出される親への課題は、楽しいことや容易なこともあったが、この数年子どものペースに振り回されて来た私には、どうしてよいかわからず途方にくれることも多く、最初は言葉がけひとつ満足にできなかった。そんな時は、カウンセリングの場は、ただちにシミュレーションの場になった。もちろん、現実にはそのまま使えないことも多くあったが、子どもの反応を見るわずかなゆとりが持てるようになった。

小さな一歩を共に喜び、共に悩み、いっしょに泣いてくれる人たちがいつも身近に寄り添っていてくれたことは、私の心の大きな支えとなり、ものの見方を広げ、力の源となったと思う。この教育研究所でのカウンセリングは、欠かすことなく年末まで続いた。

 

強まる抵抗と、桜井先生の説得

粘り強い愛情確認で少しずつ親の主導権を認め、自分でも行動に喜びを見せ始めていた子どもだったが、12月になって、強まる登校刺激と、あまりにも無軌道なインターネット使用を理由にパソコンを取り上げられたことが発端になり、強い抵抗を始めた。

食事をとらない、深夜家出をしようとする、自殺をほのめかす。私は、12月の寒い玄関で、娘を夫とふたりでだき抱えて過ごした数時間の怖さや、暗闇の中、車に飛び込まないように腕をとって歩き続けた夜のことを今あらためて思い出す。部屋に閉じこもり、ロックアウトしバリケードを築いた娘を見て、私は大きな転機が来たことを悟ったが、この壁さえ突き破ってやれば、A自身が殻から抜け出すことができると思った。子どもの反応の変化は驚くほどパターン化していて、私はKさんの手記を、多くの場面でそのまま参考にすることができた。

12月も終わりに近づき、再びロックアウトが続く。親の力ではどうすることもできなくなった時、カウンセラーの桜井先生は「良いクリスマスと年越しをしましょう」と来宅のうえ、非常に強い説得をされた。子も親も、わかり会えないもどかしさの中で共に泣いたが、以後二度と閉じこもったり、生死に触れることはなくなった。

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1月11日、リブでした冬休みの宿題を持って、昨年9月の不登校以来初めて、担任と正門で会う(桜井先生同行)。担任の先生も、白い息をはきながら笑顔で待っていてくださった。その後週3日、担任の先生に課題提出しながら接触を続け、制服を着て行けるようになり、2月の終わりには、校内で担任の先生と2時間ほど(週4時間近く)話したり、別室で試験を受けられるようになっていた。

 

 

 

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